「うちっ――あなたに一目惚れしちゃったっす!!」
「な、何を言っているの!?」
橙色をした外ハネのショートヘアに濃い緑色の瞳。フードの付いた外套を取っ払えばその二色を織り混ぜたようなワンピース姿のワルキューレ・ゲルは、キラキラと輝かしい瞳で俺のことを一点に見つめて告白する。
ホルンが珍しく声を張り上げて抗議した。
「べっつにぃ? そのままの意味っすけど? ハッ、なんか文句でもあるんっすかホルン!」
「〜〜〜っ、御姉様!」
挑発するようなゲルの態度に顔を赤くして言葉を呑み込んだホルンが、この場において年長であるすぐそばのオリヴィアさんに助けを求める。
とはいえオリヴィアさんも追放以来、歳の離れた妹の事情なんて把握していないからどうにもコメントをすることができず、間に立たされて困惑したようにチラチラと俺やゲルらの顔を窺っていた。
「っ!」
慌てふためいた様子のホルンは次に俺を標的に定め、「どういうことですか……!?」といまにも泣き出しそうな顔で縋りつくように問うてくる。
……いまゲルの目の前でラーズグリーズから受けた忠告のことを口にするわけにはいかない。
深呼吸一つ挟んだ俺は、言葉を選びながらゲルに話しかけた。
「俺が、天穹陸からラーズグリーズを人質にして元の世界へ帰ろうとしたとき……。偶然呼び止めようとしてきたワルキューレがお前だよな」
「はぁん……! 覚えていてくれたんすか!?」
恋に苦しむ胸を悲劇的に押さえながら、わざとらしく感激するゲルに、俺は口の端がひくつくのを感じる。
こんな厄介な性格をしているワルキューレだとは聞いていないぞラーズグリーズ……。
ここに一線を引いて距離を取るように、苦い顔をした俺は敵意を露わにして問い質した。
「いったいなんのつもりだ?」
「ひぁぁあ、顔かっこよ!」
やりづらいにも程があるだろ。
ホルンも様々な感情を込めた熱視線をこちらに向けてくるものだから、身に覚えのない修羅場に立たされているような気分になってくる。
俺が心を無にする一方、気を取り直したゲルは踵を揃え、今回の趣旨を取り戻す。
「なんのつもりも何も、今回のうちの目的はただホルンの監視だけっす! だから、警戒することはないっすよおにーさん!」
「おにーさんって言うな」
「じゃあ名前で呼ばせてくれるんすか!? 感激っす!! お名前、なんすっか!?」
全く怯むことなくグイグイと迫ってくるゲルに、先ほどホルンが言葉を呑んで周囲に助けを求めた理由がよく分かる。
こいつは、まともに相手していられない……。
ドッと心臓にのしかかる負担を感じながら、どうにか対策を練ることにする。
まずは冷静に考えてみよう。
ゲルは監視だけが目的と言うが、であれば俺に告白する必要は絶対になかったはずだ。
「……分からないな、お前らは人間と極力関わらないべきの存在のはずだろ? このことをもし俺たちがスクルドに伝えたら、立場的にお前はまずいんじゃないのか」
そう、疑問があった。掟破りに厳しい対応をする異界警備隊の面々が、人間に好意を伝えるというゲルのこの言動を、認めているのかどうかが非常に気になる。
この恋の盲目具合からして、もしも独断で動いているのだとしたらこの事実を盾に優位に立つこともできるかもしれない。
そんな俺の打算をよそに、ゲルはこれまた嬉しそうに「心配してくれるんっすか!?」とはしゃぎながら誠実に質問に答えてくれた。
「確かに、レギン姉様やスクルド姉様にバレたら大変なことっす。でも関係ないっす! うちはあの日からずっと抱えていたこの想いをどうしても伝えたかった!!」
恥ずかしげもなく愛を叫ぶゲルに、頭がくらくらとしてしまう。
こいつは後先何も考えていないのか……!?
