無事、調査を終えて屋敷へと続くあぜ道を行く。
のんびりと進むそのあぜ道の両脇には蓮華の花で美しく桃色に染められた田んぼが広がっていた。
(綺麗だな…)
と思わずうっとりしつつも、
(蓮華と言えば養蜂じゃないか!)
と思い出す。
私はやや勢い込んでベル先生に、
「なぁ、ベル先生。蜂蜜を採りたいんだが、養蜂に関する本を持っていたりしないか?」
と聞いてみた。
「ん?そう言えば、蜂の生態に関する本はあるが、養蜂の指南書の類は持っていなかったな…」
と、こちらもいかにも盲点を突かれたという感じで言うベル先生に、
「至急取り寄せなければいかんな」
と言って、ライカに、
「すまんが、ちょっと急いでくれ」
と声を掛ける。
「おいおい。なにもそんなに…」
と呆れたような声を上げるベル先生に、
「こういうのは思い立ったが吉日というからな。それに蜂蜜があれば料理の幅がぐんと広がるぞ」
と返して、駆け足になってくれたライカの背に揺られた。
ベル先生とミーニャがやや慌てたような感じで追いかけてくる。
その後ろからは、
「はははっ。忙しいご領主様だね!」
というシルフィーの笑い声が聞こえてきた。
ウキウキと走るライカに揺られて屋敷の門をくぐる。
すると、庭掃除をしていたバティスが私に気付き、
「おかえりなさいませ。何か急なことでもあったんですかっ!?」
と慌てた様子で私に近寄ってきた。
どうやら私が勢いよく門に飛び込んできたので、なにか一大事でもあったのかと思ってしまったらしい。
私はそんなバティスにやや申し訳ないという気持ちを持ちながらも、
「いや。早くうちの飯が食いたくて急いで帰ってきただけだ」
と苦笑いを浮かべながら、何かを誤魔化すような感じでそう言った。
「…それならようございました。すぐエマに伝えてまいります」
と笑顔で答えて屋敷の中へと入っていくバティスと別れてまずは厩へ向かう。
そこで、馬たちから荷物を下ろすと、
「今回もありがとうな」
とライカに声を掛け、たっぷり撫でてやってから屋敷の中へ荷物を運び入れる作業に取り掛かった。
荷物をあらかた運び入れ、後をバティスに任せるとさっそく父の執務室へ帰還の挨拶に向かう。
「ただいま戻りました」
と言ってなにやら書き物をしていた父に挨拶をすると、父はいつものようにどっしりと構えたまま、
「うむ。ご苦労だったな」
とひと言労いの言葉を掛けてくれた。
「して、首尾は?」
と聞いてくる父に、藍を発見したことと猿の魔獣が出たことを伝える。
すると、父は驚いたような表情を浮かべたあと、苦い物を食べたような顔になり、
「至急衛兵隊に伝えなければならんな。よし。私が行って来よう。お前はゆっくり休んでいてくれ」
と言って執務室を出て行ってしまった。
そんな父を見送りリビングへと向かう。
するとそこにはベル先生とエリーがのんびりお茶を飲みながら談笑する姿があった。
「ただいま」
と帰還の挨拶をすると、エリーが立ち上がり、
「おかえりなさいませ!」
とやや大きな声でそう答えてくる。
私はその瞬間、今回の冒険がようやく終わったという気分になった。
「ああ。ただいま」
ともう一度言ってソファに座る。
そこへさっそくそばにいたマーサがお茶を淹れてくれて、
「お嬢様が焼かれたリンゴのパイがございますよ」
と言ってお茶と一緒にリンゴのパイを出してきてくれた。
「きゃん!」(食べる!)
と私の胸元からコユキが器用に顔を出してリンゴのパイを要求してくる。
私はそんなコユキを微笑ましく思いつつ、抱っこ紐から出してコユキをテーブルの上に乗せてやった。
さっそくコユキが、
「きゃん!」
と鳴いてリンゴのパイにかじりつこうとする。
しかし、その瞬間マーサが、さっとパイの乗った皿を取り上げて、
「あら。コユキちゃん。これはルーカス様のものですよ?」
と言いコユキを窘めた。
コユキはハッとしたような表情になり私を見てくる。
私はその期待のこもった眼差しがおかしくて、
「ははは。いいぞ。先に食べてくれ」
と言い、マーサに目配せをした。
「ルーカス様。甘やかし過ぎはよくございませんよ?」
と苦笑いしつつ、マーサがパイの乗った皿をテーブルの上に置く。
そして、
「コユキちゃん。ちゃんとルーカス様にお礼を言って、『いただきます』してから食べるんですよ」
とコユキを撫でながら、しっかりと言い含めてくれた。
「きゃん!」(わかった!ルークありがとう。いただきます!)
