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第86話 百パーセント人工的

「で、いったい、なにをしてたの?」

その尋問は突然に始まった

「いったいなにって?」

問いには問いで答えよう

「だからさっきから聞いてるでしょ、昨日、どこで、なにを?」

それは


私は親の言いつけを守りますか

クラスメイトの好奇心に正直に答えますか

どちらを選んでも

自分が苦しむだけだなんて

やだ


めにものいわせたい


両刃カミソリを袖に仕込んで姉は仲間と街に出る

スカートを短くキッチリ揃えて厚手のタイツを穿きこなす

さあ

戦闘力を高めなさい

その身を冷たい風にさらせば

沈みゆく太陽を背にした影絵

うるわしいシルエット


おれも そうなりたい


「ねえ聞いてる?」とクラスメイトが尋ねる「あなたは昨日どこでなにを」

「聞いてどうする」

「どうするって」

「だからそんなこと聞いてどうするんだよ」

「どうもしないわよ、ただ」

「ただ?」

「ただ、なんていうか、ただ?」

「ただ、だからなに?」

思いつめた表情にも見えるし

弱々しくも鎮まる横顔の表情筋

その眼差しが曇る

「ただ」彼女が言ぅ「ただ」彼女が告ぐ「ただ?」彼女が問いながら責めてくる

「あなたと遊びたかっただけよ、それだけよ別に、他になんにもないわよ」

「だったら」おれは話そうとしたけれど

「約束したじゃない。なんで破るの。約束したくせに。あなたが言ったのよ。忘れたの?」

なに

約束

って

「今度ふたりで行こうって。見せてくれるって。すごくいい眺めだからって」


春は空気が冷たいまま彩りだけ華やかにするから

浮かれてしまいがちだけれど

体がついてこれなくて

ついつい他愛ない約束や思いつきの計画を立てて

すぐ近くにいる誰かを誘ってしまうのさ


誘ったことを忘れてしまうくらいに

ただの思いつき

ただの気まぐれ

だけど

そのとき確かに楽しかったんだろう

あのとき遥かに嬉い感覚で満たされて

舞いあがっていた


舞いあがっていた

そのことを思い出せる

いまも


気持ち恥ずかしいったらありゃしない

けど

ウソをつくのは違う気がした


親のいない時間だというのに

親の言いつけを守る

親のいない場所だとしても

親の顔色を伺う

こんな自分が

いまは世界でいちばん恥ずかしい


「なあ」おれが「あのさ」言おうとする「昨日のことだけど」

「うん」

「なあ」おれは「先に言っておくけど」なんとか説明しようと試みて

「うん」

じっと素直な眼差しで次の言葉を待ってくれているのがわかる

けど

おれはウソを選んでしまった

これから帰る家で待つ母の顔が思い浮かんだとたんに

おれは正直に条件反射で

親の言いつけどおりにしていました


いい子だろ

いい子でしょ

いい子にしなくちゃ

いい子でいる

いい子でいるよ

だって

ぼく

とても

いい子

親孝行


だろ


さあ急がなくちゃ

学校からの帰りぎわ時間ちょっと無駄にした

バスに間に合わなくなる

次のだと塾に遅刻する

なんとか間に合って

いつものようにノートをとって

またね またな と仲間と別れて

暗い夜道

とてもスッキリとした気分

ただいま

とてもほこらしい気分

だって勉強すごく頑張ってきた


それなのに胸が苦しくて

てんぷら料理全部リバースした

どうしたの具合が悪いの?

優しく心配そうな母の声

きっと疲れがたまってるんだろう

たまには ゆっくり やすみなさい

強く前向きで凛々しい父が肩をポン


この感情をどうやって伝えたらいい

この感覚をどうやって整えればいい

この簡明な因果を複雑怪奇に仕立ててしまいながら

この精神を複雑骨折させてしまうのは

まぎれもなくこの「自分」でしかないんだな

わかればわかるほど

苦しいっていうより どうしようもない

つらいっていうより どうにもならない

どうにでもなれやがれ と

うそぶいて


なにかに なにかを 上塗り





   #


「久しぶりだね」と、おれが声をかけると

「こないだ見かけたけどね」と言われる

「どこで」

「駅」

「どこの」

「駅」

「だからどこ」

「どこでもいいじゃない」

「あのさ」

「うん」

「次、授業?」

「あ、あたしもうこれで終わり」

「じゃあさ?」


鉄階段は錆びていて

鉄くずの匂いが潮風に混ざった

あおられるスカートおさえながら

きみがふつうについてくる

おれの後ろについてくる


「これ」


とくに絶景ではないし

写真映りがよくなるスポットでもない


「ここ」


いちおう遠くに水平線

いちおう遥かに貨物船


おれは手を伸ばし

きみは手すりをつかむみたいに



きみが流れで手をとった

無視されると思ったけれど

あまりにも不自然にグラグラしちゃう展望台だから

ごめんちょっとだけ演出してみた

パシンと払いのけられると思ってたから

内心ビクビクしてたけど



覚えているか知らないけれど

ここが『今度一緒に行こう』と『約束』していた場所だよ

もう六年も経つのか

あっというま

で永かった


おれは心のどこかで『許してね?』と甘く考えているから

気安く謝罪はしないでおくよ

きみには恨む権利がある

きみにはおれを責める権利もある

時間が解決してくれるのは傷の傷みだけ

もともと誰にも見えない心の傷ならば

痛くなくなっていればいいのかな

って思った

やっぱり甘く考えてしまう

申し訳なくて

この胸の痛みを隠し切りたい

どうか気づかないで

どうか怒ってください

いまさらなに

いまさらなによ

いまさらこれ

って

不平不満をおれに叩きつけてくれ



「いい場所だね」きみが言う

笑顔じゃないことが救いに感じられた

「だろ」おれが言う

精一杯の笑顔で

いつも鏡に向かって練習してきた笑顔で

すなわち作り笑い

潮の香りにむせぶ

ちょっとづつ髪がべたつきだした

錆びた匂いが鼻を貫いて

ふと

きみが

こっちを見ようとしている?

そんな気がして

視線を向けられる直前

おれは

くちびる意識して

あごをひく

前歯か奥歯がカツリと鳴った

鉄階段あと一段もう一段カツンと響く

だから

殴られる準備オーケー

さあ笑顔だ

百パーセント人工的

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