……――話はカーラの断罪が決定した、ノルニル裁判閉廷直後にまで遡る。
「まずはうちがミッドガルドに降りれるよう、ラズ姉様にはいい口実を考えてほしいっす」
志久真に対する初恋の思いの丈をラーズグリーズに披露したゲルは、全く意味が分からないと困惑を見せる姉に向かってそのような無茶振りを依頼した。
暫しの逡巡の果て、ラーズグリーズはすげなく答える。
「無理だ」
「ちょっ、どうしてっすかぁ!!」
「……お前は、未熟だろう」
酷な言葉ではあるが、渋い顔をして告げた。
ゲルの抱える課題について、姉妹のことをよく見ているラーズグリーズは無論、そのことを把握している。
世代としてはカーラやホルンと同じ時代に生まれた〈第十三期〉のワルキューレであり、末妹の一つ上の姉。ホルンが離反したいまとなっては、事実上の末妹としても認められつつある少女。
カーラを筆頭に同世代のワルキューレが着々と異界警備隊の一員としてどこかしらに配属され活躍するなか、ただ一人彼女だけがヴァルハラに留まり続けている理由がそこにはあった。
「ドラウプニルを変形させてみろ」
「……ッ」
ラーズグリーズが核心に迫る問いかけをすると、ゲルはしかめた顔をしながら拳を握り込んで押し黙る。
やはり、彼女の往年の課題はいまも解決していないようだ。
生まれつき、想像力の欠如とでもいうべきか――。
ワルキューレならばできて当然である自身のドラウプニルの形状変化が、彼女にはどうにもままならないでいた。
「お前に外界はまだ早い」
ホルンにもそうであったように、自力で乗り越えることを美徳とするスパルタ気質のラーズグリーズは、それだけを告げると車椅子の車輪に手をかける。立ち尽くすゲルに背を向け、その場を去ろうとしたときだった。
「……待ってほしいっす」
わなわなと怒気を押し殺したような声で、ゲルがラーズグリーズを呼び止める。場所は物静かな回廊であるため、液状金属が形を変えるときの音が背後で克明に聴こえた。
ラーズグリーズは椅子ごと振り返り、そこで彼女が手にする『武器』を見て思わず目を見張る。
多量に浮き出た冷や汗に、体力を消耗したのか肩で息をする姿。その疲弊しきった態度には似合わない不敵な笑みで、ゲルは自慢げに訴えかけてくる。
「これなら……文句ないっすよねェ……!?」
ラーズグリーズは息を呑んだ。
そこで見せた彼女の意地が決定打となり、この日からラーズグリーズのゲルに対する後援は余儀なくされてしまったのだ。
――そんな背景もあり、ラーズグリーズの日々は志久真らに対して連絡を取る暇もなく、流れるように過ぎ去っていく。
白を切ることには成功したが、あまりにもカーラには目の敵にされていた関係で信用があっても不審がられてしまい、スクルドやヘルヒヨトゥルからの監視の目も徐々に強まってきてしまっていた。
経過として、現在に至るまで巨獣討伐は難航しており、つい先日は別の異界でも意図的なスリップ現象を引き起こされて地上に大混乱が招かれたらしい。
長らく神秘が薄れ、異界守護の優先度が格段に落ちた状況になってしまっていた地球(ミッドガルド)の現状とは違い、他の惑星ではかねてより魔物被害が多かったためトラブルが起きても対応が追いついているが……。
徐々に深刻化していく地球の現状はスクルドにとって悩みの種であり、そこにラーズグリーズは活路を見出した。
「どうかしましたか、ラーズグリーズ」
「ああ、相談があってな。カーラの件でミッドガルドの警備を担当する第三分隊に空きがあるだろう。代わりのワルキューレを用意した」
戦線復帰は不可能の身体であるものの、その才能と不変の地位を買われて異界警備隊の戦術顧問という位置付けを確立しているラーズグリーズ。
その提案を受けたスクルドは与えられた資料に包帯越しに目を通すと、つまらそうな表情を浮かべてラーズグリーズの懐に資料を投げつける。
「末妹の件から学習をされていないのですか? ラーズグリーズ。十三期のワルキューレは
「………」
ゲルの起用に無理があることなど重々承知している。ホルンにはまだ戦闘のセンスがあったが、ゲルにはそれもない。即戦力にもならない若手を推薦するなど、非常事態における戦術顧問としてあるまじき采配ではあるが、ここにしかゲルの欲望を満たせる活路もなく。
「……理解している。が、現状暇をしているワルキューレがいるのだから使ったほうがいいと判断したまでだ」
「疑わしいですね」
「妹を育てなければ回る手も回らない」
静かな睨み合いが続く。やがて、観念したようにふっと息を吐いたスクルドは、「管制室にゲルを呼びなさい」とラーズグリーズに命ずるのだった。
その後、連れてこられたゲルは初めての経験にとても嬉しそうな顔をしていた。
「すげー!! 初めてこの部屋に入ったっす!! あ、ゲルと申しまっす! よろしくお願いしますっす!!」
騒がしいゲルに辟易とする。スクルドに睨まれた気がしたが、ラーズグリーズは顔を背けてやり過ごす。
気を持ち直した彼女は問う。
「貴女は先のノルニル裁判にも出廷していた証人のワルキューレですね。カーラとは面識があると。どういう関係だったのですか?」
「うちらはマブダチっすよ!! カーラだけがうちをウザがらないでいてくれて、うちも一人ぼっちのカーラとはよく遊んであげてたっす!」
「………。どうしてカーラがあのような目に遭ったのかは存じておりますか?」
「へっ? 知らないっす!」
頭を抱えた。スクルドが何かを言いたげにこちらを向くが、ラーズグリーズもまた呆れて言葉が出せなくなってしまっている。
仕方なく、カーラの顛末を簡単に説明してあげたあと、スクルドは意地悪く質問する。
「……と、このような経緯がありまして。貴女はホルンのことをどう思っていますか?」
「嫌いっす」
それは端的な回答だった。そこに何やら面白みを見出したのか、スクルドの口角はかすかに持ち上がる。
さらには追い討ちを掛けるように、ゲルは「あいつもうちのこと、大嫌いだと思うっすよ」と言葉を続けるものだから、スクルドはニタリと悪魔のように微笑む。
「おや。どうしてでしょう?」
「〝一つ違い〟っすから」
いがみ、いがまれ、両者の間に横たわるわだかまり。
深くは説明しようとしないゲルの不穏な気配に、スクルドは楽しげなものを視るとラーズグリーズのほうへ振り向いて告げる。
「後継育成……でしたか。ラーズグリーズ」
「? あ、ああ」
「私、妙案を思いつきました」
愉悦を浮かべた笑みでスクルドは語る。ラーズグリーズが警戒する一方、どこまで事の流れを理解しているのか、ゲルは堂々とした態度でいる。
「ああ、ゲル。貴女は素晴らしい。私の煮えくり返った腹わたを沈めるのに、貴女の存在はきっと最適なことでしょう」
「……何を考えているんだ?」
「外れなさいラーズグリーズ。ここから先は貴女に関係ない話です」
そうしてラーズグリーズは過ちに気付く。
それが、ブリュンヒルデとホルンとの契約更新に繋がっていくのだった。