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■<3>解離性同一性障害と悪夢


 二人そろって更衣室へと向かう。後頭部に組んだ手を当てて、青海が廊下を歩く。その隣に並びながら、梓は相変わらず不機嫌そうな顔をしていた。


「まぁ、何だ。梓にだってさ、良いところもあるだろ」

「別に慰めとかいらないから」

「そうじゃなくてさ。まず、ダントツで顔が良い」

「……顔……」

「そうそう。それにほら、結構慣れてくると中身も良い奴だと思うし」

「……中身……」


 梓は反芻してから唇を尖らせた。青海は苦笑している。その後二人は体操着に着替えて、体育の授業に臨んだ。青海の才能は、運動能力だ。なにをやらせても、その年代の世界最新記録を出す。見ているクラスメイトからは都度都度歓声が上がる。青海はクラスの人気者だ。続いて梓の番が訪れる。梓の成績は、全国平均の平均中の平均だ。もし、もしもだ。彼がこの天才クラスに在籍してさえいなければ、本当に結城梓という少年はごくごく平均的なのだ。だが、このクラスは特別だったから、誰も梓が平均的だとは思わない。梓の評価は、紛れもない落ちこぼれなのだ。


 本日午後は二時間続けて体育で、記録測定をしていたため、その後はすぐに放課後になった。SHRの後、梓が鞄に教科書類をしまっていると、教室の扉が開いた。


「結城梓くんはいますか?」


 ノックの音が響いた後、入ってきた白衣の青年がそんな声をかけた。

 顔を上げた梓に、来訪者は微笑した。


「今日から君の担当をする東雲享です。早速ついてきてもらえるかな」


 彼の言葉に、梓は目を細めた。

 そういえば、前任のカウンセラーは、前回限りだと言っていたなと思い出す。

 素直に従い、梓は鞄を手に外へと出た。そして、白衣の青年の後を歩く。


「仲良くなれると嬉しいんだけど」

「よろしくお願いします」


 梓はそう答え、心の中で溜息をついた。

 そして、『また凛のことを否定する』人間が新しくやってきたと、辟易した。


 人々は口々に言うのだ。凛というのは、梓が作り出した架空の存在だと。なぜならば、凛は死んでいるのだからと。仮に生きているとしても、その声が聞こえるなどという現象はあり得ないというのだ。


 けれど梓にとっては、そう言う人間こそ、どうかしているのだ。

 生まれた時から梓には凛の声が聞こえたし、それは現在でも変わらない。


「さぁ、入って」


 享に連れられて入った新しいカウンセリングルームは、白を基調にした洗練された部屋だった。観葉植物の緑は落ち着くし、良い香りが炊かれていた。


「座って。楽にしてね」


 促されるままに座り、梓は享を見上げる。正面に座った新しいカウンセラーは、微笑するとノートを開いた。


「さて、今日は君のことを聞かせてもらえるかな?」

「先生が知りたいのは、俺じゃなくて、凛のことだろう?」

「凛くんの話も勿論聞きたいと思っているけれどね」


 穏やかな口調で言った享は、それから家族構成や趣味などを梓に尋ねた。過去に何度もにたようなインテークを受けてきた梓は、やる気無くつらつらと返答する。好きな食べ物や嫌いな食べ物、そんなくだらない話題にどんな意味があるのか梓には分からない。


