何でこんなことになったんだろう。
さっきまではいつも通り平穏で、テレビ観ながら笑い合ってたのに……
いや、何でこうなったかはわかってる。
わかってはいるんだけど、どうすれば良いのかがわからないんだ。
「ひな、俺の言いたいことはわかるな?」
「……はい」
腕組をしながら仁王立ちをしている翼。その目の前で正座をしながら頭を俯けている私。
冷や汗がだらだらと流れていく中、翼のお説教はまだまだ続く。
「ひながAV観んなって言った時も、AV禁止令出した時も、正直俺は嬉しかった。何でかわかる?」
「…いいえ」
「AV観るくらいなら私で解消してって言ってんのかと思ったからだ!なのにこの有様は何だ!」
「大声でそんなこと叫ばなくても…」
ほんの少し否定の返事をしただけで翼の目はギラッと輝きを放つ。
温厚で普段怒らない翼が、こんなに怒るのはこれが2度目だ。
初めて見たのは高橋さんがイジメられてる時で…まさか2度目の怒りが自分に向けられるとは思いもしなかった。
っていうか1度目に比べて2度目の怒ってる理由は何なんだ。下らな過ぎるだろ。
翼の沸点が高いのか低いのかよくわからない。
あとどこが地雷でどう歩けば安全なのかもわからない。
「AV女優にヤキモチ焼いてんのかなって可愛く思ってた俺がバカだった」
「いやそれは焼いてたと思うよ。なんかこう…イラッとするし」
「じゃあ今晩一緒に寝ても良いんだよな?」
「だめです」
ぶわっと滝のような涙を流しながら翼が顔を俯ける。
両手で一生懸命涙を拭ってる姿に、かなり申し訳なく思う。
う゛っと心臓が痛くなって翼の側に近づこうとすれば、「だめ、まだ正座」と床に指を差されて仕方なく元の位置に戻った。
まだ続くのかこの茶番。
「親が帰ってこない絶好のチャンスなのに…何でそんなに拒否すんの?」
「親が帰ってこない時だからこそ駄目だって言ってるの」
「まじめか?!まじめなのか?!なんか俺が悪いこと言ってるみたいじゃん!」
「とりあえず落ち着こうよ翼。もう正座やめていい?」
だめ、と低く呟きながら蔑むような目で見下ろされる。
一瞬で冷静な態度に戻った翼を見て、ビクッと両肩が震えた。
たぶん、今私が言った言い訳が嘘だということに気付いてしまったんだろう。
ますます状況が危うくなって冷や汗の量は倍になっていく。
「デート中にホテルに誘えばいかにもな感じで嫌だと断られ、車は?と誘えば頭がおかしいのかと罵られ…」
「……。」
「挙句の果てに家で誘えば親に悪いからと断られ…え、何これ無理ゲーじゃね?ってなるし」
翼の口調がどんどん可笑しくなって壊れていく。
そんな姿を目だけでチラチラと覗き見ながら、体全体でぶるぶると震える。
俯いたままの額から、冷や汗がポタッと床に落ちた。
「ひな、俺の性欲が半端ないことも知ってるよな」
「…はい」
「俺が本気でAV観んのやめてんのも知ってるよな」
「…はい」
「俺このままだと欲求不満で死ぬ。我慢とかのレベル超えてるし生命の危機を感じる」
真顔で淡々と質問してくる翼が怖くて更に顔を俯ける。
もうチラッとさえも顔を見ることが出来なくなって、ただただ床を見つめた。
どうしよう。どう説明すればいいのかわからない。
翼は恥ずかしげもなく自分の気持ちを説明するけど、まだ素直じゃない癖が抜けきれてない私には、本音を言うことはすごく恥ずかしい。
というか、説明する内容があまりにも恥ずかしすぎて素直に言えるわけがない。
どうか上手く乗り切る方法を考えなければ…
頭の中で言い訳を考えていたら、さっきまで説教をしていた翼がはあっと大きなため息をついた。
上から見下ろしていた形を変えて、私に目線を合わせるように屈んでくる。
不良のような格好のまま話しかけてくる翼の表情は、さっきとは打って変わってとても穏やかだった。
「なあ、ひな。普通好きな奴と付き合って恋人同士になったら…したいって思うもんだろ?」
