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第374話 エンジニアのお仕事

『バス屋は一言多いよ』


 女子ふたりから制裁を受けるバス屋さんを見て、誰かがそう呟いた。全く全く、その通り。

 一瞬前まで「滝キレーイ!」だったのに、この場の凶暴トップ2がキレたことで一気に空気が殺伐としたので、私たちは空気を変えるために先に進むことにした。


 21層への階段に向かって一直線に進んでいると、地面に不自然な黒いものが見えた。なんだろう? と思って近付いたら宝箱だ! 一番ノーマルなはずなのに私たちにとっては一番遭遇例が少ない黒箱だね。


「あっ、黒箱だ。なにげに初めて見た」

「おー、ラッキーじゃん?」

「赤箱だったらきっといいものが入ってたんだろうな」


 あいちゃんと彩花ちゃんと蓮の感想も三者三様。黒箱の中身はレアなものは入っていないし、赤箱みたいに「開けられなかった時間の分中身がグレードアップしていく」というギミックはない。

 統計的には中身はポーション系が多いらしいんだけども、それ以外が出ることももちろんある。


 そして、当然のように隠し部屋でもなく初級ダンジョンでもないこの場の宝箱には、罠と鍵が掛かってるわけで。

 私と聖弥くんとバス屋さんの視線は、同時にあいちゃんに向いていた。


「あいちゃん、できる?」

「このために勉強してきたもんね! 腕を見せるよ」


 あいちゃんは不敵に笑い、宝箱の前にしゃがみ込む。私たちは3メートルくらいの距離を開けてダンジョンエンジニアとしての仕事をするあいちゃんを見守ることにした。


「ヤマト、モンスターが襲ってこないように警戒しててね」


 こういうところを襲撃されると危ないからヤマトに護衛を頼むと、ヤマトはウォォォーンと遠吠えをした。その声に乗ってちょっと不思議な感覚が……ああ、これは威圧だね。確かにこれなら周りのモンスターも襲ってこない。


「外観チェック……鍵穴以外の穴なし、匂いもなし。地面に不自然な跡もなし」


 罠によって判別方法が違うから、ダンジョンエンジニアはそれを全部覚えてどの罠が掛かっているかを見極めるんだよね。これも熟練者になってくると、パッと見ただけで何の罠か気づくらしい。

 あいちゃんはまだダンジョンエンジニアとしては経験が浅いから、罠の種類とその見分け方をひとつひとつ指差し確認しながらで潰していってるけども。


「うん、持ち上げても問題ないね。中の音を確認……あ、サラサラいってる! キノコ罠だ」


 聴診器を当てて宝箱を揺らし、中のごくごく微かな音を聞き取ったらしいあいちゃんは罠の種類を判別した。

 キノコ罠というのは開けると微細な粒子が噴出する罠で、これが付着すると激烈な痒みを催すそうだ。これは1年生で習った教科書知識。

 グレートキュアや上級ポーションで治せるけども、それが発動するまでの間にモンスに襲われたりすると危険だし、何より「トラウマ級の痒さ」で冒険者の間では凄く嫌がられている。


「アイリちゃん、頑張って」


 みんなが息を詰めてあいちゃんを見つめる中、聖弥くんがあいちゃんを励ましている。あいちゃんは聖弥くんに向かってニコッと笑ってから、腰のエンジニアツールの中の小さなボトルを取りだした。


 あいちゃんはボトルに極細の注ぎ口を付けて、その先端をそっと鍵穴に当てる。そして、ゆっくりボトルに力を掛けて中の液体を宝箱の中に流し込んだ。


「キノコ罠対処は油なんだよ。水だと温度とか湿度とかの関係で、開けたときに爆発して余計広がっちゃうケースがあるから」


 おお、ちゃんと配信を見てる人への説明もあるね。さすが配信者のあいちゃん。視聴者さんのことも考えてる。


『緊張感半端ない』

『エンジニアの罠解除の時間、いつも怖い』

『そういえば前に江東ウイングスがキノコ罠爆発させてたなあ、あれはなかなか悲惨だった』


 あいちゃんの集中が切れて罠が発動したらまずいからしゃべらなかったけど、コメントを見て「ひぃ」って思っちゃったよね。

 何も対処せずそのまま発動したら被害はエンジニアひとりで済むからパーティーのヒーラーとかが回復できるけど、爆発させたら周りにいるパーティーメンバーも巻き込まれるから大惨事だ……。


