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episode20 「鞘だけを打ちたくない」

 私の予想に反して、村人から後ろ指を指されるということはなかった。まだ白髪のことは口伝されていないのだろう。

 私が白髪であることを明確に知っている者はこの村に2人いる。巨躯の彼とロラ。2人共会話出来る程度の間柄だが、私が白髪だと吹聴しないという確証はない。

 だが、いずれ蔑まれる。

 どれだけ好意的に接して来ようが、ロラには住まいを提供してもらっている。そして現在は鍛冶屋に案内してもらっている。

それだけでいい。

 彼女ならそんなことはしない、などと、そんな期待をするだけ無駄なのだ。

 そんな私にも、村中を歩けば話しかけられた。恐らくロラといるからだろう。ようロラか、やあ騎士様。それに、私は「おはようございます」という挨拶をして軽く頭を下げる。習慣的な動作だった。

 ロラは話しかけられるたび、その人物と一言二言と言葉を交わした。その1つ1つは短い会話だが、明るく愛想のいい印象を受ける。よすぎて、社交だけとさえ思える。それほどきちんとした笑顔だった。

 そうして歩を滞らせながら進むと、前方から知った顔がやって来る。しっかりこちらの存在を認知しての足取りだ。目が合うと「おう」という声を寄越した。

 村長だ。

 昨日腰に差していた剣はない。手を上げ、挨拶の意を示しながら村長は私達の目の前までやって来た。


「おはようございます」


 軽く頭を下げる。


「おう騎士殿、お疲れさん。だがもう昼前だぜ」


 そう言って、唇に微笑みが影のように動いた。


「申し訳ありません。兵士であった時代は、時間帯に関係なくその日初めて会う場合これが挨拶だったものですから」


 なるほどな。軽い微笑みを右の頬だけに浮かべながら、村長はそう言った。確かに、近しい間柄同志なら朝以外におはようという挨拶は変だ。先ほどの村人のように、「よう」や「やあ」と言ったほうが違和感はない。


「リアムから聞いたよ、騎士殿。初っ端から夜通したぁ感謝する他ねぇな」


 快活らしく笑う。

 私はその呵呵とする様子を他人事のように伏し目ながら見ていた。感謝する他ない。そんなことを言われても、しなくてはならない事を行っただけなのだ。過去いくら任を遂行しようが、感謝されることも賛辞を贈られたことなどはない。いくら人の命を救おうと、与えられた役目を遂行することは感謝されることではないのだと。

 卑下の言葉に何も感じないように。賛辞の言葉にも不感となっていた。

 それでも頭を下げることで応対する。それに、ロラはどこか意味ありげに微笑を唇のふちに浮かべた。私の心を軽く握り締めるような、印象的な微笑み。


「……ロラ?」


 思わず、呼びかける。

 するとロラは一瞬目を見開き、すぐに笑顔を皮膚に張り付けた。それは私ですら無理矢理笑ったのがありありと分かるほどであったが、取り繕うのが早く村長は何も言わなかったため、それ以上は追及しなかった。


「というか、騎士殿を連れたってロラはどこ行こうってんだ?」


 一端途切れた空気を引き戻すように、冷やかす口調で村長は言った。もちろんそこに悪意などはなく、距離が近いからこそのわざとらしい芝居っ気のある言い方で。


「私が鍛冶屋はどこかと尋ねたところ、案内して頂けるとのことで」

「あぁ、ブリジットかぁ。まだ起きてないんじゃねぇか」


 どうやら、その鍛冶屋が朝とてつもなく遅いというのは村の中では周知のことらしい。


「あんまり遅いのも良くないし、騎士様が用事あるなら起こしに行こうかなって」

「そりゃあ、あいつ起こせるのはロラくらいだろうけどな」


 言って、やれやれという風に赤茶の髪に手を突っ込んでかりかりと頭をかく。自警団という武具が必要な団体がある以上、鍛冶屋は村内には必要な存在だ。だが、早急に必要になったときに寝られていては、確かに呆れて物も言えないだろう。


