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第118話 手紙

 その日は気もそぞろに仕事をしていたためか、業務が時間内に終わらず、結局、終電ギリギでなんとか家に帰りついた。疲れて食欲もなく、シャワーを浴びると泥のように眠った。

 スマホを確認せずに眠ってしまったので累からのメッセージに気づかずに。


 翌朝目が覚めるといつもと同じ時間で私は身支度を整え、コーヒーを沸かしている間にメイクをしてからコーヒーメーカーで出来立てのコーヒーを飲んだ。

 そしてテレビのニュースを見ながらスマホを見ると累からのメッセージに気づいた。


『結菜のことばかり考えてしまう。今日は仕事かな?次に会える日が待ち遠しいよ』


 こんな大事なメッセージをスルーしてしまっていたので、私は慌ててメッセージを返す。


『おはよう。昨日は終電で疲れていて、返信が遅くなってごめんなさい。私も累のこと思っています。今日も1日頑張ろうね!』


 送信するとすぐに既読マークがつき、返信がきた。


『おはよう。遅くまで大変だったね。今週末もまた泊まりに来てくれる?一緒に美術館にでも行かない?』


 今ちょうどモネの企画展をしているとニュースで見たので、おそらくそのことだろう。私はモネが好きなので、喜んでそのお誘いを受けることにした。


『もしかしてモネ展?だったら行きたい!』


 返信するとまたすぐに既読がついて返信がくる。


『よかった。じゃあ朝9時頃に迎えに行くから準備して待っていてね』


 そうメッセージが来てやり取りは終わった。たったこれだけの事なのに私は累と約束ができたことが嬉しくて幸せな気持ちになった。時計を見るとそろそろ出る時間になっていることに気がついて慌ててカバンを持ってスマホと鍵をカバンに入れると慌てて家を飛び出した。


 急いで歩いたため、いつもの電車に乗ることができてホッとしていたところ、私がいつもの窓際に立つと一人の男の子が私に声をかけてきた。


「あの…いつも貴方のこと見ていました。これ。俺の気持ちを書いた手紙です。どうか受け取ってください」


 その子はいかにも今時の若者という格好で、髪の毛は短く清潔感があり、鼻筋が通って涼しげな目元に引き締めた唇のかっこいい男の子だった。背が高くておそらく180はあるのではなかろうかと思うが、今まで見られていたことに気が付かなかった。周りを見ていなかったせいもあるだろうが、累以外の男の人に興味がなかったから。


「え…」


 私が戸惑っていると男の子は話を続けた。


「内定が決まって、4月から違う路線になるんです。だから最後に勇気を振り絞ってみました。明日。最後にもう一度乗るのでその時に返事を聞かせてください」


 それだけ言うと私の降りる駅になったので、私は混乱しながら手紙を手に電車を降りて会社に向かって歩き始めた。

(びっくりした。私なんてあの子から見たらおばさんだろうに…この手紙どうしよう)

 困惑しながらとりあえず手紙はカバンにしまって歩き続けた。


 その日の業務は会議がほとんどだったので、考える時間がなく、珍しく定時に上がれたので家にまっすぐ帰ると着替えてシャワーを浴びてから手紙の封を切った。


『突然の手紙。失礼します。最初に貴方に気づいたのは座っていた貴方が妊婦さんに咳を譲った時でした。貴方もあの日、ひどく顔色が悪そうなのに。どうしてそんなことをするのだろうと単純に興味を持ったのがきっかけです。その後も同じ時間、同じ場所にいる貴方を日々目で追うようになりました。座っていても老人や子供にすぐに席を譲っていて、貴方の善良さに心惹かれたのです。俺は身近にそのような善良な女の人がいなかったから尚更驚きでした。隠していてもバレてしまうと思いますが、俺はどちらかといえば荒れている部類の人間で、女関係も派手でした。でも貴方に恋をしてから過去とは訣別し、髪を黒く染め直し、大学にも毎日通って単位をとって就職先も見つけて、人生が大きく変わったのです。そのきっかけとなったのは貴女なのです。心から貴女のことを好きになってしまいましたが。きっと年下の俺は相手にならないでしょう。それでも言わずにはいられないのです。

 名前も知らない貴女のことが好きです。この気持ちに答えてくれるのならば、明日、貴女の名前を教えてください。俺の名前は工藤瑛太です』


 読み終わって私は胸が痛んだ。彼は真摯に私に思いを告げてくれている。だけど私には累がいるからお断りするしかない。でもきっとこれはまだ淡い恋心だろうから、若い彼にはこれからきっといい出会いがあるだろう。そう思って、私はその手紙を燃やした。

 捨てるのも忍びないし、とっておくのは累に対して不義理だから。彼の気持ちと一緒に燃やしてしまうのがいいと思ったのだ。

 じわじわと広がる炎に彼の思いが飲まれていく様を私はじっと見ていた。明日。彼にあったら手紙は燃やしたことを告げよう。そう思いながら私は全て炭になった手紙の残骸をベランダから空に向けて飛ばした。

サラサラと風に乗って夜空に溶けていく手紙を見ながら、彼に良い縁があることを心から祈った。


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