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第133話春の一コマ

田んぼの脇の雪が溶け始めたころ。

農家のおっちゃんらと一緒になって田を起こし、蓮華の種を蒔く。

去年あたりから、試験的に導入した巣箱にようやく蜂が居つくようになってくれた。

蜂蜜はそれほど取れなかったが、今年は巣箱の数も増やしたし、蜂を誘引する効果があるというジリスという植物も見つけて植えたから、おそらく順調にその数を増やしてくれるだろう。

そうすれば領のみんな、特に子供達に甘い物が行き渡るようになる。

私はそんな甘いお菓子に目を輝かせる子供たちの笑顔を想像しつつ、ウキウキとした気持ちで農作業に勤しんだ。

やがて、みんなと一緒に畔で昼飯を食い、午後も作業を続け、夕方前に屋敷に戻る。

屋敷に戻ると一番に裏庭に行き、そこで遊んでいたコユキとライカ、そしてエリーとマーサに、

「ただいま」

と声を掛けた。

「おかえりなさいませ」

と、いつものように微笑んでくれるエリーの顔を見て、なんとも言えず温かい気持ちになる。

そして、これまたいつものように、

「きゃん!」(おかえり!)

「ひひん!」(ルーク、おかえりなさい)

と言いながら私に頬ずりをしてくるコユキとライカの温もりを感じてさらにほんわかとした気持ちになった。

そこへエリーが、

「うふふ。今晩は味噌かつ丼にするそうですわよ」

と少しおかしそうに笑いながら声を掛けてくる。

どうやらエリーは、ここ最近父が味噌かつ丼を気に入ってしょっちゅう作ってくれと言ってくることを思い出しておかしくなってしまったらしい。

私もそれを聞いて

「はっはっは。気に入ってもらったのはいいが、あまり続けざまに作らないように言わんとな。ハヤシライスといい味噌かつ丼といい、あんまり続けざまに食うと体が茶色くなってしまいそうだ」

と苦笑い半分に冗談を言いエリーと一緒になって笑った。

その後、ライカにまた明日と別れを告げて三人で屋敷に戻っていく。

そして、いつものようにまずはリビングに入り晩飯ができるまでしばし家族の団欒を楽しんだ。

やがて、

「ご飯の用意ができましたよ!」

というミーニャの声を合図にみんなして食堂に移る。

シャキシャキのキャベツ、たっぷりの甘辛味噌だれ、そしてトロトロの温泉卵までついた完璧な味噌かつ丼をみんなで堪能し、その日も大満足で夕飯を終えた。


翌日。

いつものように役場に赴き仕事に励む。

テキパキと仕事を片付け、もう少しで昼時だろうかというころ、執務室にナツメを抱えたベル先生がやってきた。

「例の試験問題を作ったから見てくれ」

と言って慣れた感じでソファに腰掛けるベル先生に、

「お。さっそく作ってくれたのか」

と言って席を立ち、私もソファに腰掛ける。

そして、

「ほれ。少し難しい感じにしておいたが、どうじゃ?」

と言ってくるベル先生から紙を何枚か受け取って、さっそくその内容を確認してみた。

(……なつかしいな。子供の頃はこういうのをよくやったものだ)

と思いつつ眺めてみたが、村の子供達に出す試験問題としてはなかなかの難易度であるように思える。

そこで私は、

「ちょっと難しすぎないか?文章理解の方はともかく、算術の方はもう少し上の段階で学ぶことばかりだ」

と言ってみたが、ベル先生は「ふっ」と小さく笑い、

「なに。全部解けるとは思っておらんよ。ただ、努力と試行錯誤の過程をみてみたいだけじゃ。研究者になるなら、そういう未知の問題に突き当たった時、粘り強く立ち向かう精神が必要だからな」

と言ってきた。

私はそれに「なるほど」と納得しつつ、

「わかった。じゃぁ、それで実施できるよう調整しておこう」

と伝えて話はまとまる。

そして、その後は軽くお茶を飲みつつ世間話をしてからそれぞれ昼を食いに家に戻っていった。


それから10日ほど経ったころ。

学問所から受験希望者の人数が11人いるという報せが届く。

私は、

(そんなにいるのか…)

と驚きつつも、

(今回採用できるのはせいぜい2、3人だからなぁ…)

と、なんとも申し訳ないような気持ちになりつつ、人数分の試験問題を作る作業に取り掛かった。

試験問題を書き写しながら、コピー機の偉大さに想いを寄せる。

この世界にも活版印刷のような技術はあるが、十数枚程度なら手作業でやった方が早く済むようなものだ。

私は、

(コピーの原理はさすがに知らないからなぁ…)

と思い、前世の知識が及ぶ範囲というのも案外限られたものだということを感じながら、せっせと試験問題を書き写していった。

試験問題の作製を終え、それを学問所に届けに向かう。

学問所側に採用できるのはせいぜい2、3人だと伝えると、やや残念な顔をされたのが印象的だった。

帰り道、

(やはり学問所の上の高等教育機関、せめて中等学校まではこの領内に作りたい)

