「そんな理由で……」
そんな理由でホルンがここまで逆境に立たされているのだとしたら、それは不憫以外の何物でもなくて、やるせない気持ちになった。
その可能性は、あくまで可能性止まりであることを願いたいが……。
「あの子にとっては十分な理由にも感じられるわ。位階の高さは姉妹間での権威に結びつく。あの子は私と性格が違いすぎるから何一つ分かったようなことは言えないけれど、コンプレックスが強い子なのも事実だもの」
「詳しく、聞かせてもらってもいいですか?」
俺の問いかけに「そうね」と相槌を打ったオリヴィアさんは、どこから話そうかと悩んでいるように思えた。
であれば俺から訊いたほうが早いかと思い、まず気になっていた、『ノルニル』とは何かを質問してみる。
「ノルニルというのは異界の守護に関わる〝運命を覗き見る者〟の名よ。長女のウルズ、次女のヴェルダンディ、三女のスクルドからなり、過去、現在、未来を司るの。ワルキューレには来たる終末を避け異界を守護するという使命があるから、未来を司るスクルドのみ、ワルキューレも兼任する」
過去を司るウルズ。
現在を司るヴェルダンディ。
未来を司るスクルドからなる、ノルニル三姉妹……。
そこまで聞いて、「……ん?」と絡まった紐みたいに脳内が突然ややこしくなるのを感じた。
スクルドはワルキューレのなかで長姉のブリュンヒルデに並ぶような年功序列のトップでありながら、ノルニル三姉妹のなかでは末の妹になるということだろうか?
二種類の姉妹関係を持つなんて神話の世界観らしいトンチキさで、すぐに呑み込むのは困難だった。
俺が頭を捻っていると、くすりと微笑んだオリヴィアさんは人差し指を立てて話を本筋に戻す。
「だから先ほどの憶測に繋がるの。同世代とはいえ、私たちも妹のように扱ってしまったのが悪かったんでしょうけど、彼女のコンプレックスを刺激してしまっていたのは否めないわ」
だってこんなにちっちゃいんですもの……、と特に悪びれもせず、ジェスチャーを用いながらスクルドの低身長さを表してうっとりするオリヴィアさん。
俺は辟易する。
スクルド。現に会ったことはないからその実態はまだ分からないが、仮にオリヴィアさんの憶測が事実だとしたら、ワルキューレがろくでもない組織に思えるのはこいつが原因なのかもしれない。
カーラのような怠慢を許しているのも、厄災の巨獣を取り逃がしこの世界をおかしくさせたのも、全てはワルキューレの仕組みを実力の伴わない年功序列制に組み替えて驕り高ぶっているからだ。
「実力主義社会から年功序列社会へ、か……」
「それでは幼体を軽視するのも当然だ」
静かに話を聞いていたシグルドさんが冷たくそう言い放つ。しかしその言葉に、オリヴィアさんは弱々しく首を振って返答した。
「ううん、そこが結びつかないのよダァリン。あの子が捻くれていたとしても、ワルキューレとノルニル、どちらの責任の重さも彼女は重々承知しているはず。特に幼体を逃したら危険なことなんて、彼女が一番分かっているはずだわ。あの子はいったいどういうつもりで……」
重苦しい空気が場を占領する。
沈黙の時間。すると、何かを話し出しそうな気配を察知して、おもむろに他三人の視線が俯き続けていたホルンに集まった。
彼女は気の迷いを見せながらも、自身が知る限りのスクルドの評判を俺たちに共有してくれた。
「……スクルド姉様は、大変恐ろしい方だと訊いています」
それはホルンの直属の上司――討伐隊のリーダーであるワルキューレから耳にした話であるようだった。
「討伐隊はスルーズ姉様を筆頭に、十一人のワルキューレで編成された部隊でした」
「スルーズちゃん!? 戦闘が不得意で気弱だった女の子じゃない……部隊長になっていたなんて意外だわ」
「………そうなんですか?」
懐かしい名前に思わず目を細めるオリヴィアさんがいた一方、問い返すホルンの声音はいつになく冷たくて、妙にざらりと気が立つものがあった。
「……?」
思わず心配して彼女の顔色を覗き込むと、その表情は普段の彼女からはなかなか連想できない心の抜けたような顔を見せていて、その無機質さに恐ろしくなった俺は彼女を確かめるように手をぎゅっと握る。
しかし、反応が返ってくることはなく。
「……私の知るスルーズ姉様は、決してそんな方ではないです。スクルド姉様から課せられるノルマや日々の嫌味を妹に八つ当たって、部隊の成果が上がらない理由を全て私たちの責任にするような方でした」
「えっ……?」
その知られざる告発に、オリヴィアさんが息を呑み込むのを感じた。
俺だってそうだ。
ホルンのいつになく感情の読めない態度に胸のざわめきが止まらない。不安がぐつぐつと沸騰してくる。
「……………」
ホルンが口を閉ざす。言葉の重みばかりが先行していて、その背景を俺たちは一から十まで知るわけではないから、誰一人としていまの彼女に掛ける言葉を持ち合わせていなかった。
ただ、俺はホルンのことを案じた目で見つめる。
「以前の異界警備隊が、実力主義だったと聞いて……。気付きました。私が、目の敵にされていた理由。嫌われてた理由。優しくしてもらえなかった理由」
ホルンが、心のうちを吐き出す。
――我慢の限界を迎えたのを感じた。
「ホルンっ?」
「ホルンちゃん!」
俺の手を軽く振り解いて勢いよく席を立ったホルンが、タッと駆け出してどこかへ逃げてしまう。
突然のことにおろおろと困惑する俺とオリヴィアさん。
「えっ、ちょっ」
「ど、どうしましょう!?」
こんなホルンを見るのは初めてだ。その心象は想像に難くない。彼女が幸の薄い顔をする正体。劣等感を覚えている原因。
それらがこの先にある気がする。
いったいどうしたらいいか、どうするべきなのか全く分からないが――。
「俺が追いかけます! お二人はここにいてくださいッ!」
彼女を見つけるのは俺であるべきだと思った。
慌てて席を立ち団欒室を飛び出し、裏口の扉がかすかに開いているのが見えたので庭に飛び出して彼女を捜索する。
幸いにも彼女はそれほど離れておらず、俺はすぐに駆けつけることができていた。