真っ青な顔色のひなが背中を向けて駆け出していく。
必死で隠れ場所を探そうとする後姿を見送ってから、キッチンまで移動してティーポットにお湯を注いだ。
それからリビングへと移動して、食べかけだったお菓子を呑気に頬張る。
両頬をリスのように膨らませてもぐもぐと口を動かしながら、時計の長針に視線を向けた。
隠れだして5分。
まだ合図を出そうとしない相手へ、少し急かそうかとも思ったけど可哀想になって口を閉じる。
ドカドカと響いてきた1階から2階へ走る足音に、わかりやす過ぎて思わず紅茶を吹き出しそうになった。
「…ひなはバカだよなぁ」
未だ2階の真上でドカドカと響く足音。
天井に目を向けながら、もう一度マシュマロ入りチョコ菓子に齧り付いた。
急ぐわけでもなくゆっくりと噛みしめながら、さっきひなを押し倒した時のことを思い出す。
……正直、あの時はちょっとやばかった。
ひなが本音を言って…途中ふざけようとしなかったら、本当にやばかった。
恥ずかしい。初めてだから。緊張する。嫌われたくない。準備する時間がほしい。
そう顔を真っ赤にしながら涙目で途切れ途切れ言われて、我慢出来る奴がいるんだろうか。俺偉いと思う。
こんな葛藤がどれだけ苦しいかなんて、鈍感で女のひなにはわからない。
だから、これくらいの意地悪は許されるだろ…
そう思いながら、ティーポットで紅茶のおかわりを注いだ時だった。
「…も、もういいよー!」
「……。」
2階の真上から、真剣にかくれんぼをしてるひなの声が聞こえてくる。
たぶんスタートを押したはずだから、時間は今から30秒。
ひなが隠れてる場所を見つけることに、本当は30秒もいらない。
階段を上がるのに5秒。ひな見つけたって言うのに5秒。10秒あれば全てが事足りる。
わざわざ30秒も必要だと言った理由は、自分の欲求を落ち着かせる時間が欲しかったことと、昔の自分達を思い出して懐かしみながら探したかったからだ。
一気に飲み干した紅茶のカップを机へ置いて、ゆっくりとその場を立ち上がる。
昔の、小さかった頃のひなを思い出して、自然と口角が上がっていく。
階段を上りながら思うことは、かくれんぼをした時必ず出るひなの癖。
わかりやす過ぎる癖なのに本人は一切気づかない。
すごく可愛くて愛しくて、当時の俺も胸をぎゅっと締め付けられていた。
だからわかる。わかってしまう。
今君がどこに隠れて、どこで俺が来るのを待っているのか。
階段を上りきって、迷わずひなの部屋の扉を開ける。
他には一切目もくれず、真っ直ぐと突き進んで押入れの前に屈んだ。
戸を開ける前に、目を閉じて昔の君を思い浮かべる。
俺がよく隠れる場所へ、無意識にマネをして身を隠そうとする可愛い君を、もう一度鮮明に思い浮かべる。
どんなに見つからないよう息を潜めても、鬼が俺である以上すぐに見つかってしまうんだから。
それなのに、何でまだ君はわからない…?
「…ひな、見つけた」
何でまだ、大人になってもわからないんだよ。
心の中で呟きながら、穏やかな表情で微笑んでみせる。
大人になっても俺の後を追いかけるひなを見て、愛しいと思う感情が制御出来ずに眉尻が下がってしまった。
こんなに胸を締め付けるくらい愛しいと思うのに、可愛いと思うのに…
むちゃくちゃに触りたいと思っても、まだまだ許しをもらえない。
ひなは俺のことを悪魔だって思ってんのかもしれないけど、俺からしたらひなの方が悪魔だ。
俺の顔を見た瞬間、ぎゃあああと叫び出したひなへ「うるさい」と叱りつつ右手で口元を覆う。
もごもごと言い訳か命乞いをしているひなに、しっと指を一本立てて黙らせた。
ひなが大人しくなったのと同時に鳴り響いたのは、ひなの手の中に握りしめられていたキッチンタイマーの音。
ピピピピと発し続けるタイマーを切って、視線をひなの方へゆっくりと戻す。
押入れの中で縮こまってるひなの姿が、あまり昔と変わってなくて余計可愛く思えた。
「俺が勝ったけど、もう叫ばないって約束出来る?」
「ッ…ぷは!」
コクコクと首を縦に振ったひなを確認して、スッと押さえていた右手を離す。
呼吸が苦しかったのか、またさっきと同じくらいの涙目になっていた。
どれだけ俺を誘ったら気が済むの。
そう心の中で悪態をつきながら、膝の上に肘を置いて左頬を左手で押し潰す。
呆れた目で視線を送っていたら、向こうから怒ったように質問をぶつけられた。
「な、何でわかったの?!しかもこんなに早いなんておかしい!」
「教えてやってもいいけど、そん時は俺の欲求満たしてくれる時だからね。どうする?」
「もう聞かなくて大丈夫です」
「……。」
あっさりと引いたひなへ盛大にため息をつく。
こうなることはわかってたし、結局最後は俺が折れることになるのも目に見えていた。
でも少しは期待してた部分もあって、今望みが絶たれたことにショックを受ける。
わかった、リビング戻ろう。紅茶入れたから。
気持ちを切り替えながらそう言って、その場から勢いよく立ち上がる。
前へ踏み出そうとした足が、何かに妨害されて一瞬身動きが取れなくなった。
妨害した犯人は目で確認しなくても明白で、出来るだけ明るい声でどうしたのかと問えばもじもじと体を動かし始める。
それから口にした相手の言葉は、俺の心臓をこれでもかというくらい締め付けてきた。
「い、一緒に寝てもいいよ!な、何もしないって約束してくれるなら…」
「…!」
ひなは、男のことを何にもわかってない。ひなは本当にバカだ。
バカで、鈍感で、何も知らなくて、本当にバカだけど…
「な、何もしないって約束する」
「…ん、それならいいよ」
俺の方が、もっとバカだ。
頬を染めながらもじもじと手を動かすひなの姿に、思わず即答で返してしまった。
守れそうにない約束をしたことを、この後一晩中後悔することになる。
けど始終嬉しそうにしてるひなを見たら、俺の我慢も意味があるものなのかもしれないと思えて、少しだけ心が満たされていった。
『一緒に寝てもいいですか』
触れたくて仕方がない、君の隣で
「つ、翼!この手何?!」
「俺寝相悪いから諦めて」
「な、何もしないって…普通に寝るだけって言ったじゃん!」
「恋人同士の普通に寝る行為がこれじゃないことに早く気付いてほしい」
「わ、わかってるよごめんね?!」
番外編1【fin】