と切実に思う。

このところ綿の製造や酒の商品化の見込みが立ったことで、村の経済の先行きにも明るい見通しが見えてきた。

しかし、村には道を始めとするインフラ整備に、住居や商店の拡充、さらなる産業振興など、まだ解決しなければいけない課題が山積している。

私はそれでも、

(経済成長の恩恵はまずこの村の未来を担う子供たちのために使われなければならないんだろうな…)

と思い、

(ここが領主としての腕の見せどころか…)

と、ひとり重い荷物を背負ったような気分になりつつ、夕暮れの道を屋敷へと戻って行った。


それからさらに10日ほどたったころ。

試験の解答が届く。

さらっと眺めてみたが、どの子もよく頑張って解いてくれているのが伝わってきた。

さっそくベル先生とナツメを呼んできて、一緒に解答をくまなく確認していく。

私は同点だった3名のうちから最も字が綺麗で理路整然とした文章を書いていたジャックという名の少年を合格者に選んだ。

ベル先生とナツメもかなり悩みながらマリア、アンナという女の子二人を選びだす。

なんでも二人とも数式が理路整然としていて、それぞれの道から解答にたどり着こうとしている点が評価されたらしい。

私はその結果を持ってまた学問所に向かい、教員にそのことを伝えた。

教員曰く、その三人は特に成績優秀で真面目な性格らしいということを聞いて安心しながら役場に戻る。

そして、ベル先生とナツメに、

「準備が出来次第、訪ねてくるよう伝えておいたから、あとはよろしく頼む」

と伝えて、私も屋敷に戻っていった。

夕食の席で、バティスとエマに、

「今度役場に新人を入れることになった。といっても、まだ学問所を出たばかりの子だから、しばらくの間は礼法の勉強がてら執事やメイドの仕事を教えてやってくれ。あと、私が小さい頃に使っていた教本を侯爵領から届けてもらうから、簡単な勉強も教えてくれると助かる」

と今後のことをお願いする。

当然、バティスとエマは快く了承してくれて、ついでと言ってはなんだが、マーサも、

「貴族式の礼法と文法でしたら、私も教えて差し上げられます。時間のある時にはお手伝いさせてもらってもかまいませんか?」

と申し出てきてくれた。

その申し出をありがたく受けて、私の思っていることを伝える。

私は、役場の仕事は数年後から本格的に手伝ってもらうから、まずは勉学を優先してくれるよう頼み、

「ゆっくりで構わないし、それほど厳しくしなくてもいい。肝心なことは誠実であることの重要性を理解してもらうことだ。何をするにしてもそれが一番だからな」

と伝えた。

そんな話を聞いたエリーが、

「うふふ。またこのお屋敷が楽しくなりそうですわね」

と言って微笑む。

私はその言葉をなんとも嬉しく思い、

「ああ。きっと楽しくなるぞ」

と微笑みつつも、

(新しい出会いの後には別れもあるものだがな…)

とエリーたちの今後を思って少し切ない気持ちにもなった。

その夜。

久しぶりに自室でほんの少し酒を飲む。

ジェイさんからもらった酒精の強い酒は、なんとも刺激的だったが、さすがはジェイさんが勧めてくれる酒だけあって、酒精の刺激の奥にはしっかりとしたうま味が感じられた。

「ふぅ…」

と息を吐き、何気なく窓の外を見る。

春ならではのぼんやりとした印象の満月に薄く雲がかかる様子はなんとも風流で、私に、

(春だねぇ…)

というなんとも呑気なひと言を心の中でつぶやかせた。

しかし、次の瞬間、

(来年の今頃はどうなっているのだろうか…)

という不安な気持ちが浮かび上がってくる。

侯爵様の言う通りなら、きっと来年の今頃、エリーはこの領を旅立っていくことだろう。

私はそのことを思ってなんともアンニュイな気持ちでぼんやりとした印象の月を見つめた。

(まぁ、なるようにしかならんのだがな…)

と思って、また、

「ふぅ…」

と息を吐く。

そんな私の足元に珍しく遅くまで起きていたコユキが寄って来て、

「くぅん…」

と甘えたような声で頭をこすりつけてきた。

おそらく、もう寝ようとでも言いたいのだろう。

私はそんなコユキを微笑ましく思って抱き上げ、

「そうだな。今日はもう寝ような」

と優しくそう声を掛けた。

コユキはそれに答えるかのように、

「きゃぅ…」

と鳴いて私の腕の中で目を閉じる。

私はそんなコユキを軽く撫でてやるとゆっくりとベッドに向かい、まずはコユキを寝かしつけてやった。

「きゃぅ…」

とコユキが気持ちよさそうな声を上げる。

その声を聞いて、私は、

(そうだな。変わらないものもあるよな)

と思い妙に心が安らかになっていくのを感じた。

私も横になって目を閉じる。

そして、

(まぁ、なるようなるさ…)

と、どこか呑気にそうつぶやくと私は一抹の不安を抱えつつも、のんびりとした気持ちでいつものように眠りに就いた。


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