彼女の家の中は殺風景で、作業に使う物以外にも彩りのあるロラの家とは真逆である。一軒家だというのに、その光景はどちらかというと私が寝泊りに借りている部屋のように見えた。
「とはいえ私も明確に分かっているわけではないわ」
その言葉に嘘の陰りはないように思えた。全てを解明できるわけではなさそうだが、変に誤魔化されるよりはずっといい。
「魔力の奔流はこの数日ずっと感じられた。恐らく時間の経過で発動するものね」
「それが、今朝になって起動したと」
「えぇ」
恐らくは魔獣によるもの。
あの熱線とは別に、記憶に何らかの影響をもたらす魔法を置いていったのだろう。それが数日経過した後に発動し、現状のような事になっている。
「事は分かりました。ですが、この魔法は一体どのようなものなのでしょうか」
「知らない魔法だわ、恐らく独自に編み出したものでしょうね」
歌うたいも知らない、オリジナリティのある魔法というものが存在するのか。たしかに、現代において魔法は秘匿されているものだ。ひっそりと生み出されたものがあって、それでいて他の魔法使いが知る由もないものがあっても不思議ではない。
「知らないものでも防げるものなのでしょうか。魔法というものは」
「程度は大したものではないわ」
言うと、恐れ入らぬかという顔つき。人に譲ってはいないという自信の色が、その表情には現れていた。
魔獣が有する魔法にも強弱があるらしい。カタツムリの魔獣のように、人ではないものが放つ不可思議は強力な印象があるが、なるほど。たしかに半蛇の魔法はその限りではなかった。
「なるほど。ではロラに記憶があるのは、防いだからなのですね」
「……いいえ、それは違うと思うわ」
意味ありげな間を置いて、彼女はすっと言い放った。
「ロラは弾いたわけではないのですか?」
「発動するタイミングがとてもシビアだったのよ。私は歌っている間弾くことが出来たけど、ロラは違う。魔法が起動すると同時に弾くなんてこと、ロラには無理だわ。あの子は、そちらには特化してない」
「では、ロラはどうして?」
それは、そう呟いて大きな瞳を伏せる。目を閉じることで一つ間を作ったのかもしれないし、単に脳内を整理するためである可能性も否定できない。
ただ、長いよく揃った睫毛が伏せられたその様は、まるで翅のようだと思った。
「……分からないわね」
例えば澄んだ湖、その深みと綺麗さを添えたような。彼女の目は、そんな濁りない眼をしていた。
「分からない、ですか?」
「えぇ、明確には。もちろんロラだって並の子じゃないわ。だから私の想像を超えて防いだ可能性もなくはない。でもそれよりは」
そこまで言って、刺し通すような眼差しで、こちらを見る。まるで私に要因があるかのように。
「あなたの影響だと思うわ、騎士様」
慮外な一言を放つ。
私には無関係な話であると思っていたため、虚をつかれたような気持ちになった。魔法とは一番関係のない私が、それを防ぐ要因になったなど、まさか円滑に呑み込める話ではない。
「お待ちください。私には魔法を防ぐ手立てなどありません。私自身、どうして記憶を有しているのか」
「あなたが受けた祝福が、それほど強いものなのよ」
刃物で物を断ち切るように、中途から言葉を奪われた。
「騎士様、今朝ロラとは話したかしら」
首肯する。
早起きの理由。そして、もしもう一度魔獣が現れたとしたら、なんて話をした覚えがある。
「恐らくその頃に魔法が起動したのね。ロラは近くにいたあなたに宿る祝福によって、忘却の魔法から逃れた」
また、祝福。
祝福とは何か。
過去に何度か聞こうとしたが、しかし彼女はどうしてか答えてはくれないのだ。そして、その理由も。
ただ、なるほど。
あれは早朝の話だった。
昨夜は警戒していて、今朝はしていない。現象が現れる瞬間としては、説明のつく時間帯である。
十分な状況説明。
十分すぎる回答。
私だけではここへは辿り着かなかった。直接打開策を提示されたわけではないが、何事か。それを理解できただけで、かなり前進したと言えるだろう。
「ねぇ騎士様」
ふいに、呼ばれる。
「はい、何でございましょう」
「何故私のもとに来たの。記憶があるのだから、警戒しているのでしょう」
刃物のような鋭さがある指摘。
彼女の言うことは尤もだった。警戒しなければならない、少なくともあの場でそれを知っていたのは私だけだ。
「先刻の時点で、警戒しているということを知っているのは、ロラと私だけだと思っていたのです。なのでクラリカ様が覚えていなかった場合、昼告に支障が出ると、思って」
いま思えば、最善手ではなかった。
ただそれでも、自分が迎えに行かないことで歌うたいは待ちぼうけを食らう。昼告が行われなかった場合、外で農作業を行う者が帰って来ない。
それにより、もしもう一度魔獣がやって来た場合、そちらのほうが村人に危険が及ぶだろうと判断してのことだった。
「甘く見ないで」
ほくそ笑み、しかして傲慢ではないその表情。
「この程度で私は屈しないわ。ここは私が根を下ろした場所、それだけの価値がここにはあるのよ。だから、切り抜けなさい騎士様。
ここを、本当に守護する気があるのなら」
私はその言葉で、突きのめされたように感じた。痛みいる。彼女の、魔法に対する自信と、カルムに対する気持ちに対して。
すぐに戻らなければ。
思って、私は彼女に礼を入れると、そうして彼女の家を出た。