1
五月末に咲いた桜の花。
それを見よう、写真を撮ろうと『桜の園』に人々が集まって来る。
「離れたほうがいいな」
「うむ」
みんなが注目しているのは桜だけど、うっかりミナの写真が撮られてしまうかもしれない。
オレたちは、そそくさと『桜の園』を後にした。
「今日は、もう帰ったほうがいいかも」
「そうだな」
少し名残惜しそうな顔をするミナ。
人の少ない場所で、もう少し過ごそうか…そんなことを考えた時、スマホが震動した。
ジョージからの連絡だった。
「大変だ! お前たちのいる公園で異変が起きているぞ!」
出るなりスマホからジョージの興奮した声が流れた。
「異変? どんな?」
やはり公園に〈ゲート〉があったのか? 大惨事とかはカンベンしてくれよ…と思いながら、通話をスピーカーに切り換える。
「桜の花が咲いたんだ!」
…………。
「五月の下旬だぞ! 咲く前なら早咲きということはあるが、散った後にまた咲くなんてあり得ないだろ?」
「あの……」
「やはり〈ゲート〉からの魔力の流入か? それとも、第二の魔物の仕業か?」
「ジョージ……」
「SNSでもバズりかけているぞ。この後──」
「ジョージ!」
興奮して止まらないジョージに、オレは大声を上げた。
「ゴメン。それオレがやった」
「……は?」
「だから、桜の花を咲かせたのオレ」
「はぁああ!?」
この後、事情を説明してジョージが落ち着くまで数分かかった。
「人騒がせな。花咲かじいさんかよ」
「ゴメン」
何度目かの「ゴメン」に、横でミナも苦笑している。
「じゃあ、これもお前の仕業か?」
そう言うとジョージがリンクを送って来た。
開くと、それは公園南側にある『水鳥の池』を映しているライブカメラの映像だった。
水鳥たちを観察するために設けられたカメラなのだろう。穏やかな水面には、水鳥たちがのんびりと浮かんでいる。
「これがどうかしたのか?」
「ハジメ!」
横からスマホをのぞき込んでいたミナが、画面の上を指差した。
カメラのフレームほぼギリギリのところに、ゆらめく光が見えた。
薄い炎、いやオーロラだろうか。謎の光は、ゆらゆらゆらめいてすぐに消えた。
「なんだこれ?」
「スプライトに似ているって話題になっている。こっちはお前の仕業じゃないんだな?」
「違うよ」
ジョージに答えた直後、ライブ映像の画面上に、またその光が現れた。数十秒間隔で出たり消えたりを繰り返しているみたいだ。
「スプライトってのは、宇宙で起きる発光現象だったっけ?」
「成層圏の上、熱圏で起きる雷放電だ。こんな低高度、しかも出たり消えたりするなんてことはあり得ない」
オレはミナのほうを見た。
「これは空間の歪みだ」
厳しい顔でミナが言う。
「それじゃあ」
「〈ゲート〉に付随した現象だ」
2
オレとミナは急ぎ、『水鳥の池』へと向かった。
広場を抜け、『原っぱ西花畑』と『渓流広場』の間を通りすぎるようにして池を目指す。
橋を渡り、ハーブ園の近くまで来た時だ。池のある方から、イヤな風が吹いてきた。
「なんだこの風?」
冷たくて、ザラザラする…そんな風だった。
「気づいたか。ただの風ではないぞ」
「それって──」
オレが言いかけた時、池から水鳥たちが飛び立った。
何十羽という数だ。池にいるすべての鳥が飛び立ったみたいだ。
いや鳥だけじゃない。池を囲む湿地にいる虫たちまでもが一斉に飛び立っていた。
ぞっとする光景だった。
生き物たちは感じているのだ。災厄が迫っていることを。
でも人間は気がつかない。
飛び立った鳥たちを、そして空の上に現れては消える不気味な光を見上げているだけだ。
「歪みがあるのは対岸だな」
ミナはそう言うと、右へと走り出した。オレもその後に続く。
反時計回りに池を回りながら、対岸を目指していると、上空からバリバリという轟音が聞こえてきた。
この音はヘリのローター音! でも姿は見えないぞ?