と言って、さっそくコユキが勢いよくパイにかじりつく。
そんな姿を見て、マーサが、また苦笑いすると、
「ほらほら。そんなに慌てて食べるとお口の周りが汚れてしまいますからね。ゆっくりお食べないさい」
と言ってコユキの口元を軽くぬぐってやってくれた。
「ははは。慌てなくてもパイは逃げないからな。ゆっくり落ち着いて味わいなさい」
と私も親のような目線でそんな言葉を送る。
するとコユキは嬉しそうに、
「きゃん!」
と鳴いて、今度はやや上品にパイにかじりついた。
微笑ましいお茶会が始まり、みんなで一緒にリンゴのパイを食べる。
エリーが焼いてくれたというそのリンゴのパイは、しっとりとしていながらもまだどこかに歯ごたえを微かに残す絶妙な焼き加減で、リンゴの甘味が良く引き出されていた。
やがて、
「お風呂が沸きました」
というミーニャの声が掛かりお茶会はお開きになる。
私はベル先生に先を譲ると、いったん自室に戻って侯爵領と取引したい品目の中に養蜂の指南書という項目を一つつけ加えた。
続けて、今回の冒険のことを簡単に記録する。
猿の魔獣に、藍の発見。
その他にも今回の冒険でベル先生が採っていた植物の名前なんかをできる限り書き出して記録していった。
そこへ、
「おーい。風呂が空いたぞ」
というベル先生の声が扉の外から掛かる。
私はそれに、
「ああ。ありがとう」
と少し大きな声でそう返すと、さっそく旅装を解き風呂へと向かって行った。
コユキと一緒に風呂に入り、さっぱりした所で食堂に向かう。
食堂には父も含めた全員がそろっていて、私を待ってくれているような状態だった。
「すまん。待たせたな」
と軽く謝りつつ席に着く。
私が席に着くなり、父が、
「明日、エバンスが来るから詳しい話はその時にしよう」
と言ってにこりと微笑んだ。
まずは慰労をという父の気遣いに軽く頭を下げる。
やがて、エマとミーニャ、そしてマーサが料理を運んできてくれた。
食卓に辺境風の料理と私が前世の記憶から持ち込んだ色々な料理が並ぶ。
「どれも美味そうだな」
とにこやかに言いつつ、私はまず辺境名物マッシュポテトと隠し味に味噌を使った煮込みハンバーグを皿に取った。
コユキにも同じものを取ってやる。
みんなもそれぞれに好きなものを皿に取り、食事の準備が整った。
「さて。さっそくいただこうか」
という私の声に、みんなが、
「いただきます」
の声をそろえて食事が始まる。
いつも食べている素朴なマッシュポテトとふんわり食感の煮込みハンバーグを一緒に食べると、懐かしさと新鮮さが同居した、我が家の味が口いっぱいに広がった。
「きゃん!」(美味しい!)
とコユキが嬉しそうな声を上げ、ハンバーグにかじりつく。
「うふふ。よかった」
とエリーが微笑んだ。
(なるほど。これはエリーの作か)
と思いながら、しっかりとそのハンバーグを味わう。
(なるほど、味噌の隠し味はいつもの通りだが、ほんの少し違うところもあるな…。甘味が違う。また何か工夫したんだろうか?)
と思いつつ食べ進めていると、エリーがにこりと微笑んで、
「タマネギをいつもよりじっくり炒めて甘味を出してみたんですよ。あと、香辛料の配合も少し工夫してみましたの」
と嬉しそうな顔で私にそう言ってきた。
「そうか。それは美味いはずだ」
とこちらも微笑んで返す。
その後も、
「うむ。このキッシュは美味いな。ケチャップとよく合う!」
とベル先生がキッシュを頬張りながら嬉しそう言うと、それにエマが、
「あら。ありがとうございます。今日のは特別よくできましたから嬉しいですわ」
と返しながら微笑んだり、父が、
「うむ。やはり米は美味いな」
と言いながら米をかきこみ「お替り!」と声を上げるいつもの光景を繰り広げながら、我が家の食卓は普段通りの明るい笑顔に包まれた。
(帰ってきたんだな…)
と改めて思いながら私も米を頬張る。
「きゃん!」(私もお米!)
と言うコユキにも米を少し分けてやると、コユキは嬉しそうに、
「きゃん!」(ハンバーグにはお米だよね!)
