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第72話 取引

「……まあ、いいです」


 長い沈黙ののち。


 ふっ、と息を吐きながら、どこか不貞腐れたような態度でスクルドはオリヴィアさんの言葉を軽く受け流した。

 この話題は分が悪いと踏んで引くことにしたのか、それよりも有利なカードを他に手にしているからここは言わせたままにしたのか……。


 やけに大人しく不審なリアクションだ。

 オリヴィアさんも警戒したように、少し眉根を寄せ怪訝な表情をしている。

 スクルドは静かに口を開き、短く息を吸い込んで話を転がす。


「確かに、ブリュンヒルデ。貴女の言うように巨獣の追跡が難航しているのは事実です」


 事前情報からくるプライドの高さ――からは想像できないような語り出しだった。

 しかし、自身の采配の非を認めたわけではないだろう。次に彼女はホルンのほうを向くと、やはり、彼女に責任転嫁するような言葉を恥もなく並べていく。


「しかしその理由はホルン、彼女に他ありません。事のきっかけにのみならず、幾度もの抵抗・逃走による、執行部への業務妨害。そして、この地において急務となる異界の魔物の間引きに際し、彼女とその協力者の人間は一人のワルキューレを惑わした……」


 そう言いながら、スクルドは俺のことも視る。

 ……俺が関わっているワルキューレなんて数少ない。魔物の間引きという言葉から考えて、これはきっと、カーラのことを言っているのだろう。


『惑わした』だなんて、やけに被害者意識の強い言い方である。

 やはりスクルドは全てを知っているようで、何も知らない。意図してかどうかは分からないが、多角的な視点を持とうとはしていない。

 カーラが身を滅ぼしたのはただの自業自得だ。


「それらは『真実』として、現に表れている結果です」


 オリヴィアさんの言葉を引用する形でスクルドは薄ら笑いを浮かべて告げる。


「………」


 俺たちは沈黙する。ここで何を言い返したとて、スクルドらが優位に立っている状況は何も変わらない。一方的にレッテルを貼ってくる相手は、頑なに自身の間違いを受け入れることはない。

 ここでの言い争いは不毛だ。それより、スクルドがここにやってきたその目的を見抜かなければならない。


「で、あるからこそ」


 おもむろにホルンへ顔を向けたスクルドは、じわじわとその口角を吊り上げていく。さながら悪魔のような微笑みで、背筋を指でなぞられるような不快感がそこにはあった。


「貴女が『正当に評価』される場をここに設けて差し上げましょう」


 またもオリヴィアさんの言葉を引用し、スクルドはそんな提案をする。全くもって予想外で、この先の話の展開が予想つかなくなるようだった。

 正当に評価される場を与える……。言い換えれば、もう一度チャンスを与えるという話。だけど〝掟破り〟は重罪であるはずだ。何を企んでいるのかも分からないのに、目の前の餌に飛びつくことはできない。


 そう……正当な評価の場とは名ばかりで、今度こそ公の場でホルンを徹底的にこき下ろして、今度は長姉の擁護すら彼女から奪い去ろうとしている可能性もある。


 いままでホルンの境遇が境遇であっただけに、どうにも悪い方向の考えばかりが俺の脳裏を掠めていく。


 必要とあらばもう一度口を挟むのも辞さない覚悟で、息を呑んで話の成り行きを見守った。


 言葉を詰まらせるホルンに代わり、俺と同じような懸念を抱いているのだろう。険しい顔をしたオリヴィアさんが真っ向からその意図を問い質す。


「それはどういう意味かしら?」

「言葉の通りですよブリュンヒルデ。元より既定路線でもあります。それに貴女がそこまで言うのならば、実力を買ってみようではありませんか」

「……何を企んでいるの」


 ホルンを誘うのは既定路線??

 あまり答えになっていない返事に対し、オリヴィアさんは引かず、声を低くしてさらに迫る。その反応を受けて先ほどとは異なり、余裕そうにフッと鼻を鳴らしたスクルドは、ことごとしくあげつらうように語る。


「姉を思う気持ち……我々の温情からくる契約をみすみす反故にしたワルキューレに、虫のようにしぶとく生にしがみつく掟破りのワルキューレ。遺憾ながら、そのどちらの対応もいまの異界警備隊には難しい」


 オリヴィアさんも、ホルンも。

 息を詰まらせた顔をする。


 スクルドは悠々と口にする。


「――そこで新たに、『取引』をしませんかというご相談なのです」


 ……『取引』と来たか。

 これがおそらく、今日の訪問の目的。

 スクルドはどこまでもムカつく態度で、嘲り笑うように優越感に浸った言葉を吐く。


「決定権は貴女方にありますが、まぁ……。拒否されるようであれば、この身内の不始末、我々も本気で貴女方に対する『討伐隊』を編成するまで。その際巨獣の討伐が遅れてしまったとしても、それは分を弁えない貴女方の責任に他ありません」


 か、勝手なことを言いやがる……。それまで静観を続けていたシグルドさんも、その不用意な発言には憤りを感じたみたいだった。

 まるでオリヴィアさんとホルンの善良心に訴えかけ、利用するとするような言い草だ。


「取引は……。何をするの」

「先も言いましたが、巨獣討伐に際し、副産物として対応が急務の案件となってしまったのは異界の魔物の間引きです。対応してくれていたチームにも、そこの人間を起因として欠員が発生しました」


 カーラは本来、異界警備隊の第三分隊に属し、この地に出現する魔物を処理する役割を担っていたという。実際に奴と遭遇したのも仙台市の水の森公園でブラックドッグを追っていた時期だった。


