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No.22 最終話『隣に座ってもいいですか』- 4



「…その時くらいだったと思う。ひなの姿が電車で全く見当たらなくなったのは」



そう言った翼の頬に、涙が一筋だけ伝っていく。


真剣な表情を崩すことなく前を向いているはずなのに、一筋だけ伝っていく涙が表情とは対照的で綺麗だと思った。


そんなことを、考えていた所為かもしれない。

翼が話し出す内容に理解が遅れて、ただただ綺麗なものに目を奪われてしまってたのは…


「探しても探してもいないから、痺れ切らしてひなの親に聞いたら引っ越したって言うし…」


もうそん時俺、情けないけど一晩中泣きまくった。


あの時公園で別れたはずなのに、姿が見れてるうちはまだ近くにいるような気がして。

隣の家にひながいるってわかったら、まだ側にいるような気がして。


まだバカみたいに安心しきってた。

話はしないし目は合わせないけど、ひなはまだ側にいる。


本当に姿が見えないほど遠く離れてしまうのは、もっともっと先の話だろうって…

そんな風にどっかで思ってたから、ひなの姿が見えなくなって動揺したんだと思う。


そん時はただ寂しくて悲しくて涙しか出てこなかった。

一生分泣いたんじゃないかってくらい、嗚咽出るまで泣きまくってた。


泣くのが治まっても頭ん中はひなのことしかなくて、もういないってわかってんのに駅のホームでひなの姿探してた。


電車に乗ってもひなが座って本読んでないか確認して、家の前通ったらひなの部屋の電気ついてないか確認して、無駄なことばっか続けてた。


「それから半年間、ずっと考えてた。高橋の質問の意味も、その答えが何なのかも…。そしたら俺がバカだっただけで、答えは簡単なことだった」


イジメられてるひなを助けられなかった。辛い時に側にいてやれなかった。


ひなが俺の目を見て笑ってくれるように、どんな場所でも真っ直ぐ俺を見て笑ってくれるように…

大切にしたかった。守りたかった。でも、それが出来なかった。


だから…

今度は絶対に、同じ過ちを繰り返したくない。


イジメられてる高橋を助けたい。守りたい。

笑って好きだと伝えてくれる高橋を、今度こそ大切にしたい。


無意識に、ひなの姿を重ねて高橋を守って、それが愛なんだと思っていた。

助けたい、守りたいと、そう思うことが愛なんだと思っていた。


「…高橋に別れようって伝えた時、やっとわかったかって顔で笑われた。私にはもう好きな人がいるから大丈夫。今まで守ってくれてありがとうって」

「そ、っか…」

「お互いに別れても友達でいようってなって、今でもたまに連絡取り合ってる。高橋は好きな人に想い伝えて見事両想い、今年で付き合って3年目」


なんか、真っ直ぐ突き進んでく所とか高橋らしいだろ?