「まあいい。騎士殿、ヤグラはもうちょい待ってくれ。明日には出来るだろう」

「承知しました」


 言って、手のひらをひらひらと振りながら村長は去っていった。駄弁りつつ用だけ済ませて、煙のようにさっさと姿を消す。その様ははっきり言って悪くなかった。だらだらと無駄話が続くよりは、目的が明瞭としていていい。

 その後もしばしば話しかけられながら、村の奥へと進んでいく。入口からだいぶ奥の位置に、鍛冶屋の居はあるらしい。ロラの家が比較的入口の近くに建っているのに対して、また行くことになって場合は随分と非効率な距離をしている。そして恐らく、その可能性は高い。


「ほら。ブリジットの家、もうすぐそこだよ」


 ロラの家から距離にして5分ほど。掛かった時間はおよそその何倍か。とにかく、私たちはようやく鍛冶屋の家へと到着した。

 鍛冶屋の家は他の家と違って横に伸びた住まいだった。赤い屋根の家で、一階建てである。


「ブリジットー、起きてるー?」


 呼びかけながら、扉を叩く。何秒か沈黙が流れる。まだ起床していないのだろうか。

 するとロラは家主の応答を待たずに扉を開けて入って行った。それが許されるほどの仲なのか、それともロラが人の家にずけずけと入っていくような人間なのか。


「あっ! やっぱりまだ寝てる!」


 家の中からロラの声がする。叱るとも驚くとも取れるような声。それから正確には何を言っているか把握出来ないほどの大きさで何往復か会話をした後、ぴったりと無音になった。

 入っていいのか分からない。時折物音がしたり、話し声が再開されるが、正式に招かれるような合図はない。それから幾程だろう、五人目の村人から解放された後、ようやくロラが私を呼んだ。

 中に入ると家の中の半分は占めるであろう広さの鍛冶場がそこにはあった。鼻を突く金属の匂い。打ち終えた後であろう、何本かの剣が立て掛けてある。

 足音が低く地を這う音。


「なにか用?」


 茶色い簡素な貫頭衣を着た、黒茶髪の女性。邪魔にならないよう、肩に届くかどうかという短さに整えられたその髪。色は暗く、どちらかと言えば歌うたいの黒髪に近しい色合いだった。眼差しは芯と強く、しかし押せば崩れ去ってしまいそうな、そんな頼りなさ。竹のような腕の細さは、鍛冶屋であることを疑わせる。


「お初にお目にかかります、昨日より着任した騎士のエメ・アヴィアージュと申します。あなたが鍛冶屋だと聞いて伺ったのですが」

「そうだけど」

「実は鞘が壊れてしまって、打ってほしいのです」

「……その背中の?」


 鍛冶屋は私が背負う物を一瞥すると、両腕を閂のように組んだ。否、元より武具しか見ていなかった可能性もある。私を見ているようで、その実は頭の隣に見える柄を見ていたのだ。

 同意を示すように頷く。


「嫌」


 当然であるかのように、彼女は言う。鍛冶屋の役目である剣の制作を拒否されるとは思ってもいなかったため、頭部を鈍器で殴られたかのような衝撃を感じた。


「それは何故でしょうか」

「鞘だけを打ちたくはない」


 鞘と剣の一対で作品と考えているからだろうか、鞘のみ依頼は承っていないと言っているのだ。同意は出来ない。私にいま必要なのはあくまでこの大剣が収まる鞘であり、剣のほうまで求めているわけではない。

 とりわけこの大剣に愛着があるわけではないが、振るう剣があるというのにわざわざ武具を増やす必要性を感じないのだ。


「鞘が必要なのです、お願いします」


 大剣の鞘はどうしても必要というわけでもない。ただ村の中で刀身を剥き出しにするのは、子供もいるわけだし危険だろうというだけなのだ。


「それに大きすぎる。ちゃんと振れるの、それ」

「問題ありません」

「そう」


 やれやれ、というふうに力なく鍛冶屋は笑った。恐らく私達は相容れないのだろう。私は鞘だけ作ってもらえればそれでいい、鍛冶屋は剣と鞘を一対で作りたい。どうしてもという気持ちは私にはないが、あちらは決して退く気はなさそうだ。

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