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第76話 鵺を追う夜①

 ――がさり、と枯れた落ち葉を踏み締めて、ホルンを先頭にした一行は目的の滝場へと向かう。

 川沿いの道、古びた階段路は苔が生えていて不快感のあるぬめり気があり、慎重な踏破を求められていた。


 夜闇のなか、息を潜めながら警戒に当たる。次第に肌がチリチリと疼くような感覚がしてオリヴィアが疑問を訴えると、シグルドはその違和感に気付き、「特殊な磁場が発生しているようだ」と目を細めながら二人に更なる警戒を促した。


「磁場を操る、キマイラ……」


 ぼそりとホルンが独り言ちる。

 これから会敵する中型の魔物は、その複数生物を混合させたような特徴的な外見からキマイラ種の魔物だろうと夫妻の知見により予想が立てられているところだった。

 一見人面にも似た犬歯の鋭い猿の頭部に、虎の前肢、鷲の後肢、蛇の頭を持つ尾。


 しかし、これらはおそらく詳細な情報を握っているはずのゲルがその共有は行ってくれてはいないため、まだ推測の域を出ないものだ。

 今回はその情報収集さえも実力審査の一要素として、一行はこの現場で魔物の正体を特定。厳正に対処し、その討伐までを制限時間内に行わなくてはならないことになっている。


「確か、東洋で知られるヌエが近しい性質をしていたはずだ。詳しくはないが」

「シグマちゃんに調べてもらいましょうか」

「はい」


 三人は意見をまとめると、代表してホルンが志久真に連絡を取る。彼は二つ返事に了承し、『任せろ、詳しいことが分かったらまた伝える』と頼もしい声で協力してくれるものだから、激励されたようにホルンの心細い気持ちはいくらか持ち直されたりもした。

 耳元が温かく感じられる。


『はわっ……。アッ声入っ』

「………」


 しかし、すぐに水を差されてしまう。

 ホルンたちの会話を同じチャンネルで聴いていたゲルが、そんなわざとらしいリアクションを挟み込んでくるから、ホルンの顔色は途端に冷めたものになった。

 後方のオリヴィアが気遣ったような顔をするのにも気付かず、ホルンは意固地になってサクサクと歩みを再開する。


 次第に、滝の音が大きくなって目的地への到着を悟る。

 川の浅瀬に掛かる簡易な橋を渡る。


 その瞬間のことだった。


 まるでテリトリーへの立ち入りを拒むかのように、ゴロゴロとした雷鳴が一際大きく頭上で轟いた。その結果、張り詰めた弦のようでいたホルンも思わずひくっと怯みそうになって――。


「きゃっ」


 と、小さな悲鳴をあげてシグルドにもたれかかるオリヴィアの姿を先に視界の端に映したから、ホルンはなんとかすぐに冷静さを取り戻すことができた。


「………、ふぅ……」


 ――頑張らないと。

 そんな使命感がホルンをずっと駆り立てている。


 胸に手を当て、呼吸を整える。なかなか一度早鐘を打った心臓はそう簡単に落ち着きを得ない。

 訓練生時代には小型の魔物を狩る経験も何度か重ねてきたが、チーム戦を基本とする対中型の魔物講習は環境に恵まれずついぞ受けたことがなかった。


 それ故に、今回の任務には余計に緊張してしまっているのだと自覚する。


 きっと私よりも歴戦の夫妻には、中型の魔物と相対した経験も数えきれないほどあるのだろう。

 でも、だからといって数百年間争いとは無縁で過ごし、ブランクがある人たちを、戦場で頼りきりにすることもなかなかできなくて……。


 ……だから、私が頑張るしかない。

 自分のことを追い込みがちのホルンは、そうやって必要以上に自分の心を奮い立たせるつもりで、どんどんと知らず知らずの間に自分の首を絞めていくのだ。


「進みます」


 気配が近くなる。

 先導するホルンは手元のドラウプニルを変形させ、武器を構えて臨戦態勢を取った。

 片手に軽い丸盾を作り、もう一方の手にブロードソードを携える。


 坂を上がって左手に見える、奥まった場所の細めの滝が雌滝。

 そして右側に見受けられる、立派な柱のように伸びた滝が雄滝と呼ばれるものだった。


「ここに魔物がいるのは間違いないのでしょうね……」

「止まって。視線を感じます……!」


 先制攻撃を仕掛けられたとしても、ホルンはドラウプニルの効果でわずかに早く感知することができる。肌身にピリピリと感じる静電気からもすでに目を付けられているのは言わずもがなで、ホルンは夫妻を庇うように前に立つと、いつ襲撃が来てもいいように周囲に対して警戒し続けた。


「……誘い出しましょう」


 その膠着状態を見かねて、オリヴィアは無詠唱で手元に光の球を浮かび上がらせると、遠方に向かってその光を弾くようにひょいっと飛ばした。


 ふよふよと漂うような形で等速直線運動する光の球は、視界不良の深夜の森を明るく染め上げ、その暗闇に溶け込むようにして潜んでいた魔物の姿をくっきりと浮き立たせる。


「―――っ」


 思わず、息を呑んだ。

 そこにいたのはの魔物だった。


「二匹もいるなんて聞いてないわよ!?」


 目を見張って驚いたのも束の間、岩場に潜んでいた二匹の中型の魔物は高く跳躍してカッと白く眩い閃光を放つと、一斉にホルンたちへ飛びかかってくる。


「!? 来ますッ!」


 そうして遅れて鳴り響く雷鳴。文字通り天候を味方にした二匹の魔物は、それぞれホルンとオリヴィアに狙いを定める。

 オリヴィアは咄嗟にルーン魔術でアルギズの盾を展開し、ホルンは咄嗟に丸盾を構えて防御姿勢を取った。


「ガァアッ!」

「くぅううっ……!!」


 ずん、と重たくのしかかる威圧感。


 鋭利なかぎ爪を剥き出しにした虎の前肢が力強くホルンの盾にしがみつき、軽自動車並みの図体をもってして小さなホルンを圧しようと容赦なく迫り来る。

 ずりずりと押し出され、次第に片足が浅瀬に浸かる。足場の悪さに踏ん張ることが難しくなり、ホルンはころっと姿勢を崩してしまう。


「あっ――」


 途端に崩れ落ちる視界のなか、ふいに悲しげな顔をしたオリヴィアと目が合うことになった。受け身を取ることを第一に考える脳内、スローモーションのように感じる世界のなかで、ホルンはふとその顔の正体を知る。

 眼前へと差し迫った追撃を、思い知る――。



 ばぐんっ、



 ――と、華奢なホルンの体の肩から首にかけての間を待ち上げるように深く噛み付いた魔物。ホルンはその痛みにまともにあえぐ暇もなく、魔物は嫌いな食べ物を粗末にするように軽々しく彼女を放り投げる。


「ホルンちゃんっ――!」


 あっけに取られて夫妻が目を奪われるなか、放物線を描いたホルンは滝場から離れた崖上の茂みに呑み込まれていく。


「ッ、ホルンちゃん!! 返答!」

『!? 何があったんだ!?』


 咄嗟にオリヴィアが通信機を繋いで声をかけた。

 車で待機する志久真は状況が分からず狼狽えた声を上げる。

 そうして、いっときの静寂。

 わずかでもホルンからの通信が返ってこないかと全員が息を呑んで待つが――。


『………』

『……おいホルン? ホルン!?』


 どれだけその名を呼びかけてみても、彼女からの返答はすぐには来なかった。

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