と満面の笑みでそう言った。
「はっはっは。そうだな。ハンバーグには米だよな」
と笑いながら、コユキを撫でてやる。
するとコユキは嬉しそうに目を細めて私に甘えるような仕草をしてきた。
「はっはっは。食事中はいい子にしてないとまたマーサに叱られるぞ?」
と軽く冗談を言う。
そんな冗談にマーサが、
「ルーカス様?」
と苦笑いで軽く抗議してきた。
「ははは。すまん、すまん」
と笑いつつ、また米を頬張る。
コユキもなんだか嬉しそうに、
「きゃん!」
と鳴いてまたハンバーグと米を交互に食べ始めた。
楽しい食事が続く。
当たり前のようにみんなが笑顔だ。
私はその笑顔をなんだか眩しいものを見るような感じで目を細めつつ見つめ続けた。
翌日。
いつものように稽古を済ませると、手早く朝食を取って執務室に入る。
ベル先生はさっそく藍を適当なところに植え付けに行ってくれるらしい。
私は、
(本格的に栽培するとなったら藍染めの工房もつくらなければならんな…。となると、今のところ土地にも余裕があって、目立った産業がないラッテ村が最適か…)
と考えつつ衛兵隊の隊長、エバンスがやって来るのを待った。
やがて、執務室の扉が叩かれ、父とエバンスが入ってくる。
エマがすかさずお茶を淹れてくれて、さっそく話し合いが始まった。
「猿の魔獣と聞きましたが、詳しい話を聞かせてください」
というエバンスに接敵した場所や戦ってみた感想を伝える。
すると私の話を聞き終えたエバンスは難しい顔をして考え込みつつも、
「盾役が重要になってきそうですな。調査をさせる部隊にはいつもより多く盾役を配置しましょう。人数もいつもより多めの方がいいかと思いますが、何人くらいいた方がよいと思われますか?」
と割と前向きな質問を私に投げかけてきた。
私はその質問に軽くうなずきつつ、
「そうだな…。最初のうちは4人一組で、3組くらいが適当だろう。やたらと素早いが、1匹1匹の強さはゴブリンとさして変わらん。ベテランを中心に落ち着いて対応すればさほど難しい相手でもないと思うが、念のためな。…あと、わかっているとは思うが、接敵地点よりも奥にはいかないようにしてくれ」
と、やや重たい雰囲気を出しつつそう答えた。
今のところ、猿の魔獣自体はさほど脅威ではない。
むしろ脅威なのは猿の魔獣が出てきた原因の方だ。
森の奥で何が起こっているのかわからない以上、深入りはしてはいけない。
私が言うまでも無いことかもしれないが、衛兵隊を含めた全領民の命を預かる領主の身としては、どうしてもそこにひとつ釘をさしておきたいという気持ちになった。
その言葉を聞いたエバンスが、
「了解いたしました。慎重に周辺を調査させましょう」
と言い、神妙な面持ちでうなずく。
私はそれを見て安心しつつ、
「よろしく頼んだぞ。フェンリルも原因調査に協力してくれているから、くれぐれも慎重にな」
と重ねて頼んだ。
その後、最近の衛兵隊の活動の様子や細かい要望なんかを聞き取る。
どうやらそろそろ装備の一新を図りたいとのこと。
私は出来る限りその要望に応えることを約束しつつ、詳しい武器の仕様や欲しい数をまとめて提出するようエバンスに指示を出してその日の会談はそこで終了となった。
エバンスたちが帰り、今度は執務机に向かう。
「お疲れ様でした」
と言って、ミーニャが淹れてくれたお茶を飲みつつ、机の上の書類に目を向けた。
「今日からまたお仕事ですね」
と言ってミーニャが苦笑いをする。
私はその言葉に、
「ああ。そうみたいだな」
と肩をすくめて答え、とりあえず一番上に置いてあった書類をパラパラとめくった。
(ほう。雑貨屋の営業許可か…)
と思いながら微笑ましくその申請書を眺める。
どうやらこのところの産業振興の様子を見て新たに商売に挑戦する若者が現れてくれたらしい。
(未来は明るいな…)
と思いつつ、資料をめくるとやや資金計画に無理があるように思われた。
(まぁ、頑張ればなんとかなる範囲だが、無理して倒産されても困るしな…)
と考えつつ、
(焦って短期に元を取ろうとせず、10年くらいの計画でゆっくりやってくれ)
という願いを込めて書類に修正を入れていく。
そして、その書類をミーニャに渡すと、
「無理せずやれる範囲で頑張るように伝えておいてくれ」
と笑顔でその申請書を差し戻した。
「はい!」
と言って笑顔で執務室を出ていくミーニャを見送る。
そして、ひとりになった私はゆっくりと緑茶をすすり、明るい窓の外を見やりながら、
(春だねぇ…)
と、なんとも呑気なセリフを心の中でつぶやいた。
どこかで長閑に鳥が鳴く。
私はその心地よいさえずりを聞きながら、次の書類の束を手に取った。