 それでもひとしきり語った。そして、享が一呼吸置いてから、じっと梓を見た。


「それじゃあ、凛くんの事を聞かせてもらえるかな?」

「いいよ。何が知りたいの?」


 やっときたかと梓は思った。なんとはなしに膝を組み、その上に組んだ指を乗せ、梓は目を伏せる。


「凛君とは今も話が出来る?」

「できない。凛だって忙しいし。俺だっていつも、昼休みに少ししか話せないし」

「凛君は、何をしていて忙しいのかな?」

「色々。難しくて俺にもよく分からない」

「昼休みにしか話は出来ないの?」

「他の時も、凛の時間があれば話せる」

「今は?」

「今は寝てる見たいだな」

「じゃあ今度、日を改めて時間を約束したら、僕も凛君と話が出来る?」

「は? できるわけないだろう」

「梓君の中に凛君がいるんじゃないの?」

「そんなわけない。凛は凛だよ。俺の中になんていない。遠いところにいるんだよ」

「遠いところ? どこにいるの?」

「……よくわかんないけど……そうだな、深い……海の底みたいな所」


 顔を背けた梓を見て、享が少しだけ目を細めた。


「凛君は、生きているの?」

「え?」

「――白野凛君、君の双子のお兄さんは、不慮の事故で亡くなってる。海で、ね」

「だから、凛は生きてる」

「海の底では、人は生きられない」

「でも」

「梓くん。冷静になって。君の心の中にいる凛君は、君が作り出した幻想なんだよ」

「……」

「幼かった君が、お兄さんがいなくなってしまったことを認められなかったのは仕方がないことなのかも知れない。けれどね、もう君は、幼かった頃の君とは違う。そうだよね?」

「……やっぱり、先生も凛のことを信じてくれないんだな」

「現実を信じていないのは、君だよ、梓君。少しずつで良いから、認めていこうね」


 その日のカウンセリングは、それで終わった。


 夕暮れが訪れていた。カウンセリングルームを後にした梓は、一人帰路につく。


 俯いたまま通学路を歩きながら、溜息を押し殺した。


 前任のカウンセラーの言葉を自然と思い出していた。その人物は、『落ちこぼれであるため、周囲の気を惹きたくて、嘘を述べているのだ』と結論づけて、去っていった。誰も自分を信じてくれない、そう思い、梓はやるせなくなる。こういう日は、早く眠ってしまいたい。だから梓は帰路を急ぎ、家へと帰った。今夜も、一人きりだ。


 ――こういう日、梓は決まって夢を見る。同じ夢だ。梓はそれが夢だと知っているが、どうすることも出来ないのだ。夢というか、それは、嘗て梓と凛が本当に経験した出来事だ。



 その日、梓と凛は、誘拐されたのだ。

 ――双子ばかりを狙う、シリアル・キラーだった。


 地下室、赤い照明、黒位置がこびりついたバスタブ。

 散乱した双子の遺体。梓達は四歳だったが、そこには様々な年齢の双子の首が並んでいた。大体は防腐処理をされていた。死にたくないと梓は思っていた。誘拐犯の男は、ニヤニヤと笑いながら、凛の前に立った。梓は、何か叫んだ。そしてナイフが振り下ろされようとした時、犯人の死を願った。犯人は吐血し、倒れた。


 その後梓達は、発見された。GPS付きの防犯具を凛が持っていたからだ。


 梓は助かった喜びで泣きながら、凛に抱きついた。ただ凛がとても冷たい顔をしていたのを覚えている。きっと、殺されかけたことが怖かったのだろう。梓は凛を慰めようと、必死で抱きしめた。


 梓達は数日、入院させられた。犯人の司法解剖も、その病院で行われていたのか、単純に警察官が聞いた話をその場で盛らしたのだったかは、梓は覚えていなかったのだが――ある日聞いてしまった。


「心臓が破裂してた。間違いない、ムーブだ」

「人体に干渉できるほどの? 馬鹿げてる」

「他に説明がつかないだろ。殺ったんだよ、あの子供が」


 恐怖するような大人達の声。しかし本当に恐怖していたのは梓だ。自分自身に対して恐怖せずにはいられなかった。梓は、自分の持つ力がムーブと言う名前だと知っていた。そして、はっきりと理解した。自分が、心臓を破裂させたのだろう。何せ自分が死ねと思った直後、犯人は死んだのだから。


 ――翌朝、一人で目を覚ました時、梓は、びっしりと全身に汗をかいていた。





***



 これは、フォンス能力が公になり、『天才』ではなく『超能力』であるのだと、発表される少し前の出来事だった。その後、F型表現者であると公的に認定された梓と青海は、別の学校へと転校する。そして――華族派と独立派のそれぞれのトップとなる。


 その学校では、結城が落ちこぼれであっただとか、養子であるだとか――教師の白野の実子である事などを、誰も知らないのだった。青海以外は。





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