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第74話 任務開始

 その後、詳細を詰めるような打ち合わせを短く交わしてからレギンレイヴとゲルが去っていくのを見届ける。

 ようやく肩の力を抜くことができた俺たちは、ため息と憂いを帯びた表情をまるで隠すことができないでいた。


「とんでもないことになってしまったわね」

「ゲルが厄介すぎる……!!」


 ようやく声を大にして吐き出す。想像以上に厳しい戦いを強いられた気がする。疲れた。

 よく知りもしない相手に熱烈な好意を向けられるというのは随分な苦痛だ。全く嬉しくないわけではないが、俺の何を知っているんだ?と不気味に思えて身が引けてきてしまう。

 特に、敵対関係にあればなおさら。


 ホルンが俺に寄り添って、オリヴィアさんは心象察したように苦笑する。


「あの日、事件に介入した時点でいくつかの展開は予想していたけれど……。今回のスクルドの行動はその予想の斜め上を行く、とても意外なものだったわ」


 予想だにしていなかった展開なのは事実だ。

 厳罰に処してきた掟破りに対し、突然の取引の申し出。スクルドは余裕のある顔をしていたが、実際のところ現状に手をこまねいているからその負担を軽減するために俺たちの利用を画策したのだろう。

 見え透いた餌に飛びつくのは癪だが、全てが不利な盤面であるわけではない。


 少々、動きにくくはなってしまったが。


「とはいえ、悪くはない流れだ。この先神秘は増大していくばかり、魔物を警戒していく上でいずれ衝突が免れないであろう異界警備隊に恐れる必要がなくなったのは大きい」


 組んでいた腕を解きながら、シグルドさんがぽつりとコメントをこぼす。俺は深々と頷いて同意を示した。

 ここからが正念場だった。


 予定時刻が差し迫るなか、俺たちは大慌てで準備を拵えていく。



「そう……。まだ羽根は回復していないのね」

「はい……」


 俺たちは真っ先に移動手段の見直しを行うことにした。事前情報が与えられていないため、実際の任務開始時にはどこへ向かわされることになるのかが分からない。


 そこでホルンとオリヴィアさんの『羽根』の状態について。


 ホルンの羽根は、交差点での戦いのときにベイタに〝割られて〟しまってからというもの、依然として修復しきってはおらず十分な飛翔は困難であるみたいだった。

 幸いにも永久的なものではなく、本人の魔力の活性と共に数週間で元通りにはなるみたいで、その事実にはホッとした。


 そして、オリヴィアさんもまた最初の契約時に対価として片腕のドラウプニルと両翼を差し出していたらしく、こちらは回復の見込みがないそうだ。

 つまり一ヶ月間の任務を進める上で、二人は現在移動能力を大きく欠如させた状態に陥ってしまっている。


 そのため、長距離の移動には車を用いることになった。ゲートでの移動も考えたが、魔力消費の節約を考えたときに俺やシグルドさんでカバーできる部分はカバーしようという話になったのだ。


「すみません……。本ッ当にすみません……!」

「瑣末なことだ。気にしないでいい」


 その関連で、長らくコインパーキングに放置してしまっていた車を引き出すことになったのだが、その金額にはかなり青ざめた。

 幸いにもシグルドさんが立て替えてくれたので、俺の頭は本当に上がらなくなる。


 その財力もさることながら、スマートで気品溢れる大人の余裕に『一生付いていきます!』と心のなかで強く思ったりなどした。

 オリヴィアさんがあれほどベタ惚れなのも分かる格好良さを端々から感じた。



 ……そんなこんなで。



「はぁ、緊張するわ」


 夜半。夜の闇に溶け込むため、動きやすくあまり目立たない黒色の服装に着替えた俺は、ホルンたちと一緒になってレギンレイヴらの訪問を待つ。


 すっかり戦い方など忘れてしまっているらしいオリヴィアさんはこれからのことにとても不安そうだ。

 ぎゅっと拳を握って自分を鼓舞するみたいに奮い立たせているが、数百年間鈍った体を急に動かせというのは酷な話かもしれない。


「………」

「……大丈夫だ、ホルン」

「はい……」


 ホルンはホルンで、魔物を手にかけることにまだ若干の心の迷いがあるのが伺えた。巨獣こそ災いの存在であると分かっても、動物園で思い耽ったことのように魔物が全て悪とは断定しきれていない。

