家を出るとき、少しだけロラを一人にすることに引っかかりを感じた。何か理由があるわけではなく、予感に近しい。
魔獣が村を襲うのは初めてではないという情報が、余計に不安にさせてしまっただろうか。私の言葉が引き金になって気の迷いでも起こしてしまったら、それは私の落ち度だろう。ロラに限って、そのようなことはないとは思うのだが。
周囲の闇が、心をマイナスへ引き込む。
その中で、先ほどまでなかったランタンの光りが、村を亡と照らしている。いつもより大幅に点いている明かりは少ない。ただ、こうして明かりを灯しているということは、何かしら対策の魔法が発動しているに違いない。恐らくは、青い彼女と長鎗の彼女が場所を変わったからだろう。風景を騙す魔法は同じ場所に使うことは出来ないらしいが、明かりを見えづらくする結界は行使出来るのかもしれない。そうでなければ、警戒している中で、少しばかりだが明かりを点ける理由が見つからない。
しかし見えづらくする、という言い回しが気になる点ではある。完全に隠すことは出来ない、と言っているのと同意義だからだ。私は魔法には縁のない人間で、完全に誤魔化されている。
だが魔獣は違う。魔獣は平気で魔法を使う。もちろん人も魔法を使用することが出来るが、魔獣のそれは人と比べて超越的だ。半蛇やカタツムリの魔獣がその例である。
意味のない行為とは思わない。現に、いま襲われていないのが何よりの証拠だ。
ただ見づらくする程度ということは、看破出来る余地があるということである。狼は夜目が相当利く生き物だ。あれを狼と位置付けていいかは判断に迷うところではあるが、可能性として考えておくべきだろう。
あの巨体では身を潜めることは難しいだろうが、微かに得た灯りを以てしても視認は出来ない。私と出くわさなかったことを考えるに、カルムの地を離れたとみていい。もしカタツムリの魔獣のような術を持っているならば、私を襲っていたはずだ。
夜の凛とした静けさは、考えをまとめるのにちょうどいい。しかしそれと同時に、知らずと歩の回転も早めてしまう。
そうして、夜色の底に埋もれながら、門番たる長鎗の彼女が私を出迎えた。
「まずはお疲れ様でした、騎士様」
警戒態勢でも変わらずの慇懃な態度。
「いいえ。そちらこそ、お疲れ様です、リーデ様」
槍の穂先を地面に突き刺して、いつでも身構えられるようにしている。穂先側を突き刺しているのは恐らく、少しでも刃の煌めきを見せないためだろう。人ならばよほど夜目が効いていなければ視認出来ないだろうが、相手は狼だ。ならば、そういった考えがあるのだと思う。
薄暗い村の中で、宝石のように紅い双眸が光る。
「お聞きしたいのですが、討伐した魔獣はどのような魔獣でしたか」
その眼で、私の心の奥底を覗き込んで来るような表情。あの、村に野盗が接近し警戒態勢にあった夜と同じ顔つきだった。
「巨大なカタツムリの魔獣でございました。元々は人で、そしてその記憶を持ち合わせている不思議な魔獣です」
「……なるほど、それは不思議ですね」
真剣な表情は砕け、しかして寂然とした眉根に深く刻まれた皺がどこか複雑な感情を反映している。
その顔から、求めていた話ではないように見受けられた。ただ聞かれたことを答えただけなのだが、どうやら聞きたいことではないらしい。
彼女が魔獣のことを聞く理由は明白だ。
仇敵である蝿の魔獣。
その捜索に全てを費やしているのだ。
「あぁ、申し訳ありません、つい」
長鎗の彼女は自分の眉が顰められていることに気付くと、さっと元の柔らかな表情を見せる。ロラのような無理に張り付けたとは到底思えない、完璧な微笑を。
「それに討伐出来た魔獣が蝿の魔獣でなくてよかったとも思っているんですよ。私が殺さなくては、意味がないので」
耐えようにも耐えきれなかった微笑みが口元に浮かぶ。歪んだ口角が、そのときを本気で待ち望んでいるのだと知覚させた。
「……見つかると、よいですね」
間。
「えぇ、ありがとうございます」
一拍置いて、そう返事をする。
そして、「そういえば」と急に話を思い出したように長鎗の彼女は言った。
「リアムさんから、騎士様が山のような魔獣と対峙した話を聞いたのですが」
はっと眉が一瞬動く。
問われるのは当然だ。当の魔獣が村にやって来たのだから。だが私が少しだけ驚いたのは、一度心内に仕舞った話を、まさか掘り返すことになるとは思っていなかった。
次いで、巨躯の彼が私の話を覚えていたことである。報告したときは冗談だと一蹴された話だ。あったことを報告したにも関わらずその対応だったため、まさか覚えているとは思わなかった。
「はい、その通りです。私が赴任してきた初日、夜警をしていたときに対峙致しました」
それに、長鎗の彼女は驚いたように大きく紅い眼を開く。
「なるほど、どうりで私が知らない話なわけです。その話は他の方には話しましたか」
「リアム様と村長に報告を。ですが――」
言った、その時。暗い部屋にぱっと明かりが灯された気がした。
村長に報告したのは、果たしてどのタイミングだったか。いいや、そんな重要な事を、村の長に報告していないわけがない。
それなのに、私の脳内に村長に魔獣の報告をした光景が浮かんでこない。
「ですが、なんです?」
私の顔を見つめるその顔は、思い出せないとは言わせない真剣さが表れていた。少しでも誤魔化そうものなら赦さないといった鋭さが見える。
知覚した、途端。胸を抉るような苦しさを覚えた。
あぁ、これは。
「……申し訳ありません。村長に報告した記憶はありません」