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episode7 「迎え撃ちましょう」

「あぁ、やっぱりですか。お父様もそんな話していませんでした」


 あっけらかんと、彼女は言った。

 その口調は意外なほどあっさりとしていて、即座に叱責されると思っていたため少々面を食らったが、状況は何も変わっていない。私の怠慢を、彼女が詰める。表情はほとんど変わっていないように見えるが、先刻の様子を見るに、彼女は自然な表情を貼り付けることを得意としているようだ。


「申し訳ございません」


 重ねて言う。

 失望され、不必要とされては、私は人であることを剥奪されてしまう。私が人で亡霊でなく人でいられるのは、このカルムの地だけなのだから。

 不思議な恐れに似た感情が胸を締めつけてくる。その地位の高さから、よほどのことがなければ追放されることはないというが、いまはどうでもいい。

 要らない。

 そう言われることだけに不安を覚える。


「え? あぁ、いいえ、大丈夫ですよ。そうだろうな、と思っていたところですので」


 かすかな微笑いが、私には呆れに取れた。

 そんなことも出来ないのか、と言いたげな冷笑は、叱責し追及するということを越えてしまったのかと。


「いえ、決して騎士様が悪いと言っているわけではありません。リアムさんは口調や調子も軽いほうですが、報告はきちんとする方です。その場では冗談と言いつつ、報告はしっかりしてると思うんです」


 それは、たしかにと首肯する。

 巨躯の彼は双剣の彼女とは違い、岩陰で怠けていたりすることはなく、また門番の役目を終える際は真っ先に村長の家に報告へ向かう。性格も軽く勤勉というわけではなく、業務態度はしっかりとしている。

 何か変わった事があれば、報告はしておくほうだというのも、同意見だ。しかし一つだけ、冗談だと一蹴したことを念のため報告しておくというのは、完全には同意見とは言い切れない。

 私ならばする。だが、彼がそこまで徹底するかどうかはまだ判断できない。少なくとも、まあ念のため報告しておくか、という言い回しではなかった。

 ただ裏でしっかりと報告はしておく、その可能性が十分にある人物だというのは否定しない。


「ですが、話を聞く限り騎士様から魔獣の話をされたという件を、襲撃された先刻思い出したそうです。それが少しだけ、引っ掛かると言いますか」


 心中感心する。

 私ならば恐らく、気にも留めないことだからだ。魔獣がやって来たことで、そういえばと想起しただけではないかと。少なくとも私ではそこで完結していただろう。

 もちろん、たまたま思い出しただけ、という可能性はあるように思う。長鎗の彼女が言う通り、いまはまだ引っ掛かりがあるだけだ。

 だがしかし、狼の魔獣に対して、何かしら記憶の妨害が働いていることはたしかだろう。

 そして、


「いえ、それでも。私が村長に報告していなかったのは事実ですので」


 その、私の罪のような告白に、彼女は微笑んでみせた。


「それも。リアムさんが普段ちゃんと報告していることで辻褄が合います。もちろん、確定とは言えませんが」


 よく分からない。


「お父様は、リアムさんから報告を受けた記憶はないと言っています。ですから、騎士様も報告したことを忘れてしまっている可能性があると思います」


 私の稚拙さを和らげるフォロー。

 一理あるが、それも確実ではない。例えば、何故巨躯の彼に報告したことは覚えているのに、村長へ報告したことは覚えていないのか。

 不確定要素はいくつも出てくる。

 彼女はミスとしては咎めないようだが、これは私の中では自分の落ち度としてしばらく残ろう。もし本当に報告のし忘れであるなら、それこそ責任など取り切れない。

 そこまで思考して、止める。

 吠え猛る何か遠吠えを聞いたからだ。


「騎士様」


 長鎗の彼女の呼びかけと同時に、神経を剣めいて研ぎ澄ます。

 それはあの夜に聞いた、覚えのある叫び。夜を矢のように劈いていく咆哮。

 嫌でも思い出される、カルムへ来た初めての夜のことを。あれから何十日も経ったにも関わらず、今更生き残りが在ったのかと。

 波濤のように押し寄せる、幾匹の巨狼。いま聞こえた吠えは、その者たちによるものだ。

 だがそれは妙だと、大剣を地に突き刺しながら思考する。

 魔獣は巨狼の死骸を捕食していた。従って、あの魔獣と狼たちに関係性はないように思える。

 だからこそ、このタイミングで害獣は非常にまずい。警戒は魔獣に対してであって、巨狼に対してではない。監視しながらも見つけらないよう身を潜める。ゆえの二人という人数。だがその嗅覚を誤魔化すことは出来まい。

 いまあの数の巨狼が押し寄せてきた場合、長鎗の彼女とであれば何とかなるであろうが、それにより魔獣を引き寄せてしまう可能性がある。

 少なくとも、あの夜はそうだった。

 巨狼の遠吠えはそう遠くないだろう、そんな距離。


「迎え撃ちましょう。これはもう、仕方がない」


 私には一瞥もくれずに、長鎗の彼女は真面目な瞳で言った。それはそうだろう、害獣がやって来るかもしれない方向から視線など外せない。


「はい。私も、そう思っていたところです」


 同意して、柄を握る。

 見えないものに見られているような圧迫感を、鞘から刀身を引き抜くことで振り払う。

 今ここではっきりと意思を一致させておいたほうが、お互いの時間や無駄を省ける。

 そして、安心した。いま再びここで。しかしあのときとは違い、巨狼に立ち向かうのは一人ではないということに。

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