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☆第五十二章 大輪の花が咲いた。

☆第五十二章 大輪の花が咲いた。


 薮内さんと環名ちゃんのデートは成り立たなかった。花火大会の日は土曜日で、仕事はない。

 窓際でぼんやり外を眺めていると電話がかかってきた。あき婆だ。


「今日は花火だろう、行かんのかい?」

「杏が九時半にはいつも寝てしまうし……」

「わたしも一緒に行くから、行かんか?」


 珍しい、あき婆から外出のお誘いは初めてである。慌てて麗奈も誘うが、環名ちゃんはどうしよう。


「まぁ一応メッセージだけ送っとこ」


『花火行きます。琴、杏ちゃん、あき婆、星弥、私』というメッセージを麗奈が送ったそうだ。


 あき婆は赤というより海老色? の浴衣に白系の帯を合わせていてとても妖艶な雰囲気を醸し出している。


 わたしと麗奈は私服だ。杏もいるので動きやすいようにTシャツとハーフパンツというラフすぎる格好で来た。


 会場には露店が並んで活気づいている。星弥くんが綿菓子を作っているおじさんを不思議そうに見ている。たこ焼きとベビーカステラを買って、場所とりをしようと思ったが、人だらけだ。それに小さな子どもたちがいるので、レジャーシートなどを敷いたところでうろちょろするかもしれない。


 花火があがるのは七時半から。あと四十分後くらいだ。


「ちょっとこっちおいで」


 急にあき婆に手招きされて、露店が並ぶ通りから全然違う方向へと連れていかれる。


「どこへ行くんですか?」

「特等席」

「えっ……」


 小さな商業施設の入ったビル。四階建ての建物の裏口をノックするあき婆。


「お待ちしていました」


 裏口から入って、階段を最上階までのぼり、なんと屋上まで誘導してもらう。


「わあ……」


 屋上からは景色が一望できる。


「すごすぎない⁉️ ここから花火が見られるってこと⁉️」


 鍵をあけてくれた人があき婆と何か話している。


「紹介するよ。渡部わたべさん」


 五十代か六十代くらいのおじさんで警備員の格好をしているその人に挨拶をする。


「むかし、あきさんのお店でプロポーズをさせて頂いたんです」


 渡辺さんが恥ずかしそうにそう言った。


「プロポーズ……」


 確か、前にそんな話を聞いた。


「僕は内向的な性格で勇気がでなくて、彼女に結婚を切り出せずにいました。当時はまだ正社員になって一週間という時でしたから。でも彼女が海外に行ってしまう。ってことを知って、急がないと、もうチャンスはないとあきさんに相談させて頂いたのです」


 どうやら、話を聞くとプロポーズは成功して、彼女と共にシンガポールで結婚生活を送っていたそうだ。


「今は日本に帰ってきていますが、久々にあきさんに会えてとても嬉しいです」

「うちらもこうやって特等席を用意してもらって助かるよ」


 その時、ひゅーっという音がしたと思ったら、東の空に大輪の花が咲いた。


 しばらく後からどーんという重い音が追いかけてくるように響く。


 次々とあがる花火を見つめていると、急に涙が出そうになった。

 あき婆に出会えて、麗奈に出会えて、環名ちゃんに出会えて、星弥くんに出会えて、そして……我が娘に出会えたわたしは幸せ者だ。


 五十分間、幾重に折り重なるように大輪の花が夜空を飾る。


 ただ、環名ちゃんは最後まで現れなかった。


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