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第415話 災厄の日・2

「いやああああああ! またぶつかる!」


 海際の道路に女性の絶叫が響く。

 横須賀市を走る県道209号線から、脇道に入った先に横須賀ダンジョンはあった。悲鳴はその道――を走る車から響いている。


「荒い! 智秋ちあきさんの運転、荒すぎる!」

颯姫さつきさんの運転じゃ、ここまで来る前に事故ってるよ」


 上野智秋はハンドルを握ると性格が変わるタイプの人間だ。颯姫は自分が運転免許を取ってから極力彼に運転をさせないようにしていたが、今回ばかりはそうも言っていられなかった。


 30分ほど前、横須賀市内のマンションで颯姫と智秋はテーブルを囲んでいた。颯姫は大学受験に向けての勉強、智秋は仕事だ。颯姫の従魔兼ペットのルーは寝室のベッドの上で長くなっている。


 以前は別々の部屋で各々の作業をしていたが、あまりに智秋が休憩下手だったために業を煮やした颯姫が同じ空間にいることを提案した。


 いつもと特に変わらない、ある意味平和な時間。それは智秋の突然の行動で終わりを告げた。


「智秋さん?」


 智秋が突然立ち上がって椅子をひっくり返した。ガタン、という音がリビングに響く。

 けれど彼はそれに気づいた様子も無く、スマホをポケットに入れて車のキーを取り上げる。


「颯姫さん、行こう」


 妙に迷いのない夫の様子に颯姫は狼狽していた。けれど、彼に釣られるように立ち上がる。


「急にどうしたの? どこに行くの?」


 慌てて部屋の隅にあるポールハンガーからバッグを取り上げようとした颯姫は、続いた智秋の一言に顔色を変えた。


「横須賀ダンジョン。戦う準備をしてきて欲しい」



 急いで防具に着替えた颯姫は、既に車のエンジンを暖めた状態で待っていた智秋の隣に座る。智秋が先に連れてきていたルーも後部座席に座っていた。

 カーナビの画面を利用したテレビからは見慣れた昼のバラエティ番組が流れていて、妙に緊張した車内の空気とはそぐわない明るい笑い声が聞こえた。


 神懸かって見える智秋の様子に、颯姫はただ従うしかなかった。

 彼女もまた、常人には視えないものを視る側の人間なのだから。

 まして、智秋はその命を取り留めるためにマナ溜まりを利用したことがある。柚香と同じくアカシックレコードに接続し、柚香よりも遥かに使いこなした彼は今でもダンジョンシステムとの繋がりがある。


