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第390話 だが断る

 私が去年の夏から通い始めた笠間自顕流の湘真館だけど、ステータスが上がりすぎてしまったので今稽古には出ていない。

 だけど、ランバージャック稽古だけは純粋に楽しいから参加している。ダンジョンは元々ストレス解消向きだけど、一番楽しいのはこれだと思うんだよ。

 木を切り倒すだけだから、「強すぎて迷惑」とかにならないし。道場にある打ち込み用の木は一撃でへし折っちゃったから、立石師範に注意されちゃったんだよね。


 今日もみんなで楽しくサザンビーチダンジョン森林エリアを丸裸にして、ドロップ品は換金して道場の運営費とジュース代になった。


 すっかり夜なのにまだ蒸し暑い潮風を浴びながら、私は倉橋くんの隣でレモンスカッシュを飲んでいた。今日の倉橋くんは鬼気迫るものがあったから、話を聞いておこうかと思って。

 まあ、彩花ちゃんのせいだと思うけどね。


「そういえば、今日は彩花ちゃん来なかったね」

「あいつ、本当にそういうところ気まぐれすぎる。はぁぁぁぁぁ」


 プシュッと音を立てながらコーラのキャップを開けて、倉橋くんは恨みの籠もったため息をついた。

 うう、私が謝る筋合いじゃないけど、ごめんって言いたくなるなあ。

 彩花ちゃんが倉橋くんをターゲットロックオンしたのは、多分だけどもふたり揃って私に振られたところに起因するんだろうし。


 彩花ちゃんは湘真館に入門してないけど、ランバージャック稽古は時々参加するんだよね。

 てか、つい昨日だった修学旅行の班分けで「倉橋くんを同じ班にするという賄賂」を他のクラスメイトから受け取ったんだから、その直後くらいはやる気見せろよって思うけど。


「彩花ちゃんってさ……乙女モードが前面に出てるときと、そうじゃない時があるんだよね」

「知ってる。前世の話だろ? 長谷部がヤマトタケルで柳川が妻だったって」

「そ、そこまで話してるんだ……なのにこの放置っぷりは本当にどうかしてるわ」


 倉橋くんが私たちの前世のことまで知ってるのは驚きだったけど、「彩花ちゃんもそこまで打ち明けたんだったらもう少し真剣にプッシュしろよー」と私は思わず頭を抱えた。

 別に多重人格というわけじゃないけども、彩花ちゃんはその時によっての気分の変わりっぷりが酷いからなあ。

 もしかすると、「ランバージャック稽古に参加したい」は小碓王おうすのみこモードの時で、「倉橋くんに好感を抱いてる」乙女モードとは相反するんだろうか。うーむ、結局自分のことでもないし、よくわからないな。


「長谷部のことが嫌いなわけじゃないんだけどさ」


 結露が付き始めたコーラのペットボトルを傾けて一気に半分くらい飲んで、暗い声で倉橋くんが呟く。


「ああいう態度取るときと取らないときの落差がでかすぎて、どういう対応をしたらいいかわからない。本音もよくわからない」

「だよねぇ……クラスの中では一番付き合いが長い私でも、わからないくらいだもん」


 言ってから気づくデジャ・ヴュ。この声のトーン、聞き覚えがあるぞ?

 頭の中を必死に検索して、ピーンときた。今の倉橋くんの言い方は、結婚式の招待状が来たときの颯姫さんの話し方と似ている。

 幸せ0%かと思っていたら、意外に結婚式でラブラブだったという驚きがあったけども、その前にルーちゃんを特訓に連れて行ったときも暗ーい声だった。


 私自身が恋愛に詳しいわけでは決してないけども、似たようなパターンを目の当たりにしたらさすがに気づくものもあるよね。


「倉橋くんさ、そこで彩花ちゃんに感情を振り回されてる時点で、もう引き返せないんじゃない? 好きの反対語は無関心って言うじゃん」

「ぐっはあああ!」

「うげええええ」


 倉橋くんが仰け反りつつ悲鳴を挙げたのと同時に、別の悲鳴が間近で起きる。慌てて振り返ったら、仰け反った勢いでぶちまけられたコーラを被った立石師範がいた。

 ……この人は、相変わらずアオハルな話を盗み聞きするのが好きだね!


