「笑わなくてもいいじゃないか。結菜は自分が思っている以上にモテるんだから心配なんだよ」
累はむすっとした顔をして怒った。モテると言うのなら累の方がモテるだろう。実際、街を歩くとかなりの高確率で通り過ぎる女の子たちが累のことをイケメンだかっこいいだとヒソヒソ話しているのを耳にしているから。自覚がないだろうから言ってもしょうがないし、黙っていたが、私は累にはっきりと告げる。
「モテると言うなら累の方がモテるよ。周りの人みんな累のことかっこいいって言ってるもん。新入社員に女の子がいたら高確率で累に惚れてたよ」
私が言うと累はなんでもない風に言った。
「俺は結菜一筋だから他の女の子なんて関係ないよ。でも男がやってる個人事務所なのに妙に女性の応募が多かったんだよね。でも条件に合う人がいなかったから結局雇ったのは例の2人の男の子だけどね」
それを聞いて私はほっとした。やっぱり累目当てで応募してくる人が多かったのだろう。
「それより、結菜は…仕事を辞めて俺の事務所で働いてもいいんだよ?」
「ダメだよ。そんなことしたらきっと累に甘えてちゃんと仕事しなくなっちゃうもん。だから今の仕事はやめる気はないよ。」
私はキッパリと宣言する。実際今の仕事は忙しいけどやりがいはあるし、女性社員でも出世することができるので、これ以上条件がいい会社は他にないだろう。
産休、育休や生理休暇も完備しているため、女性比率が多いのも珍しい会社だった。
「結婚しても出産しても仕事は続けたいんだ」
「そっか。結菜のことは尊重したいから。応援するよ」
「ありがとう…」
累は穏やかに微笑んで朝食の片付けを始めた。
「結菜はベッドに戻って。退屈なら本を読んで過ごすといいよ。あとでコーヒーを持っていくから」
「ありがとう。じゃあお言葉に甘えて積読を少し崩そうかな」
私はそう言って寝室に戻った。積読の中から選んだのは恋愛小説。本当はミステリーが気になったが病み上がりで頭が働いていないから、サラッと読めるものがよかったからこれにした。この小説は主人公の恋人が余命宣告を受けて付き合っている主人公と残りの時間をやり残したことリストを作ってそれをこなしていくと言う話だった。
「好きな人と最後の時を過ごす…か。私だったらどうするからなあ」
ぼんやりとそんなことを考えているとまた眠くなって眠ってしまった。体が弱っているせいか、油断するとウトウトとしてしまう。少し横になると思いの外深く眠ってしまった。
目が覚めるともう13時になっていた。
「起きた?ずっと眠っていたね」
累は私のベッドの隣に椅子を置いて読書をしながら待っていてくれたらしい。
「こんな時間まで。今日は事務所大丈夫なの?」
「ああ。安心して。今日はもう家に帰るように指示したから。元々書類だけ渡して終わりにする予定だったからね」
累は開いていた本を閉じて微笑んだ。そして私の頬を撫でてほっとした顔をした。
「熱、下がったみたいだね。測ってみて」
累はそういうと体温計を差し出してきた。熱を測ると36度5分すっかり熱が下がってしまった。
「よかった。じゃあ明日から会社に行けそうだね」
「うん。たくさん寝たから頭もスッキリしたよ」
その時私のお腹がぐ〜っとなった。
「寝てただけなのに…」
「はは。寝ていても時間が経てばお腹空いちゃうよ。すぐにご飯を用意するね」
「じゃあ私も…」
「だめ。今日は休んでいて。お願い」
累はそう言って立ち上がりかけた私をベッドに戻した。
「できるまでここで待ってて。ほら、本の続きを読んで」
「ありがとう」
私はお礼を言って読書を再開する。半分くらい読んだところで眠ってしまったので残りを読みきりたくて本に目を落とした。主人公の恋人のやりたいことリストの半分まできたところで恋人は病院から出られなくなり、リストは未消化のまま亡くなってしまう。傷心の主人公は亡くなった恋人の遺骨を分骨してもらってそれを持って残りのリストを消化して、これからも強く生きていこうと決意するという話だった。
(私だったらどうだろう。もし…累が死んでしまったら、この主人公のように前向きに生きられるだろうか)
きっと無理だろう。一人で生きていくなんて悲しすぎる。かといって後追いすることもできず、無気力なまま生きていくのだろう。
ポタリと涙が溢れていた。それは止まらなくていつの間にか泣きじゃくっていた。すごく疲れていたのだろう。今までずっと平静を装ってきた分の涙が溢れて止まらない。
記憶を失ったり、刺されたり、命の危機に瀕したのにずっとずっと涙が流れなかった。泣くのを忘れたように。
(怖かった。寂しかった。今。幸せだ)
そう。今ようやく幸せな時間を取り戻したのだ。
「累…大好き…」
そう呟いた時に扉が開いた。
「結菜…どうしたの?」
泣いている私をみて累はそっと私に歩み寄ってきてそっと私を抱きしめてくれた。
心臓がトクトクと動く音が聞こえてきて、安心してまた少し泣いた。