「……。」
「前みたいな幼馴染の関係じゃないんだから…」
「…じゃあ」
私は、幼馴染の関係の方が良かったのかもしれない。
そう言いかけた途中で、突然体が後ろへと傾いた。
言おうとした言葉は翼の口に塞がれて、そのままフローリングの床へと倒れ込む。
こんなに強引なキスをされたのは初めてだった。
翼はいつだって優しくて温厚で、どんなことがあっても私へ怒ったりはしない。
だからかな…
このキスがものすごく怒っているように感じて、体の震えが止まらなくなったのは…
呼吸をさせてもらえないほど、強くて激しい行為。
苦しくてもがくように相手の両肩を押したら、やっと翼が顔を離して距離をとってくれた。
距離をとると言っても、翼が床に両手をついて離れているだけの距離。
腕の長さ分しかない至近距離で、上から悲しそうな表情で微笑まれる。
相手の表情に目を見開いて驚いた瞬間、息切れひとつしていない翼が優しい声で呟いた。
「…冗談でも、それは言ったら駄目なやつ」
「ッ…」
途端、自分の心臓がこれでもかというくらい締め付けられる。
自分の恥ずかしい本音を隠すために、何てことを言おうとしたんだろう。
無理やりにでも遮ってくれた翼へ、ありがとうとお礼を言いたくなった。
けれどその前に、ちゃんとした本音を伝えないといけない。
求めてくれている翼に向かって、ちゃんとした理由を…わかるように説明しないといけない。
一生懸命考えた後出てきたのは、全然意味の分からない感情の羅列だった。
「は、恥ずかしくて…こ、こんな歳だけど初めてで…き、緊張したり」
「……。」
「じゅ、準備も…あ、あとて、照れ臭かったり…わからなかったり、ぺ、ぺちゃぱいだったり…嫌われたくなかったり…」
ラジバンダリ、と大昔に流行った懐かしいギャグを言いかけた瞬間もうわかったと言いたげに口を塞がれる。
またキスで塞いでくれるならまだしも、普通に右手で口を押さえられた。
真剣な話をしてる途中でふざけてしまった自分も悪いけど、止め方がさっきよりも格段に雑になっている。
もごもごと翼の右手の中で文句を言っていたら、もうふざけるなよ、と目で忠告しながら手を離された。
「…だ、だから。もう少しだけ時間を下さい」
「もう少しってどのくらい?」
「す、少し…私が心の準備出来るまで。もう少しだけ…」
「うーん…。ひなの言い分もわかった」
けど俺も、マジで限界まできてるから。
そう言った翼がいきなり勢いよく立ち上がる。
かと思ったら今度は私の体を軽々と持ち上げて、横たわった状態から床に立つよう動かされた。
不思議に思って首を傾げながら翼を見れば、ポンッと両肩に手を置かれて微笑まれる。
何だろう。爽やかに笑ってくれてるはずなのに、ものすごく怖い。
自分の顔が引きつっていくのを感じた瞬間、翼から予想も出来ないような提案をされた。
「ひな、かくれんぼしよう」
「え?!」
「昔よくやったじゃん。久しぶりだし。俺が鬼でひなが隠れる方ね」
「な、何でいきなりかくれんぼ?」
フェアに勝負して決まればお互い文句ないだろ?
そう笑いながら言った翼の言葉がいまいち理解出来なくて更に首を傾げてしまう。
意味がわからず困惑する私を見て、翼が鈍感…と低く呟いた後、信じられないような言葉を吐き捨てた。
「見つかるまでに心の準備してて。見つけたら俺の勝ちだから」
「?!」
「はいこれキッチンタイマー。30秒で設定してあるからGOサイン出したらスタート押して。30秒で見つけられなかったらひなの勝ち」
「か、隠れていい範囲は?!」
「昔と同じ。家の中全部」
翼がルール説明を簡単にした直後、無情にも強制かくれんぼが開始された。
マイペースな翼の「スタートー!」と言った合図と共に全速力で家の中を走り回る。
リビングにいる翼から出来るだけ遠く離れるように、階段をドカドカと駆け上がった。