翌日はゴブリンや狼の相手をしつつも順調進んでいく。
「旋風」の3人はずいぶんと辺境の森にも慣れてきているらしく、ゴブリンや狼を相手にしている分には何も不安に思う所は無かった。
そしてその日の野営の時間。
「明日には目的地に辿り着けそうじゃな…。一応地図上では草原となっておるが詳しい地形まではわからんから、じっくり調査させてもらうぞ」
と言うベル先生に軽くうなずき、
「ああ。なにかめぼしい物でも見つかればいいな」
と答えてミーニャが作ってくれたトマト味のスープをすする。
この日ミーニャが作ってくれたスープはトマトの酸味と甘みの中にもほのかに香辛料の香りが効いていて、前世の記憶的な感想を言えばどこかエスニックな感じがするスープだった。
そんな簡単な作戦会議を終え、交代で体を休める。
ライカ曰く、
「ぶるる…」(近くにはいないけど、遠くにちょっといるかな…)
と言うことだったので、みんなそれなりに緊張感を持って交代で見張りについた。
翌朝早く。
手早く準備を済ませ、さっそく出発する。
その日は4匹ほどのオークと遭遇したが、
「ひひん!」(まかせて!)
というライカを信じて任せたところ、例の雷の魔法を使って一瞬で片付けてくれた。
「ははは。すごいぞ、ライカ!」
と言って存分に褒めてやる。
ライカは当然嬉しそうに笑って甘えて来たが、コユキは少しムッとしたような表情を浮かべていた。
「大丈夫だ。なにせコユキはフェンリルの子だからな。焦らなくてもそのうちできるようになるさ」
と言って慰めてやる。
するとコユキはやや不貞腐れながら私に頭を擦り付けて来た。
そんなやり取りがあって順調に進むこと数時間。
そろそろ日が暮れてこようかという時間になって目的地付近に到着する。
少し小高い場所に登って全体を見渡してみると、そこはなだらかな丘陵が広がる、牧草地のようなところだった。
(美しい光景だな…)
と思い思わずその牧歌的な光景に見惚れる。
しかし、すぐに、
(いや。ここは危険な森の中だったな)
と思い出すと、少し苦笑いしつつ、気を取り直して、少しでも安全に野営できそうな場所を探した。
やがてほんの少し離れた場所に小さな水場があるのを見つけたので、みんなしてそこに移動する。
いつものようにそれぞれが手早く準備を整えると、交代で夕食をとり体を休めた。
「ぶるる」(遠いよ。こっちには来ないみたい)
というライカの言葉通り、一応何事もなく迎えた翌朝。
日の出とともにさっそく調査に移る。
辺りは一面の草原で、ベル先生曰く、
「薬草の宝庫じゃな」
ということだったので、ベル先生は嬉々としてそこいら中の草を片っ端から採取し始めた。
護衛を「旋風」の3人とミーニャに任せ、私は時々植物学の講義を受けながら、ベル先生の採取を手伝う。
切り傷に良く効く軟膏の素になる薬草や、消毒薬の材料、打ち身や歯痛など痛み全般に良く効く薬の材料など、いろんな薬草を教えてもらった。
(領民にもそうだが、衛兵隊の連中にとってもありがたい薬ばかりだな…)
と思いながら、薬草を摘んでは麻袋に詰めていく。
そんな中、ふと前世的に見覚えのある草に目が留まった。
「ベル先生。この草に見覚えはないか?」
とやや慌てた感じで聞いてみる。
するとベル先生は何気ない感じで私の手元を覗き込んできて、
「お。そいつは珍しいな。薬にもなるが、たしか染料にもなったはずじゃ。いやぁ、南方系の植物だと思っていたが、まさかここに生えておるとはのう…」
と感心したような様子で驚きながらそう言った。
「これは村で栽培に挑戦してみたい。いくつか株を採っていこう」
と言って、周辺を探り、何株かを丁寧に採取する。
そして、
(そのうち、村でジーンズが流行ったりするかもしれんな…)
と密かに思いつつ、その「藍」の株を丁寧に麻袋にしまった。
結構な量の植物を採取して、昼食をとる。
ここでも油断できないと思って昼は簡単なもので済ませることになった。
(早く帰って、エリーが作ってくれる飯が食いたい物だ…)
と思いながら、簡素なサンドイッチを腹に詰めていると、私の横でベル先生も、パサパサのパンとチーズのサンドイッチを食いながら、
「早く帰ってエリーの飯が食いたいのう」
と少し辟易としたような感じでそうつぶやいた。
2人してまったく同じことを考えていたことにおかしさを感じつつ、
「ああ、そうだな」
と感慨を込めてそうつぶやき返す。
そして、そのパサパサのサンドイッチを手早く食べ終えると私たちはまた採取の続きに取り掛かった。
途中。
グレートウルフの群れに取り囲まれたが、ベル先生が、
「まったく。無粋なやつらじゃのう…」