 お願いだからキノコ罠発動しませんようにと祈る私の視線の先で、あいちゃんはゆっくりと宝箱を揺らして胞子が油に包まれるようにしていた。真剣な眼差しがすっごく「ダンジョンエンジニアです」って感じだ。いつものあいちゃんとちょっと違う。


「うん、もう粉の音しないし、大丈夫」


 真剣な顔のままであいちゃんは再度聴診器を当てて確認し頷いた。宝箱を静かに地面に降ろすと、今度はワイヤーを取り出す。それを鍵穴に差し込んで少しいじると、カチッと小さな音が鳴った。


 無言でガッツポーズをするあいちゃん。なんという力強さ! 私たちももはぁーっと詰めていた息を吐き出した。


「じゃあ、開けまーす! げっ!」


 罠解除して鍵開けましたと確信したあいちゃんが蓋を開けた瞬間――キノコ胞子じゃなくて白い煙が吹き出した! その直撃を受けたあいちゃんはそのまま宝箱の上に倒れ込み、おでこを地面にぶつけるゴンという音がした。ぎゃああああああ!?


「クォーーーーーー!」

「アイリちゃん!」


『何事!?』

『あばばばばばばbbb』


 聖弥くんと翠玉が声高く叫び、私と蓮とコメント欄も悲鳴を上げている!

 一瞬混乱状態に陥ったけど、蓮がグレートキュアを使おうとした時一瞬早く翠玉がその真珠色の角を光らせた。

 その光があいちゃんを照らすと、すぐにあいちゃんは呻きながら起き上がる。今のが大慈大悲か! 凄い、上級回復魔法の上位スキルだけあって発動も早いし本当に範囲も広そう!


「…………ねえ、今私どうなってた?」


 ぶつけたおでこも大慈大悲の効果で治ってるみたいだけど、しかめ面であいちゃんが振り返る。私には昏倒したのしかわからなかったけども、叫んでなかった彩花ちゃんが冷静に「睡眠罠にやられてた」と答えた。

 そっかー、白い煙出てたもんね……ということは、あいちゃんは罠判別の時点で間違ってたってことかな?


「おっかしーなぁ……絶対サラサラいってたのに」


 罠が既に発動してしまったから、もう宝箱は安全。睡眠罠なら爆発罠と違って中のアイテムもダメにならない。

 でもあいちゃんはすっごい「解せぬ」って顔で宝箱の中を覗き込み――そして、宝箱を放り出して地面にぶっ倒れた!


「あいちゃん!?」

「アイリちゃん!」

「そーゆーことかーーーあああああ、チクショー!」


 慌てる私と聖弥くんに、ぶっ倒れたままのあいちゃんが叫ぶ。白猫帰ってこい! チクショーとか言わせちゃダメだ!


『何があった』

『判別方法は間違ってなかったように見えたけど』


 困惑気味のコメント欄を気にすることなくバス屋さんが放り出された宝箱を手にして、がくりとうなだれた。その後に続いた彩花ちゃんも眉の間に皺を寄せている。


「なに? どうしたの?」

「これは間違えるわけだよ」

「鑑定結果、【魅惑の粉薬】だ」


 バス屋さんがこっちに向けてくれた宝箱の中には、油がべっとりと染みた小さな薬包が入っていた……。


「なるほど粉の音! 罠じゃなくてアイテムの方だったんだー!」

「うっわ、油でベトベトになってる」

「油で音がしなくなったってことは、これってもうダメじゃん?」


『魅惑の粉薬は油だめだ。油に溶ける性質がある』


「油ってダメなの?」


 ときどき視聴者さんの中に「ダンジョン有識者」がいるんだよね。コメントから拾った情報が正しいのかを聖弥くんが即座に検索掛けてたけど、すぐに悲しそうに首を振った。そうか、やっぱりダメなんだ。


『黒箱に時々あるアイテム殺しトラップだな』

『何もかもが裏目に出たパターン……』

『アイリちゃんかわいそう』

『これはむしろ対処無しでいきなり開けてたら、エンジニアはやられるけどアイテムは無事だったってやつか』

『えげつない罠だなあ』


 総じて同情的で勉強になるコメントを見ながら私たちはがっくりとうなだれ、あいちゃんはショックでしばらく起き上がってこなかった。

 恐るべし黒箱……。


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