小走りに駆けながら、何度か空を見上げていると──
「あっ!」
あの炎みたいな空間の歪み、そこに一瞬、グリーンのヘリコプターが見えた。陸自のヘリだ。
「ミナ!」
「あのヘリとやらいう乗り物、空間の歪みに捕らわれたな」
「それで見えたり消えたりしているのか」
歪みとそこに捕らわれたヘリの真下、そこに何があるのかと確認したオレはぞっとした。
ヘリの真下にはボートハウスとレストランがあった。たくさんの人がいる。もしヘリが落ちたりしたら、大惨事だ!
「魔力を注入して歪みを中和し、ヘリを救出する」
「中和って…歪みを消したらヘリは落っこちない?」
「このままでは歪みにヘリが破壊され、破片が降り注ぐぞ」
そんな! どっちにしても大惨事じゃないか。
「だから歪みを中和・消去すると同時に、ヘリを魔力の力場で受け止め、静かに下ろすしかない」
「そんなことができるの?」
「ハジメが力を貸してくれればな」
そう言ってミナは笑ってみせた。力強い笑顔だった。
「さっきの木と同じだ。私に魔力を注げ」
「わかった!」
ミナは足を止めると、空に揺らめく空間の歪みを見上げた。
オレはミナの後ろに立ち、彼女の肩に右手を置いた。
一度、二度と深呼吸したミナは、
「はじめるぞ!」
と、宣言し、左の人差し指と中指を揃えて立て、自分の額に当てた。
オレは目を閉じ、自分の中に流れる魔力を感じとり、ミナに注ぐようイメージする。
ミナの霊体に力が満ちるのを感じた。その中にはオレの魔力もある。でもその量は、ミナと比べると十分の一もない。
こんなんでミナの助けになるのか?
「弱気になるな。ハジメならできる!」
そう言うとミナは、揃えた二本の指を上空の歪みに向けた。
ゆらめく炎みたいな空間の歪み。その中に現れたり消えたりするヘリコプター。そこにはり付くみたいに光る魔法陣が現れた。
ミナに触れているオレには、彼女の魔力が魔法陣を通して歪みに注入されているのがわかった。
光る魔法陣が回転する。魔法陣の模様を目で追えるくらいの速さだ。
みるみる歪みが力を失ってゆく。ゆらめく炎は薄くなり、反対にヘリの姿がくっきりとしてゆく。
時間にして、三秒か四秒かそこらだったと思う。
ふいに、薄い陽炎の向こうにあるみたいだったヘリの姿がはっきりと見えた。
歪みを中和して、ヘリを救い出したのだ。
「あっ!」
ほっとしたのも束の間、ヘリが落下した。
斜めに傾いたヘリが、ローターを回転させたまま落下してゆく。その下には、大勢の人々が──
その瞬間、オレの視界は真っ白い光に覆われた。
それは、ほんのわずかな時間だったらしい。
視界が戻った時、ヘリは空中で停止していた。ミナが、魔力の力場で受け止めたのだ。
ひどく静かなのはヘリのローターが止まっていたからだった。ローターの付け根──たぶんエンジンのある辺りから、黒い煙が上がっている。
呆然と人々が見上げる中、ヘリはタンポポの綿毛が落下するくらいの速度でレストラン近くの開けた場所に軟着陸した。
「ふう…」
隣でミナが大きく息を吐いた。
「すごいなミナは。何トンもあるヘリを受け止めるなんて!」
思わず叫んだオレに、ミナは、
「何を言う。これはハジメが魔力を貸してくれたからだぞ」
きょとんとした顔で言った。
「えっ? まさかオレが?」
「ヘリの回る羽根を見ろ。あれを力ずくで止められたのは、ハジメの魔力があったればだ」
マジで?
ヘリのエンジンから煙りが上がっているのって、そういうこと?
「いやいや陸自のヘリのエンジンって、千馬力とか二千馬力とかあるんだよ? それを力ずくで止めたって…あり得ないよ!」
「まさに! あり得ないほどの魔力。見事だ、ハジメ!」
にっこりと笑うミナを、オレは呆然と見つめていた。