と、ぶつくさ言いつつ魔法で一気に殲滅してくれた。
(オークロードの時にも思ったが、あれほどの数の魔法を寸分の狂いなく操作してしまえるんだから、すごいものだな…)
と感心しつつ、採取を続ける。
そして、日暮れが近づいてきたところで、その日の採取は終了した。
「さて。明日はどうする?」
と夕食を取りながらベル先生に軽くこれからの予定を聞く。
その質問にベル先生は少し考えるような素振りを見せながら、
「…一度戻った方がよいじゃろう。猿のこともあったしな。本格的な調査はまた今度じゃ」
と言って少し残念そうな表情をのぞかせた。
なんだか少しもう訳ないような心持で、
「了解した」
と答えて具の少ないスープをすする。
そしてまた私は、
(早く帰ってエリーの飯が食いたいものだ)
と思った。
翌朝。
荷物をまとめると急いでその場を離れる。
帰り道も緊張の連続だったが、なんとか無事に切り抜けてフェンリルの縄張りの端まで辿り着くことができた。
「ようやく人心地着きましたね」
と言いつつ、ミーニャが楽しそうにスープを作ってくれる横でのんびりお茶をすする。
私は、
(こうして森の中でのんびりできるのもフェンリルのおかげだな)
と、改めて、フェンリルという存在のありがたさを実感した。
翌日。
また、あの場所へ向かう。
するとまたいつものように、
「何かあったの?」
と突然後ろから声を掛けられた。
「ああ。猿の魔獣が出た」
と後ろを振り返りつつ、真面目な表情でフェンリルに今回の異常を伝える。
その言葉にフェンリルは驚いたような顔をみせ、
「どの辺りでどのくらい出てきたの?」
と場所や数なんかの情報を私に聞いてきた。
地図を広げながらありのままを伝える。
するとフェンリルは難しい顔になって、
「どうやら奥で何かあってそうね…」
と、なんとも不吉な言葉を発した。
「なにか、とは?」
と固唾を呑んで聞く。
しかし、フェンリルは、
「…なんとも言えないわね。私もそれなりに調べてみるけど、森の奥に行くときは注意しなさい」
と言うのみで具体的なことはわからないと言ってきた。
「わかった」
とだけ答えて、軽くため息を吐く。
すると私の胸元でコユキがモゾモゾと動き、
「きゃん!」
と嬉しそうな声を上げた。
「ははは。すまんすまん」
と軽く謝りながら抱っこ紐の中からコユキを出してやる。
するとコユキは一目散に母親のもとへと駆け出していった。
いつものようにフェンリルの胸元のふさふさとした毛の中にコユキが入っていく。
そして、すぐに見えなくなると、フェンリルが、
「あら。そうだったのね。大丈夫よ。あなたもそのうち強くなれるわ」
と、いかにも母親らしいことを言った。
おそらく、コユキは今回の冒険で自分の出番がなかったことが悔しいとでも言ったのだろう。
私はそうやって悔しいと思う気持ちも成長には大切なことなんだろうなと思いながら、その微笑ましい親子の様子を優しい気持ちで見守った。
やがて、夕暮れが迫ってきたところでフェンリルが立ち上がる。
「また夏頃きなさい。それまでにはある程度のことがわかっていると思うわ」
と言いつつ、フェンリルはまたいつものように消えていなくなってしまった。
「くぅん…」
といつも以上に甘えたような声を出すコユキを抱き、優しく撫でてやりながら、
「また来ような」
と声を掛けた。
久しぶりにのんびりとした夜を過ごす。
私はコユキを抱き、ライカに寄りかかってその温もりを感じながら夜空を見上げた。
春の少し霞んだ空が、星々を幻想的に輝かせている。
(さて、帰ったらまた仕事だな…)
とそんな色気のない言葉を頭に思い浮かべた。
(まったく。私という男は…)
と思って密かに苦笑いを浮かべる。
春の夜空は相変わらずぼんやりと輝き、私たちを優しく包み込むように照らしてくれていた。
静かに目を閉じ、今回の冒険を振り返る。
やはり気になるのは猿の魔獣のことだったが、
(なに。みんながいればなんとかなるさ…)
というどこか楽観的な思いが私の胸に広がった。
そんななんの根拠もない自信にまた苦笑いを浮かべつつ、
「ふぅ…」
とひとつ深めに息を吐く。
まだ冷たさを感じる春の夜風が頬を撫でた。
軽くブランケットを掛け直して静かに息を整える。
するとたちまちいつものように穏やかな眠気がやってきた。
(呑気なものだな…)
と苦笑いしつつ、その眠気に身を委ねる。
背中からはほんのりとしたライカの温もりが伝わって来た。
(幸せだな…)
と思いつつその心地よさに体を預ける。
そして私は、
「きゃふぅ…」
というコユキの幸せそうな寝言を聞きながら、ゆっくりと意識を手放していった。