声高に『乙女』を全力アピールするゲルに、苦々しい表情を浮かべる。ホルンも、見たことのない恐ろしい顔でゲルのことを完全に敵視していた。
渦中のテーブルにいられなくなったのか、おろおろと狼狽えた様子のオリヴィアさんは席を立ってシグルドさんのもとに駆け寄ると、彼の庇護を得て安堵している。
俺はこめかみに冷や汗が伝うのを感じる。
「うちはそこの二人とは違って、現役のワルキューレだから触れ合えないし、監視すると言っても四六時中ここにいられるってわけではきっとないと思うんす」
激情家のゲルは今度はしおらしい態度を取ると、落ち着いた声のトーンでぽつぽつ思いの丈を口にしていく。
「だから、このことは絶対に絶対に秘密だけど……。意識だけは、していてもらいたかったんす」
「……?」
「うちが、あなたの女になりたいってこと」
自然と下腹部に手を当てながら、うっとりと俺に強い好意を向けてくるゲル。
その姿に思わず言葉を失う。
……………。沈黙が残る。
この場を収める対応が、何一つ思いつかなくなっていた頃、ふいにハッと安直なひらめきをしたホルンが俺に向かってぎゅーっと抱きついてきた。
「!?」
「ハァ!?!?」
俺が驚くのも束の間、それ以上に傍観していたゲルが大声を上げて憤慨する。そのボルテージは一瞬で限界値まで沸き立つ。
俺の半身にしがみついてあからさまな独占欲を誇示したホルンは、ゲルに向かって、優越感に染まった好戦的な笑みを向けている。
こんな態度のホルンを見るのは初めてだから、俺はひたすらに戸惑ってしまった。
「ちょっ、何してんすか!!」
「しぐまは私のものですっっ!!」
立場上、俺に接近できないゲルが奥歯を噛み締めて怒りを露わにする。
ふんすっ、としてやったりの調子でいるホルンは、自分がいま何をしているのか分かっているのか分かっていないのか……。
いままでにないほど過剰なスキンシップだ。俺は全身を強張らせてただただこの時間が過ぎることを望む。
「許さない!! 許せないっす!!」
「知らない! 突然やってきて、また私の大事なものを奪う気なの!? ゲル!」
「ハァ!? うちの欲しいもの全部奪ってきたのはホルンじゃないっすか!! いまだって―――」
その瞬間だった。
ガチャリとドアノブを捻る音がして、スクルドをゲートへ送り届けたらしいレギンレイヴが室内に戻ってくるのを感じ取った。
コツコツと廊下を渡る音が鳴り響き、彼女は団欒室まで到達する。
「………」
二人は先ほどまでの口論が嘘だったように足を揃えて棒立ちの姿勢をしていた。
特にホルンも俺から離れ、緊張した面持ちでこの場をやり過ごそうとしている。
俺たちの沈黙を訝しむように、レギンレイヴは足を止めてそれぞれの顔を見渡す。
バイザー越しの訝しむような視線。ここでゲルの秘密を告げ口することも考えたが、早計だと判断していまは口を閉ざすことにする。
幸いにもレギンレイヴがそれ以上の追及をしてくることもなく、しばらくして、次のような言葉が口にされた。
「任務は夜半過ぎに行う」
「え……今日の夜からスタートなのか?」
「魔物が待ってくれていると思うか?」
端的に反論され、言葉に詰まる。それはその通りだが、それではこちらの作戦を立てる時間も、覚悟を決める時間も足りやしない。
「異論がなければ決行する」
「……分かったわ」
オリヴィアさんが了承する。
ゲルのことも気がかりではあるが……。
優先すべきは少しでも多くの魔物を間引き、ホルンの実力を証明していくこと。もしも俺たちの邪魔をするための差し金がゲルであるのなら、向こうの思惑には負けないように慎重に行動していく必要がある。
不安そうなホルンを気遣って、彼女の空いている手を握った。
視界の隅で、レギンレイヴにはバレないようにサイレントで抗議するゲルがやかましくて仕方なかった。