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episode8 「さあ騎士様、行きましょう!」

 警戒心を焔のように燃やす。

 狼は足音を立てない生物のため、闇夜から突然現れる。そのため、非常な神経を張り巡らせなければならない。

 恐らく嗅覚によって位置は特定されているだろうが、警戒から、互いに発する言葉はない。ただ剣を引き抜くことで、隣の彼女に戦意を示す。長鎗の彼女は既に得物を地から引き抜いており、いつ巨狼がやって来ても揮えるようにしていた。

 月光もなく、ただ村からの薄明の底に鈍く光る草原。緑の騒ぐ音が遠く水の流れのように聞こえる。

 風はないため、それが巨狼たちの接近してきている証だと分かった。かなりの数であり、あの夜と同等、いやもしかしたらそれ以上の可能性もある。

 私には共闘、という経験がない。戦争を共闘と呼べるかは別の話だが、少なくとも自分の中では協力して闘争したという意識はない。戦いはいつも独りだった。

 野盗が攻めてきたときも、私は出来ることをしただけである。人数不利を強いられていた自警団の補助に走り、次いで射手の始末をしに戦場を離れた。

 なので、果たしてどう動いたら長鎗の彼女の邪魔にならないか。それをずっと考える。

 そもそも、私は彼女の戦っている姿を見たことがない。野盗の頭領に相対したときは、結局彼女に背中を押されて歌うたいのもとへ向かってしまった。

 動作の速度。

 槍の練度。

 それら全てが不明確だ。

 判断材料はある。彼女は野盗の頭領を、剣の鞘だけで制圧してしまったという。

 前回、私は巨狼に対応出来ている。ならば、人数的に多い今回、見てからその力量を判断できる可能性はあるだろう。もちろん絶対ではなく、害獣の数によってはその限りではないが。

 あくまでも、もしもの話だ。

 つまり、私の中ではあまり期待していないということである。目の前に押し寄せる巨狼を殺すだけ。あちらはあちらで、上手く対処してほしい。

 葉ずれの音が近くなってくる。

 いつ害獣たちが飛び出してきてもおかしくない。今までに培った鋭敏さをもって身構えしながら、大剣を握る。いつでも揮えるように。

 嵐の前の静けさが通る。

 草の伸びる音すら聞き取れそうなほど辺りは静寂に包まれた。

 見計らっているのだ、二人のどちらかが見せる、その一瞬の隙を。

 身に、眼には見えないこわばりの波が走る。

 空気はどちらかが少しでも動けば崩壊してしまいそうなほど張り詰めていた。そしてそのきっかけを、狼たちは待っているのだ。

 いつでも駆けられるように、つま先に力を込める。

 相手が人であったなら、飛び込むほうが早いのに。

 そして沈黙がしばらく続いたのち、均衡を崩したのは長鎗の彼女の一歩であった。

 恐らくはわざと。

 村長に生き急ぎすぎ、と評されていたことを思い出す。待つことが好きではない性分なのだろう。それは普段を思い出してみれば、たしかに少しせっかちな面が垣間見られる。

 打って出る。

 私も別に嫌いではない。

 しかし今は状況が状況だ。

 長鎗の彼女がアピールするように強く踏みしめた一歩、それが呼び水となって、幾匹もの巨狼が飛び出してきた。


「さあ騎士様、行きましょう!」


 まさに波濤のよう。

 薄暗いせいで正確には把握できないが、少なくともあの夜よりも数は多いのは違いない。

 疾走が始まる。

 開幕はあのときと同じだった。

 大口へ揮った大剣の一閃。

 叩き込んだ一振りが、巨狼の口から尾にかけてを両断した。

 しかしあのときと違うのは、飛び掛かってきたのが一匹ではないということである。躱せば村への侵入を許してしまう。

 従って私は、身ひとつで巨狼たちの進行を止めなければならない。

 迫りくる巨狼は三匹。

 揮った大剣を、勢いのまま頭上に放り投げる。

 突き出した左腕に、うち一匹が噛みつく。それは以前にも行ったからこそできた防御策。国から賜った鎧はその牙を通さずに、痛覚さえ感じさせず巨狼の大口を塞き止めた。

 すかさず私の首元へ喰らい付かんとする二匹目の巨狼。そこへ、今さっき放り投げた大剣が落ちてくる。ギロチンのごとく。切っ先がちょうど狼の脳天へ突き刺さって、絶命させた。

 残る右側から迫る凶牙。

 その口目掛け、左腕に噛みついたままの一匹を横から叩きつけた。

 ぶつけられたことで発せられる、二匹の甲高い鳴き声。別にそれで倒せるとは思わない。ほんの一瞬、突き刺さった大剣を引き抜く間さえ作ることが出来ればそれで。

 ただそれは叶わない。

 なぜなら既に、もう一匹がこちらへと迫っていたからである。

 短刀があれば対処出来ただろう。しかし、そのストックを補充する前に害獣たちがやってきてしまった。

 ないものを欲しても仕方がない。

 他の二匹が怯んでいる間に出来る事、それを即座に選択しなければならない。

 剣もなく、暗器もない。

 その状態でやれることというと。


 私の喉元目掛けて飛んでくる、その大口の上顎を鷲掴みにして、地面に叩きつけることだった。

 これは手甲が噛み砕かれないという前提の手段である。開けられた大口に手を入れて、そのまま牙ごと上顎を掴む。もし鎧が頑丈でなかったら、別の手段を取っていただろう。

 とはいえ、これ以外の方法となるともう、単純な暴力しか手は残っていないわけだが。

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