「取引の内容は至極単純。これは貴女方のせいなのですから、貴女方にその穴を埋めてもらおう、という考えです」


 カーラの穴を、俺たちが埋める。

 なんとも屈辱的な話だが、感情論を抜きにすれば確かにその責任の一端はある。

 カーラはあれでも社会に与える魔物被害を食い止めてくれていたワルキューレの一人だった。


「………」


 こちらが答えを出せずにいると、スクルドはスッと口を真一文字に結んで俯いていたオリヴィアさんを視る。


「いまなお、姉のような面をして私を説教しようと言うのならば、相応の働きをしなさい。ブリュンヒルデ」


 ぴくり、とオリヴィアさんが体を震わせる。

 改めて、俺たちの立場は弱いようだ。本来やるべきことをやっていないスクルドは、ただこの上であぐらを掻いているだけだが、誰もそれを注意することはできない。

 

 奥歯を噛み締めて堪え、その取引を受け入れるしかない……。


 腐っても異界警備隊には巨獣を倒してもらい、終末を回避してもらわなくてはならないからだ。


「分かったわ……」


 オリヴィアさんは弱々しく受諾する。

 こうなってしまった以上、逃げ隠れするのではなく、傘下に下るしか択はない。

 誰もその選択に意は唱えられなかった。


「総意と見做します。レギンレイヴ」

「はっ」


 前に歩み出たレギンレイヴはケープのなかから二枚の羊皮紙を取り出した。俺には決して読み解くことのできないルーン文字らしき字体で記された書面には、下部に名前を記入する欄があり、一目で契約書だと見抜ける。


「ブリュンヒルデ」

「何かしら?」

「今回は先の出来事を不問とし、契約の更新として扱います。そのため、次に約束を破った場合は……」

「ええ、心得ているわ」


 スクルドはご満悦そうに笑む。

 次にホルンのほうを振り向いた。


「ホルン」

「は、はい」

「この契約に、以前のブリュンヒルデのような対価は必要と致しません」


 契約の対価。それは初めて耳にするものだったが、そっとオリヴィアさんは片腕の壊れたドラウプニルに手を添えるので対価がなんたるかを察する。


「それは貴女の実力を証明していただくためです。貴女との契約はひと月。ひと月後、その出来を見て貴女に対する処分を決めていきます」

「……はい」

「姉に対して文句を言うのなら、相応の価値を証明してみせなさい」

「……っ」


 ホルンは怯んだような反応を見せるが、それでもおずおずと頷いて「はい」と強かに返事をする。

 スクルドは興味が失せたように顔を背けた。


「それではここにサインを」


 二度目であるからか、大きく戸惑うこともなく粛々と応じるオリヴィアさん。対してホルンは必死に書面に目を通してから、慎重に名前を記入していく。

 思わずちらりと横のシグルドさんの顔を見たが、彼も止めに入る素振りはなかった。


 まぁ、今の状況において、ワルキューレとの争いを避けられるこの選択は、そう悪い択でもないはずだ。


 ほっと安堵したようにスクルドも息を吐く。契約の締結を確認したため、明確に上下の立場の違いが生まれたからだろうか。

 彼女は席を立つ。


「貴女方の働き、期待しています」

「………」

「来月は紅茶を用意してくださいまし、?」


 嗜虐的な笑みを浮かべたスクルドのわざとらしいそんな言葉に、異界警備隊に蔓延る悪意の大元を見る。


「それでは……レギンレイヴ、門を開けに付いてきてください」

「はっ」


 彼女はフードのワルキューレを置いて先に屋敷をあとにしようとする。立ち尽くす得体の知れないその存在を見て、思わず俺は二度見しながら「えっ?」と声を上げてしまった。


 すると、ぴたりと足を止めたスクルドが「あら? 言っていませんでしたか?」と白々しいことを言いながら振り返ってくる。


 楽しげに語る。


「貴女方の活躍を見るにあたり、監視者としてレギンレイヴとそこのワルキューレを配置します。貴女方が対応するべき魔物もこちらから伝えますので、せいぜいお励みください」

「こいつはなんなんだよ?」

「自己紹介は本人から」


 それだけ言い残したスクルドは、こつこつと踵の音を鳴らして退出する。

 その場に取り残された、正体不明の謎のワルキューレに注目が集まる。どうやらホルンも夫妻も、その正体までは知らないでいるらしい。


 十分に注目を引き寄せ、ゆっくりとそのワルキューレはフードを取り外す。

 ――と、その妙な出立ちには似合わない、朗らかなキャラクターを発露させた。


「わきゃ〜!! 興味を持ってくれて嬉しいっす!! この度ホルンの個別監視者として配属された、ワルキューレのゲルっす!! よろしくお願いしまっす!!」


 肌がびりびりと粟立つような大声。どこか聞き馴染みもあることながら、その名を聞いて俺は息を呑む。

 同時にホルンも、珍しく嫌悪感を露わにした表情をした。


「げ、ゲル……!?」


 思わず俺が名前を呼び返すと、歓喜に潤ませた瞳で彼女は嬉しそうに大きく頷く。


「はい!! うちっ――あなたに一目惚れしちゃったっす!!」

「な、何を言っているの!?」


 どストレートな告白もさることながら、ホルンもまた、珍しいくらいに憤った様子で席を立ちテーブルを叩きつけた。


 それは新たな波乱の幕開けでもあったのだ。

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