 自分のなかのわだかまりを解消できていないうちにこんな任務を追うことになってしまって、そこに対する心的負担もある。


 課題は山積みだ。

 いまはやるべきことをやるしかないが、俺もホルンも心は晴れなかった。


「――来たな」


 零時二十一分。シグルドさんが見据える先に目を向けると、上空にキラッと光り輝いたものが二体のワルキューレであることに気付いた。

 彼女らは屋敷の敷地内に降り立つ。


「おいっすー!」


 こちらの気も知らないで、にこやかにゲルが挨拶を飛ばしてくる。

 レギンレイヴさえも辟易とした仕草を見せながら、ホルンとオリヴィアさんに目を向けた後、不快感を露わにして俺とシグルドさんに目を向けた。


「人間は関係ないはずだ」


 案の定、予期していた言いがかりだった。

 おおかた取引を交わして実力を見られているのはホルンとオリヴィアさんであるから、俺たちが魔物退治に協力するのはおかしいという言い草だろう。

 先ほどの移動能力の要件に合わせ、あくまで技術的なサポートであることを強調して俺たちの参加を認めさせる。


「………」


 不本意そうではあるが、レギンレイヴはそれ以上俺たちに文句と目線を向けてくることはなかった。

 ひとまずは受け入れられたようだ。


「ゲル」

「ういっす! ターゲットとなる魔物の所在地はうちが報告するっす。ホルン、通信機を作ってください」

「……? 私が作るの……?」

「文句は言うなっす!!」


 癇癪を起こしたゲルに押し切られ、渋々とホルンは耳に収まるサイズの小型通信機をドラウプニルから捻り出そうとする。

 流石に違和感を感じて、俺は待ったを掛けた。


「待て、なんでお前たちが用意しない? これはドラウプニルの総量に関わる話だ」


 過剰反応だろうとは思いつつもいつホルンを罠に落とそうとするか分からない連中だ。多少は口うるさいくらいで俺が注意深く見守る。

 相手が俺だったのもあるだろうが、ゲルは少しだけ泣きそうな顔をして「うぅ〜! 作れないからっすよぉ!!」と打ち明けた。


 俺はギョッとして目を丸くした。


「もう! 早く作るっす!! ホルン!!」


 地団駄を踏みながらゲル。

 まさか個人的な技術力の問題だとは思っていなかった。憐れんだ様子のホルンが何も言わず、おずおずと小型通信機を各位に配布しはじめるのを見守る。

 レギンレイヴは気に障ったようだったが、ホルンは俺とシグルドさんの分も用意してくれているのでありがたく装着することにした。


「ったく……! ほんとKYっすよねホルン! このKYっ! うちが恥かいたじゃないっすか!!」


 いやいや、と内心呆れ返る。

 KY空気読めないとは今日び聞かないフレーズだ。次々とぼろが出てくるゲルにジト目を送りつつ、ホルンはホルンで間に受けるなよ……。とそのショックを受けたような態度を案じてしまう。

 この二人はお互いの調子を狂わせる、水と油のような関係みたいだ。


「ゲル」

「う、うす!」


 レギンレイヴの冷め切った声にゲルは自分を取り戻す。すると何やら左手のドラウプニルをぽちぽちと操作して、空中に魔物の姿を転写した。


 それは奇妙な出立ちをした怪物だった。

 猿のような顔に、虎の胴体と前肢、鷲の後肢に蛇の尾を持つキメラのような存在で……。


「えっ!?」


 ホルンは大きな声を上げて驚く。すぐにその理由に気付いたゲルは得意げな表情を浮かべ、「へっへぇ〜ん! これはホルンには扱えないものっすね! 羨ましいっすか!?」とドラウプニルの機能を誇るように煽りにいった。

「いい加減にしろ」とレギンレイヴが再度窘め、ゲルは懲りたように粛々と説明を続ける。


「ホルンと御姉様に処理をお願いするのはこの中型の魔物っす。期限は日の出まで。それまでにこの魔物を駆除してください」

「場所はどこかしら?」

「道志村? ってとこらしいっす」


 ――ここで、日本の土地を詳しく知る有識者として日本人の俺に夫妻とホルンの視線が集中する。

 思わず息を詰まらせる。

 道志村というと……。


「や、山梨。地味に遠いんじゃないか……?」


 まずい、全く縁もゆかりもない土地だ。途端に全身から血の気が引くような責任感を感じてしまい、動き出すならいますぐ動き出さなくては、と焦る。

 時間は長く猶予があるように見えて、とても短いような気がした。

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