「作ってあげたらいいじゃん、鞘」
鍛冶屋の背後からロラが現れる。その手には鉄のトレーを持っていて、焼き立てのパンとサラダが乗っていた。時折物音があったのは、どうやら鍛冶屋の朝食を作っていたためらしい。
「騎士様困ってるみたいだし」
「知らないよそんなの、僕には」
同意だ。私だって、剣と鞘は一対で作りたいという意思なんて知ったことではない。たた、これ以上ロラに借りを作るわけにはいかないので、割って入ることにした。
「あの、剣と鞘であれば作って頂けるのですか」
もともとどうしても、というわけではない。私が諦めることでこの面倒が解決されるのなら、躊躇なく引き退がろう。
「……いいよ」
私の不意の一言に一瞬口を緩ませるが、すぐに硬く結び直してそう答える。
「背中のそのサイズでいい?」
鍛冶屋が指を差しながら問うたため、「はい」と喉の奥で応えながら頷いた。必要なことだけを淡々と話す彼女との会話はとても楽だ。考え方の相違を除いてだが。
「いいの? 騎士様」
「はい」
どうしてという表情で首を傾げてみせる。指先を唇に当てて、街娘みたくこれ見ようがしに。少しの間そう考えたあと、やがて自分の中に落とし込んだのか得意な屈託のない笑みを浮かべる。
「騎士だからって優先は出来ないよ」
「構いません」
彼女は鍛冶の役目を負ってこの村にいるのだ。いくら私がある程度地位を所持していようと、それは変わらない。なら彼女の言うことは道理である。それに私の中で優先順位はさほど高くないことから、納得も容易だった。
そうなると、もうこの場所に私は要らない。
「騎士様、先に帰ってて。あたしはもうちょっとすることあるから」
言いながら、自然に鍛冶屋の肩に両手で触る。心を読み取ったかのようなタイミングだった。鞘の話は一応ひと段落着いたのだから、当然と言えば当の流れだが。
彼女のために用意された麻袋の件もあるだろうが、朝食を用意するくらいだ。よほど親密な関係なのだろう、ぺたぺたと触るロラを嫌がる素振りはない。
「いいって、ロラも帰って」
「そんなこと言って、放っておいたらご飯食べないんだから」
鍛冶屋は唇を尖らせて抗弁するが、それ以上は何も言わない。ロラに対してはあまり強く言えないのかもしれない。鍛冶屋の腕に正面から抱きついている様子は、恋人に対して行う愛情表現のそれ。そもそもロラが他人に対して距離が近いというのもあるのだろうが。ただ他人のスキンシップを見ている趣味はないため、この場は立ち去ることにする。
失礼致します、そう言うとロラがまた後でと手を振った。また会うはずなのに。鍛冶屋は見据えるような眼でただ私を見ていた。歌うたいのように、何かを見徹そうとするような、そんな眼だ。ただ一つ彼女と違うのは、そこにいるだけでひと際輝く綺羅星のような存在感が歌うたいにはある。ロラはこれを魅力的に見えたからと言っていたが、ロラも鍛冶屋の彼女が輝いて見えるのだろうか。
そう思うが、しかし本人にそう聞くわけにもいかず想像の中で頭を振る。そうして鍛冶屋の家を後にした。
◇
歌うたいの歌声が聞こえ、午刻がやって来たのだと知覚した。言の葉を聞く限りそれは、今までの自分を捨て去り心新たに奮励していこう、そんな歌らしい。それに対して思うことは特にないが、それはさておいて昨晩の雨と違い、頭上では抜けるような青さに澄み切っていた。雲一つ見つからない紫がかった春の空は、少しの皺もない、脆い膜のよう。宿舎では決して味わえない、暖かい陽ざしだ。
この後は何をすべきだろう。鍛冶屋が新たに武器を拵えてくれるというが、剣が壊れたわけではない。守護のため門番に復帰することは可能だ。だが、巨躯の彼があの場を譲ってくれるだろうか。彼もまた、意地っ張りな性格だ。尋ねるに越したことはないが、恐らくは退いてはくれないだろう。
ヤグラが出来るまでは好きにしていい。というのはそれまでは騎士の責務を果たさなくてもいいというわけではない。戦意は常に磨いておくべきだ。そうでないと、幼子のように眠ってしまう。