「ライトさんとタイムさんとバス屋に、急いで横須賀ダンジョンに来てもらえるように頼むね」

「そうした方がいい。戦力は多い方がいいし、颯姫さんの武器がないから」


 颯姫の角材は冒険者を引退したとき、材料変換してしまった。念のため防具は取っておいたが、角材は手元で保存するには場所を食いすぎたのだ。

 ワイズマンとして戦うことは可能だが、武器の補正が無くなっている分ステータスは下がる。


「バス屋はともかく、ライトさんとタイムさんが来てくれるまでどのくらい掛かるかな……」

「でも待っていられないから、もう行くよ」

「何があったの?」


 颯姫の問いかけに、智秋は妻に視線を向けた後、厳しい顔で前を向き直す。


「ダンジョンの生成コードが書き換えられた」


 その言葉の直後、今年颯姫が買ったばかりの新車は急発進をしたのだった。


「具体的に何が変わったかまでは、接続してコードを見ないとわからない。だから、横須賀ダンジョンの4層まで行かないと。あそこが一番近い」


 制限速度を僅かに超えたスピードを出し、かなり荒いハンドル捌きで車は走る。颯姫は車内で左右に体を振られながら呻いた。


「柚香ちゃんや智秋さんみたいに、マナ溜まりに入ってコードをいじれる人が出たってこと?」

「それならいいけど、……いや、変えられた内容にもよる」


 既に智秋が異変を察知してから30分ほどが経過していた。嫌な予感にじっとりと汗を掻き始めた颯姫は、シートベルトを握りしめる。


「ただいま入りました情報です。現在、全国のダンジョンにおいて、通常では考えられないモンスターの地上出現が確認されています」


 突然画面が切り替わり、男性アナウンサーが異常事態を報じた。颯姫が息を呑んでいると智秋がチッと舌打ちをする。


「やられた、限りなく最悪の方だ! 日本のダンジョンだけで済んでるわけが無い、世界中のダンジョンからモンスターが溢れてるぞ」

「……じゃあ、ダンジョンに着く前にモンスターに遭遇するのね」

「このまま車で轢き殺すけど。計算上、角材抱えた颯姫さんと同じくらいの攻撃力はある」


 凄まじく真顔で恐ろしいことを呟いた夫に、颯姫は喉の奥で小さな悲鳴を漏らした。


 スピードを緩めず、時には信号無視までして智秋は車を走らせた。そして、進路上にあるものを見て更にアクセルを踏み込む。


「予想通りか」

「嘘っ! 本当にあれを轢くつもり!?」


 横須賀ダンジョン上層の敵は、サンドワームとエルダーゴーレムだ。どちらもあまり移動力は高くない。

 そして、先にダンジョンから外に出ていたのはサンドワームだった。


「きゃっ!」


 自分が武器を構えてサンドワームを攻撃するのと、乗った車がサンドワームに衝突するのではかなり違う。

 巨大なミミズに車がぶつかる直前、颯姫は更に車が加速したのを感じた。


 高さだけなら2メートルほどもあるサンドワームに車は突っ込んでいく。思わずぎゅっと目を瞑ると、モンスターの出現に驚いた他の車が一斉にクラクションを鳴り響かせるけたたましい音が耳に飛び込んできた。


 ――若葉マークのうちは車を必ずどこかでぶつけるものだ。だから車体が頑丈なメーカーを選べ。

 父から受けたアドバイスが頭をよぎっていき、颯姫は父と、頑丈な車体に感謝した。

 ぶつけているのは若葉マークの颯姫ではなく――免許を取って18年の智秋だが。


「た、倒した?」

「ブッ!」


 ドン、と激しい衝撃を受けてから颯姫は怖々と目を開けた。後部座席のルーは座席から転がり落ち、鼻を鳴らして怒っている。

 上級ダンジョンのモンスターとはいえ、サンドワームはあまり防御力が高いわけではない。故意にスピードを上げた車に撥ねられれば、ひとたまりもないようだった。

 サンドワームはダンジョンの中にいるときと同じように、許容量を越えたダメージを受けて消えていく。


「ダンジョンに着くまでにどのくらい倒すかな」


 平然と呟く夫に、颯姫は更に顔を青ざめさせた。



 冒険者として鍛えていなかったら、智秋の荒すぎる運転で吐いたかもしれない――そう思うほど、ダンジョンに着くまでの間に颯姫は疲弊していた。

 冒険者ではない智秋が、車を武器にしてモンスターを倒そうという姿勢がまず問題だ。


「ごめん、やっぱり私降りる! 魔法で倒しながら行った方がマシ!」


 ダンジョン入り口まであと300メートルほどという地点で、颯姫は無理矢理車から降りた。

 視界の中には、複数のモンスターがいる。得意魔法のスパークスフィアでまとめてそれらを倒しながら、ダンジョンまでの道の安全確保をする。


 横須賀ダンジョンの入り口で颯姫が目にしたのは、狭い出入り口から溢れようとするモンスターたちだった。

 一瞬絶句したが、すぐに地面に向けてアクアフロウを撃ち、ライトニングとのコンボで集団を麻痺させることに成功した。


 パラライズならより確実に足止めできるが、颯姫のMAGとモンスターのRSTで競り勝たなければならない。武器の補正がない分、「競り勝つ必要が無い」感電が足止めとしては手っ取り早い。


「颯姫さん、増援が来るまでそのまま足止めしてて!」


 颯姫が道路上のモンスターを片付けてから、智秋の乗った車がやってくる。さすがに智秋もダンジョンにそのまま突っ込もうと言うつもりはないようで、颯姫はそちらに安堵した。


「わかった、マジックポーションだけ買ってきて」


 入り口に固まっていたモンスターは動けなくなっているが、周辺には他にもモンスターがいる。それらを個別に倒しながら颯姫はチラリとスマホを確認した。

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