その数時間後、しょぼしょぼと元気なく起床してきたホルンに事情を説明。夫妻に対してずっと申し訳なさそうで、最初はあまり気乗りしない顔をしていたが、俺が「いい思い出も増やしていこうぜ」と少しキザになって彼女を誘うと絆されたようになんとか受け入れてくれた。
そのやり取りを見守るオリヴィアさんの顔も、穏やかでとても優しいものだった。
かくして、翌日は東京台東区にある上野動物園へ足を運ぶことに。
前回綾姉とこういう観光地に遊びに行ったりなどしているときは、綾姉が土地勘のある人だったため彼女に道案内等を任せることができていたが、今回は俺もホルンも夫妻も誰も東京にあまり詳しくない。
そのため、田園都市線から効率よく乗り継ぐことがあまりできず、少々の時間を掛けてしまいながらも上野駅に到着、表門から入場することにした。
「おすすめは人の少ない弁天門入り口らしいが」
「やだわぁ私は正門から入りたいのっ!」
「パンダが見たいのではなかったか?」
「見る順番は私が決めるのっ!」
平日といえどもその人の数は多い。
人混みを避けて見に行きたい気持ちのあるシグルドさんと、こういう場所に足を運ぶのなら正面からまっすぐ行って楽しみたいという気持ちのオリヴィアさんの、ささやかな口論が微笑ましかった。
なお、調べてみた感じたしかに西側の弁天門入り口が一番パンダには近い。
「ぱんだ……?」
スタイルのいい美男美女カップルであるため、少しだけ注目を集めやすい夫妻。その後ろをやや離れて歩いていると、それまで静かだったホルンがようやく関心を持ってくれたのかぽつりと呟く。
俺が何かを説明してやる前に、ぐるんっと体の向きを変えて聞きつけたオリヴィアさんが興奮気味にホルンに語りかけた。
「そう! とってもかわいい動物なの! 絶対に見に行きましょうっ、ホルンちゃん!」
「えっ? あっ、えと、はっはい……っ!」
パシっと手を取られ、勢いに持っていかれる形でるんるんとご機嫌なオリヴィアさんに彼女は連行されていく。俺とシグルドさんは思わず立ち止まってその背中をただ見送る。
沈黙。ぽりぽりと頬を掻いた。
「オリヴィアさんって、わりとミーハーですよね」
「うむ……」
それが悪いわけでは決してないのだが。
お互いに苦笑しながら、その背中を追いかけることになった。
「遅いわよぅ」
散々な物言いだ。入り口で待っていてくれた二人と合流した俺たちは一グループになって中に入る。入園料は六百円で、俺でも問題なく払えそうだったが、シグルドさんがすっと手を前に出して「学生ならば自分のための時にだけ使え」とそんなことを言ってもらってしまった。
最近、他人に甘えすぎで怖くなるが、ありがたく感謝する。
中に入りしばらく進んで、真っ先にお見えするのはゾウ。動物園は様々なコーナーに分かれているので見る順番に非常に迷うが、飛びつくように次々と移動していくオリヴィアさんに半ば付き添う形で見回る。
トラ、ゴリラ、ホッキョクグマなど。
その途中、じっと食い入るように動物を見つめるホルンが置いていかれそうになっていたので、俺は彼女の隣にそっと近付いて顔色を伺う。
「楽しいか?」
少しだけ間を空けてからホルンは答えた。
「はい……はい。楽しいです。いつも目の当たりにするのは敵意を持つ魔物ばかりだから、こんなに穏やかに暮らす動物もたくさんいるんですね」
「まあな」
そんな話をしていて、ふと大晦日に見かけたカマイタチの一家のことを思い出した。
魔物は人に敵意を向けるが、敵意を向けることが目的の生命体ではないように思えた一件だった。
「ホルンは魔物のこと、どう思ってるんだ?」
尋ねるべきかは悩みつつ、気になって問う。
ホルンは遠い目をして首を振る。
「いまとなっては、分からないです。それだって当然だと思ってましたけど、でも……」
彼女は言い淀む。『もしかしたらそれも誰かの作為によるものかもしれない』――そう考えてしまうのも無理はなくて、いまの彼女は信じるべきものを探しあぐねているのだろう。
変なことを訊いた、と謝ろうとする。
しかし、彼女はこちらに振り返って「でも、」ともう一度言い直した。
「巨獣が悪なのは変わりません。私は警備小隊じゃなく討伐隊。倒せと言われていたのは居住だけですから、それだけは、揺るがないものと信じたいです」
