『ほーんと仲良さげっすよねー』
「……無駄話なら通信機を使わないで」
スマホを託したホルンに道をナビゲートしてもらって、片道一時間半ほどの道中。どこから見たり聞いたりしたのか分からないが、ふいに通信機越しのゲルが俺とホルンのやり取りを妬ましく思って言いがかりをつけてくる。
任務中でややピリついているせいか、いつになくホルンは冷ややかにあしらっていた。
『ちんたらそんなのに乗って移動して……。取り逃がすっすよ〜? いいんすか〜?』
「黙って」
今後の処遇が懸かっているホルンを焚き付けるつもりで言っているのだろうが、その言葉は運転手である俺にも飛び火する内容なのでこっちまでイラッとくる。
ゲルには『意識してほしい』と言われたものだが、ことごとく好きにはなれそうにない女だ。
都心から離れるように西へぐんぐんと進んで相模川を渡り、どんどん深まる山のなかへ。標高が高まるにつれて冷え込みも増し、地面の凍結を感じるようになる。
後部座席には夫妻も座る。命を預かるものとして、俺は慎重に運転を続けていった。
『おっ、そろそろ圏内っす。ここから先は異常事態が発生するまでこちらからはもう連絡しません。せいぜい頑張れっすよ、ホルン』
「……ありがとう」
『ひゃ、ひゃ〜、間に受けちゃってんすか〜? 恥ずかしいやつっすねぇ、ホルンは』
健闘を祈られたので素直に感謝すれば、一転して煽り倒すゲルにホルンはムカついた顔をして拗ねる。
もはや仲がいいのか悪いのかさえよく分からない感じだ。ピュアなホルンと捻くれ者のゲルの掛け合いに、小学生同士の喧嘩のようなものを連想してしまう。
バックミラーでちらりと後部座席に目を向ければ、オリヴィアさんも少しだけ面白そうに微笑んでいたので、そこまで深刻に捉える必要もなさそうだった。
「……ほんと嫌い……」
ホルンがぽつりと呟く。
犬猿の仲とはこのことなんだろうなと思う。
そんな車内の一幕を挟みながら、駆け抜けていく夜の山道。走っている限りでは魔物の気配を全く感じることができず、ゲルが索敵圏内と言っていたこともあって適当な駐車場に車を一時停めてみる。
「俺、ネットで情報が出てないか調べてみます」
「じゃあ私は周辺に魔力反応がないか見てみるわ。ホルンちゃん、付いてきてもらえる?」
「はっ、はい!」
オリヴィアさんのお誘いに、ホルンが弾かれたような反応を見せてそのあとに続く。
スクルドたちによるホルンへの試験を迎える前に、実はオリヴィアさんたちと立てた作戦がある。
ホルンには独学で磨き上げた高度な戦闘スキルがあるものの、その境遇故に、本来学ぶべきはずのワルキューレとしての知識が十分に備わっていない。姉に教わってこなかったものは想像で補完してきたから、虫食いのようにどうにも理解の足りていない箇所があるのだ。
それが顕著に現れていたのが、オリヴィアさんの扱うルーン魔術に対してのやけに好奇心旺盛な姿勢だった。
術の難易度に関わらず、満遍なく豊富な知識のなかから多種多様なルーン魔術を引き出すオリヴィアさんに比べて、ホルンが覚えているものはやけに比重が偏っているし初歩的なものをそのまま実戦投入してしまう。
水の森公園で披露した痕跡を辿るルーン魔術は、その最たる例だったらしい。
あれは術を発動した時点で対象の足元まで光が浮かび上がるから、実戦では警戒に繋がる。あの日、ブラックドッグに先手を取られた所以はこんなところに転がっていたのだ。
そんな課題の判明もあって、ホルンには無事に試験を乗り越えてもらうため、この一ヶ月間は強化月間として任務遂行と並行的にお勉強を行うことになった。
向こうがホルンを軽視するのならば、こちらは鍛え上げたホルンを送り出して目にものを見せてやろうという寸法だ。