「倉橋、コーラを振り回すんじゃない!」

「そこで盗み聞きしてるあんたが悪いだろ!」

「倉橋くんが正しいけど、私に気配を察知させない立石師範のステルススキルに純粋に感服しました」

「ありがとうな、柚香! うへー、ベタベタする」


 この人も強さは凄いのに性格が結構ポンコツだよね。もう少し真面目だったら副館長で師範です!」っていう貫禄が出そうなのに。


「そういえば柳川、夏合宿行かないってマジ? 本当に後悔しない?」

「えっ? もう参加締め切ったじゃん。後悔する要素って何?」


 話が逸らされたのに気づいたけども、夏合宿に行かないと後悔する要素って何だろう? ついそこが気になって聞き返してしまった。

 私が尋ねたことに、倉橋くんは目を見開いて驚いている。何その反応!?


「牛丼、食べたくないわけ?」

「あああああああ! それがあったー! 忘れてたー!」

「やめろ柚香! 俺にジュースを掛けるな!」


 今度はひっくり返った私のレモンスカッシュが盛大に立石師範に掛かった! でもそれはどうでもよくて! 今大事なのは倉橋くんの一言だよ。


「セミナーハウスの牛丼……あの牛丼ー! うう、でもそのために2泊3日の合宿に行く? 1回しか出ない牛丼のために!」

「俺は行くよ。ついでに経験値も稼げるし」

「あー、南足柄セミナーハウスの牛丼かー。あれマジでうまいよな」


 立石師範がセミナーハウスの牛丼を知ってることにも、倉橋くんの夏合宿参加理由が「牛丼のついでに経験値稼ぎ」なことにも驚いたけど、師範がしれっと混ざって会話してることにも驚くね!


「牛丼ー……悩ましいけど、だが断る! 颯姫さんが前に作ってくれたこともあるし、セミナーハウスのおばさんに聞けばレシピ教えてくれるらしいし」


 私の心の中でいろんな要素がせめぎ合っている。でも「不参加でも大丈夫」に天秤が傾いてる理由は颯姫さんの体験談があるから。食堂のおばさんにレシピを聞けば教えてくれるんだから、「夏合宿に参加しないとあの牛丼が食べられない」ってわけじゃない。


「そっか。まあ、聞いた話だと調理設備の関係で作れる量の上限は決まってるらしいから、柳川が行かなければその分俺の食べる肉が増えるんだけど」

「やだー! なにそれなにそれ! 倉橋くんに未だかつてこんなにムカついたことはないよ!」


 くっ、今回の合宿に参加しないのは、忙しい寧々ちゃんとあいちゃん、それに私と蓮と聖弥くんという「LV高すぎ組」だけなんだよね。

 他のクラスメイトが全員参加なのは、今のうちに経験値を少しでも稼いでおこうという気持ちのためかと思ってたけど、牛丼という超重要ファクターを見逃してた!


「3年生はともかく、2年生は修学旅行前にパーティーの運用確認も兼ねて参加率が高いって聞いてるぞ?」

「いや、なんで師範が冒険者科の事情に詳しいんですか」

「信じられない! 人の後ろ髪を掴んで振り回すスタイル! だが断る! 夏休みにでも班メンバーで一度ダンジョン行けばいいもん!」

「大丈夫か? 北峰の夏休みは体育祭でほぼほぼ潰れるだろ?」


 突きつけられる現実の数々が私を襲う!

 ああああ、そうだよ、体育祭もあったんだ。でも去年の記憶では夏休み序盤はまだスケジュールが詰まってなかったはず。

 なんとかなる……よね?

 最悪、連携取れなかったら私が無双するか。


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