「……そうだな」
彼女の胸を張った言葉に頷く。人に危害を加えそうな魔物には率先して立ちあがろうとして、怯えていたカマイタチには攻撃の手を緩めてしまうような彼女だ。
その本質はいまでもブレていない。
そのことに妙な安心感があった。
「あらいい雰囲気。二人ともこっち向いて〜!」
と、それは突然のことだった。
写真撮影が趣味らしいオリヴィアさんは、先ほどからこだわりの一眼レフで動物園の動物たちを夢中になって撮影し回っていたのだが、いつの間にか次なる標的に俺たちを見定めたようだ。
「えっ?」
「ちょっ……」
「もっともっと近くぅ!」
周囲の人が気付くくらい大々的に呼び掛けてくるものだから、有無も言えず、あれよあれよという間に俺とホルンは肩を寄せて記念撮影のポーズを取ることになる。
いや、ちょっと待ってくれ。
俺もホルンも困惑した顔で、ぎこちない笑みをしたツーショットがそのメモリのなかに一生残ることになってしまった。
とんでもない人だ。
あまりにも観光地にいるオリヴィアさんがパワフルなものだから、普段シグルドさんが放任気味で我関せずといった顔をしがちな理由がよく分かる。
決して嫌なわけじゃないのだが、ごっそり体力を持っていかれるのを感じた。
「いくか」
「はい」
ホルンに確認を持って、俺たちは合流しに向かう。
なんだかんだ彼女もまんざらではないみたいでホッとした。
その後、西園に移動する前に、無料休憩所を併設した食事処で一休みと昼食。美味しそうなランチで楽しく腹ごしらえしたあと、ようやくパンダと対面することになった。
「かわいい!」
その頃にはホルンも、素直に楽しげな反応を見せてくれるようになった。
「こっ、こんな動物初めて見ました……! なんなんですかあの目元っ。かわいすぎるっ……!」
オリヴィアさんほど大きくはしゃぐわけじゃないが、それでも手すりにしがみついてソワソワした様子でこちらを上目遣いし、共感を求めてくるホルンが可愛らしいものだからつい表情筋が緩む。
こんなにパンダに虜になるとは思いもしなかった。
「パンダ、思ったより元気なんだな。もっとぐうたらなイメージがあったんだけど」
「パンダは寒さに強くて熱に弱いのよね。だから夏は夏バテしてしまうけど、冬は体を温めるために活発なのよ。他のクマと違ってやる気があってかわいいわ。とってもキュートだわ」
パシャパシャと角度を変えて撮影しながら、時々豆知識のようなものを差し込んでくれるオリヴィアさんに苦笑する。あまりにもフリーダム。
人気者のパンダの観覧はグループ単位で時間制になっていて、程なくして俺たちも見終えることになった。
一通りの見どころはこれで全て回れただろうか。
「ホルンちゃん、気になる?」
「えっ、あっ、はい……パンダだったから……!」
西園の半分を埋め尽くす不忍池。その近くの売店には『パンダまん』というパンダに絡めた肉まんが販売されていて、ホルンが興味を持つ。
彼女が遠慮してしまう前にぴゅーん! とオリヴィアさんはさっそく買いに行ってしまう。
「あぁ……」
「大丈夫だよ、俺も気になってたし」
やはりわがままは言い慣れていないのか、途端に申し訳なさそうな顔をするホルンをそっと宥め、みんなで不忍池を一望できるテラスに移動することにした。
一人一つ、パンダまんを食べる。
「かわいいっ……!」
はわっと興奮を抑えきれないホルンが目の前のパンダまんを見てそんなコメントをする。パンダまんはたけのこが多く入った肉まんらしく、その見た目がデフォルメされたパンダのようで可愛らしかった。
「わ、私、食べられないかもしれないです……!」
「ん?」
………ゴメン。
可愛すぎて手の付けられないホルンに対し、俺は普通に千切って食べていたので、ホルンが未だかつてないほど信じられないようなものを見る目で俺を見てくる。
いやごめんて。
「お、おいしいぞ? これ。ほら、具がゴロゴロだ」
すぐにフォローを入れようとするけれど、しゅんと落ち込んだホルンは全てを諦めた顔でもそもそと食べ始める。
思わずオリヴィアさんとシグルドさんの顔を見る。
苦笑された。
これは俺が悪いのだろうか。