今回は痕跡を辿るルーン魔術に変わる、索敵に適したルーン魔術をオリヴィアさんはホルンに伝授する。
いまは絶好の機会だった。
「……俺も、役に立たないとな」
小さく独り言ちて、検索ウィンドウに地域の情報を入力し始める。
小休止も兼ね、それから十分ほどが経過した。
「おかえり」
「ただいまです」
その後、ようやく車に乗り込んでくるホルンらを俺は出迎える。さっそくだが、この時間の間に調べられた情報をオリヴィアさんたちに報告することにした。
「二日前に、近くの景勝地で謎の唸り声が聞こえたという注意喚起の報告が自治体のホームページにありました。昨今多く出没する怪生物の可能性を鑑みて、現在は立ち入り禁止にしているらしいです。ここが特に怪しいかもしれない」
道志村は山中にあり、周囲全景が自然豊かな土地だ。アウトドアスポットとしてのキャンプ場や観光に適した景勝地が多い。なかでも、道志村に流れる支流、宝永沢から続く雄滝・雌滝という観光スポットでは、謎の唸り声を報告する妙な噂が流布されているみたいだった。
オリヴィアさんも俺の意見に同調する。
「ではそこに向かいましょう。こちらもおおよそ感知できたわ。地理は分からないから運転してもらって、近くなったらまた指示をさせてもらう形でいいかしら?」
「もちろんです」
そうと決まればとシートベルトを付け直し、サイドブレーキを持ち上げて車を動かそうとする。
と、ふいに助手席のホルンと目が合って、俺はニッと笑いかけながら「首尾はどうだった?」と尋ねた。
「はい! すごく、いい感じ、です」
「そっか」
俺は向こうでのやり取りは知らないが、よほど丁寧に教えてもらえたのか、満足のいく結果を得られたのだろう。
ほくほくした顔のホルンを見て安心すると、気合を入れ直し、意気揚々と俺は車を発進させる。
目的地は噂の景勝地。国道沿いに小さな車を停められる砂利面の駐車場があって、そこから北へ五分ほど歩いていった先に立ち入り禁止中の滝はあるみたいだった。
移動中、目的地に近付くにつれてゴロゴロと雷の音が聞こえるようになった。
「……うん、間違いなさそう。当たりねシグマちゃん」
「じゃあ、ここにあの魔物が……」
オリヴィアさんたちの感知した方角と俺の目的地が合致し、いよいよと気が高まるものを感じながら無人の駐車場に車を停める。
……ツチノコも、ブラックドッグも、カマイタチも、これまで見てきた魔物は全て小型の魔物だった。
今回の魔物は、一度ライブ放送で見たような三つ首の怪鳥に匹敵する、それこそ軽自動車並みの図体をした化け物なのだという。
それだけ、この世界の歯車は狂い出しているということだ。
迫られる戦いに、ホルンの顔も自然と強張っていく。
「頑張れ、ホルン」
隣の席の彼女に真っ直ぐと向き合った俺は、その緊張の糸を解いてやるためにも、瞳を見つめながら激励を飛ばす。
ここから先、俺もシグルドさんも魔物退治には直接介入することができない。オリヴィアさん自身の身の安全や不測の事態に備えてシグルドさんは調査に付いていくようだが、ただの俺は足手纏いになるだけ。
魔物を取り逃したときにはすぐ動けるように、いつでも発進させられる状態にした車のなかで待機する。
つまり、ホルンのそばにいてやることはできない。
「はい……、はい! 頑張り、ます……っ!」
俺の見送るような言葉に、少し不安げな表情を浮かべてしまった彼女が、それでも気の迷いを振り払うように頭を振って威勢のいい返事を返してくれる。
ホルンも随分と心が強くなったように感じる。
俺はその頭をぐーっと強く撫で付けてから、車を降りて仄暗い森のなかに消えていく三人を見送った。
あとは討伐を祈るばかりだった。