1
うぞぞぞ…と、木の幹から大量の虫が湧いて出た!
ぱらぱらと頭の上にも虫の群れが落ちてくる。
「なんだこれ? わぁっ! 背中に入ったぁ!」
アブラムシだかトビムシだか毛虫だかにまみれてしまい、オレはパニックになった。
「落ち着け! ハジメ!」
オレの背中をミナの手がぱぁん! とはたいた。
すると、オレの内から衝撃波のようなものが発生し、虫たちを吹き飛ばした。
「わぁ! わぁああ!」
たかっていた虫はいなくなった。それは認識していたが、虫の群れが身体をはいまわる感触が残っていて、オレはしばらく悲鳴を上げて、バタバタ暴れていた。
「大丈夫だ。虫は吹き飛ばしたぞ」
「う、うん。ありがとう」
落ち着いたら、途端に恥ずかしくなった。
情けない。恥ずかしい。いたたまれない。口を利くことも出来ないくらいだ。
「突然のことでパニックになったのだろう。恥と思うほどのことではないぞ」
ミナはぽんぽんとオレの肩を叩いて、やさしく言った。
そのやさしさがオレにはツラかった。罵倒されたほうがマシかもしれない。
……でも、いつまでも黙ってうつむいているわけにはいかない。
「今のは異世界の虫なの?」
恥ずかしさをごまかすため、オレは顔を上げて尋ねた。
「おそらくこちらの世界の虫だろう。卵やサナギの形でいたものが、ハジメの魔力で孵化したのだろう」
「そんなことあるの?」
「治癒と成長は似て非なるものだが、強い魔力が注がれた場合、両方の効果が出てしまうのだ」
「つまり、力加減を間違えた…みたいな?」
そういやあの時のオレは、魔力を注入することだけを考えていた。
それが虫たちを孵化したり羽化させたりしてしまった、と。
「才能のある者、規格外に大きな魔力を持つ者にはよくあることだ」
珍しくミナがおだてるようなことを言う。
きっと落ち込んだオレをフォローしてくれているのだろうな。
ああ、こんなこと考える自分がイヤだ。
「もう一つ、虫を吹き飛ばした技は何?」
ネガティブ思考を切り換えるため、オレは別の話題に変えた。
「あれは私の霊体をハジメの霊体と反発させたのだ。応用すれば水の上を歩くことも、空を翔ることも可能になる」
「マジで!?」
思わず声を上げたオレに、「マジだぞ」とミナは笑って答えた。
「水上歩行は第三の霊鎖を、空を翔るには第四の霊鎖を解く必要があるがな」
「そんなに先かぁ」
第二の霊鎖でさえ解けるかわからないオレには、はるか先のことだ。
「では次は、霊体反発の修行をやるとしようか」
「え? それって……」
「そのように警戒するな」
つい構えてしまうオレにミナが苦笑する。
「何、単純なものだ。互いの手の平を合わせるのだ」
「う、うん」
差し出されたミナの左の手の平に、オレの右手を合わせた。
「魔力を手の平に集中し、霊体だけで押すんだ。──こんなふうに」
「おおっ?」
軽く重ねた手の平と手の平。その間に、見えない力が発生し、オレの手を押し返してきた。
これが霊体同士の反発か。
「こ、これは…!」
「腕力ではない。霊体で押し返すんだ」
ミナは手加減している。でもぐいぐい押し込まれ、腕に力が入ってしまう。
「片手ではバランスが悪いな。両手でやるぞ」
「わ、わかった」
オレとミナは向き合い、両の手の平を合わせた。そこに──
「アルプス一万尺?」
という声がかけられた。振り向くと、
「エリカさん?」
そこにいたのは、ランジェリーショップのデキるメガネの店員さん、エリカさんだった。
2
「こんな所でお目に掛かるとは、奇遇ですね。お二人さん」
銀縁のメガネをキラリン、と光らせてエリカさんが言う。
「どうしてエリカさんがここに?」
「今日はお店がお休みなもので」
言われてみれば、今日のエリカさんはスーツではなくラフな服を来ていた。
「エリカさんは一人で?」
カレシか友だちと来たのかと思ったけど、エリカさんの近くには誰もいない。
「お一人さまですよ。私、
男だったら変態だと思われるようなことを、キリっとして言うエリカさん。
それにしても、一人でもこういう場所に来る人っているんだな。そんなことを考えていると、
「お二人は正式にお付き合いをはじめたんですか?」
と、エリカさんが言った。
「うむ、先ほどからな」
不意をつかれて言葉が出ないオレに代わるように、ミナが言う。
「先ほど? ついさっき告白した、と?」
レンズの向こうで、エリカさんの目が細められた。
「その割には、こう…恋人同士が持つ雰囲気というか、においがありませんね」
じっとオレたちを見るエリカさん。
「そんなことはないぞ!」
「うん、そうそう!」
ミナとオレは同時に叫ぶと、
「ほら、こんなに仲良し!」
と、二人で手をつないだ。
「……小学生か」
オレたちを見て、エリカさんが呆れた。
「まずいな。おばば殿たちと違い、エリカは疑っているぞ」
うん、まさか一度ならず二度までも恋人のフリをすることになるなんて……。
って、今、ミナの声が、頭の中でしたぞ?
「霊体による交信だ。緊急時故、同意を得なかった。すまない」
なるほど、今オレとミナは手を握っていて、そのついでにお互いの霊体を接触させ、それで交信しているというわけだ。接触テレパシーってヤツだ。
「エリカの疑いをどう晴らしたものか……」
ミナの声が、頭の中に聞こえる。
……なんか、すごく幸せな気になるのはなんでだろう。
「接触による霊体交信は、互いの感情も伝えてしまうからな。私とハジメは親しいから…その、好意が伝わっているんだ」
ミナのテレパシーが、ちょっと熱くなった。
「そうか…ハジメも私と同じように感じてくれているのだな」
ちらりと横を見ると、ミナの耳が少し赤くなっていた。
これって、まさか……。
「あら、ふたりして幸せそうな顔をして。私の勘違いみたいですね」
「「いや! これは!」」
オレとミナはあわてて手を離してしまった。
「いえ、ホント。私、消えますので。どうか心置きなく、続きを」
そそくさと離れてゆこうとするエリカさん。
エリカさんをごまかす事には成功したけど、すごく恥ずかしい。
「ハジメ」
くいくいっとミナに袖を引かれた。
見れば周りに居る人たちが、オレたちのほうを見ている。
注目集めてる? バカップルと思われたか?
ってエリカさん、スマホ向けてるし! 他にも何人もの人がスマホやタブレットを向けている。写真まで撮ることないだろ。
「ハジメ、そっちじゃない」
「え?」
ミナに言われ、エリカさんたちがスマホを向けているのは、オレたちではないことに気づいた。
みんながスマホを向けていたのは、オレたちの後ろ、もっと高い位置だ。
その視線を追って振り向くと、
「うそ…!」
すぐ後ろにあった桜の木に花が咲いていた。
だいたい三分咲きくらいだろうか。周りが葉桜ばかりだから、一際美しく感じられる。
「ハジメが注いだ魔力が弱った木に花を咲かせたのだ」
ミナがそっと囁いた。
「今の時点でこれだ。第二の霊鎖が解かれた時、ハジメにどんな能力が発現するか楽しみだ」
そう言ってミナは微笑んだ。