そう嬉しそうに笑いながら言われると、こちらも自然と笑みが零れてくる。

彼女が今も幸せで笑っているのなら安心した。


あの時真っ白な雪のように輝いていた彼女が、悲しい色に染まるところは見たくない。

翼と別れても幸せでいるのならそれでいい。


そう思って、自分のことのように嬉しく微笑んだ時だった。


「別れた理由は説明出来たから…あとはひなの返事聞かせて」

「え…?」


私の返事待ちだと言った翼に、間抜けな顔で疑問の声を返す。

首を傾げながら翼の顔を見れば、向こうの方が驚いたような顔で目を見開いていた。


「…ひな、俺の話ちゃんと聞いてた?」

「え、ご、ごめん…ちょっとぼーっとしてあやふやな所もあった」

「今ので理解してないってことは話の前半ほぼ聞いてなかったってことじゃん」


はあっと盛大なため息をつきながら、翼が上半身をこちらへ向けてくる。

申し訳ない気持ちを払拭するため、自分が聞き逃してしまった話をもう一度思い出すよう目を瞑った。


さっき、翼が涙を流していたあの瞬間、言っていたことは何だったか。

そこから高橋さんの話になるまで、伝えようとしていたことは何だったか。


ぎゅっと目を瞑って脳内に耳を澄ませたその時、聞こえてきた翼の声は紛れもない…


『…その時くらいだったと思う。ひなの姿が電車で全く見当たらなくなったのは』


私のことだった。


翼が私の姿を探してくれたこと。私のことが恋しくて、涙を流してくれたこと。

そんな内容だった気がして、自分の聞いた記憶が信じられなくなる。


これは…私の夢なのかもしれない。

目の前で起こっていることは、私が都合よく描いてしまっている妄想なのかもしれない。



「ずっと、ひなに伝えるべきなのか悩んでた」


その頬に伝っていく綺麗な涙も…


「ひながもう吹っ切れてて幸せになってたら、混乱させるだけなんじゃないかって…ずっとずっと悩んでた」


私のことを見てくれているその真っ直ぐな目も…


「ひなに相手がいるなら今までと変わらず見守っていく。でももし、相手がいないなら…」


全部全部、私が作りだした夢なのかもしれない。

それでも、例えこれが夢なんだとしても…


今だけは、この幸せな夢に浸って…涙を流していたいと思った。



「ひなの隣に、いさせてほしい…」



そう優しく呟かれた瞬間、ドッと両目から涙が溢れ出す。

翼が流している涙の比じゃないくらい、大量の水が頬全体を濡らしていく。


涙でぐちゃぐちゃの顔を隠すように頷けば、感じたこともないような温かさに包まれた。


ああ…夢じゃなかったんだ。

こんなにも幸せで信じられないような現実が、夢じゃないんだ。


集めてくれた写真達がまたバラバラと落ちて地面に広がっていく。

幼い頃からの記憶が鮮明に蘇ってきて、このまま死んでもいいとさえ思ってしまった。


「ひな…好きだ」

「う゛…ッ、私…も!」

「うん…知ってる。写真見た時わかったから」

「そ…なの、卑怯だ」


うん…ごめん。



そう耳元で囁いた後、お帰りひな…と力強く抱きしめられる。


流れ落ちる涙が、翼の服に染みを広げていく。

これ以上悪化させないように翼から離れようとしたら、後ろから頭を押さえられて胸へ戻されてしまった。


離すもんかと行動で示しているみたいで、嬉しさと愛しさで胸がぎゅっと締め付けられる。

翼の流す涙は私の首筋へと落ちて、左肩の衣服を色濃く染めていた。


翼の温もりを感じながら、ゆっくりと瞳を閉じて今までのことを振り返る。

翼の匂いに包まれながら、真っ暗な視界で昔の自分を思い出す。



現実は、そんなに甘ったるいもんじゃない。

そう言っていた過去の自分が目の前にいたとしたら…こう伝えてあげたい。



作り話よりも、現実の方が想像も出来ないような展開があるんだと。


失敗や後悔が頭の中を埋め尽くしていた自分には、こう伝えてあげたい。


その失敗は、大人になるために必要な経験だったんだと。


この時この幸せを感じるために、必要なことだったんだと…



「ひな…」

「…ッ、な…に?」

「これからはずっと…」



俺の、隣にいて。



そう優しく呟かれた告白に、ゆっくりと頭を上げて相手の顔を見る。

泣きながらされる満面の笑顔に、言葉ではなく行動で返した。


自分の腕を翼の背中へと回して、ぎゅっと抱きしめ返す。

もうどこへも行かない。彼の側を離れたりしないと、体全体で表現してみせる。


それと同時に、彼の言っていたことを頭の中で繰り返しながら幸せを噛みしめた。



『ひなの隣に、いさせてほしい…』

『これからはずっと…俺の、隣にいて』


本当は、彼が言ってくれたことをそのままそっくり返したかった。

返事は首を振るだけで良いと言ってくれたけど、本当は声を大にして伝えたかった。


君の隣にいたいと、ずっとそう思っていたのは私の方だ。


君の隣にある特別な椅子へ、ずっと座りたいと思っていた。

私の隣にある特別な椅子へ、ずっと座ってほしいと思っていた。


今までずっと、心の中で何度も問いかけた。

彼が私へ問いかけてくれたように、私もずっとその言葉を問いかけたかった。


けどこれからは、その言葉をお互いに問いかけることは一生ないだろう。


もう君の隣も、私の隣も、愛しい人が座って笑っているんだから…




『隣に座ってもいいですか』

愛しくて堪らない、君の隣に






「…翼、そういえば相談って何聞こうとしてたの?」

「彼女3年もいなくてAV鑑賞に拍車かかってるんですけどどうしたらいいですかって」

「聞かなきゃよかった」



【fin】

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