今まで誰かが私を使役してきたが、ここにそんな者はいない。騎士という役目を賜り、そしてこの村を護るという任を受けてはいるが、命令が下されるわけでもない。巨躯の彼が入り口を退いてくれなかった場合、私はヤグラが出来るまで何をすればいいのだろう。
誰か、私にするべきことを与えてほしい。
私には、剣を揮うことしか出来ないのに。
大剣を安定して扱い続けるに訓練が必要となるが、ずっと鍛錬をするわけにもいかない。私はこの村に特訓しに来たわけではないのだから。
村人に話しかけられても大した返答など出来ないため、早足に歩いた。しかし誰かの注意を引くほど速くは歩かない。目立たないことがそこに溶け込む一番の手段である。村の一員と扱ってほしいなどとは思わない。それこそ空気のように、そこにあることなど気にしない存在。粛々と任を全うすることが出来れば、それでいい。
そこまで思い浮かべると、それから発展した別の考えが頭をかすめて一閃した。
思えば、私はカルム村内や周辺の構造を全く知らない。昨日からその時間がなかったのもあるが、やはり任地の地理を把握していないというのは致命的だ。さすがに村の外については限度があるだろうが、しかし外敵に対して得られる地の利を放棄するのは得策ではないと言える。果たして、それは防衛する気がないと言っていい。
この村で知っている場所といえば、私は片手で数える程度しか知らない。それは騎士が守護している地とは言えないだろう。高台から見下ろすのも手だが、今は臨戦態勢ではないため実際に歩いて見たほうが記憶しやすい。村の外もある程度確認しておきたいところではあるのだが、昨夜の害獣や魔獣の存在を鑑みるにきちんと装備を整えたほうがいいと思われる。一人で散策する場合の鞘など不要だが、しかし普段隠し持っていた三本の短刀も生憎魔獣に飲み込まれてしまった。
予備はない。そのため大剣とこの鎧を頼る他ない。依頼すれば短刀も作って貰えるのだろうか。否、ただでさえ剣と鞘を頼んでいる最中なのに、引き返して注文を増やすのも申し訳ない。そうなるとやはり、持っている物でどうにかするべきだ。
黙念として、村内を片っ端から見て廻る。
基本的な構造は、円形の広場を中心に家が建てられているのは昨日見た通りである。どの家に誰が住んでいるという情報はきっと頭に入れておいたほうがいいのだろう。しかし、そもそも名前を知っている者が数えるほどしかいないため、これは一端頭から切り離しても問題はない。
物資はどうしているのだろうか、まさか全てを村で賄っているわけではあるまい。思いながら歩くと、それは商店を発見したことですぐに解決した。広場のすぐ近く。鍛冶屋の家と変わらない、少し横に広い家だった。民家にしては不自然に人の出入りが頻繁だったため、出てきた者にここは何かと聞いたところ、これは商店だと言った。まあその人物は、答えるなり眉を顰めて去ってしまったが。
両開きの扉を引いて開けると、中にいた村人たちがどうしてか一斉に私の方を一どきに見た。その視線は、私が身に着けている鎧に吸い付いているように思う。
「何か用か」
店の奥に座る、店主と思われる男が蛇のように細く、鋭い目つきで睨めつける。赤い羽織りが特徴の、赤茶髪の男だった。
「失礼いたします。現在カルムを見て廻っているのです、邪魔になるようなことはいたしませんので、どうか」
「そうじゃねぇ」
遮るように、店主は言った。
「騎士様だろ? この店に何か用かって聞いてんだ」
破鐘のような大声。戦場でこれを上回る怒声の持ち主は何度も見たが、それは戦地という開けた場所だった。しかしここは店内という密閉空間だ。耳を痺れさせるほどの大声が辺りに炸裂し、店内のお客さんはもれなく眉根を引き絞る。叫んでいるというわけではない、しかし店主の声は勝鬨上げた戦士の音量めいて盛大だった。
「私の興味本位で気を害してしまわれたのなら申し訳ありません」
「いんや、客としてなら歓迎するぜ。だが次来るときは、剣は置いてこい。それと鎧もな」