――がさり、と枯れた落ち葉を踏み締めて、ホルンを先頭にした一行は目的の滝場へと向かう。
川沿いの道、古びた階段路は苔が生えていて不快感のあるぬめり気があり、慎重な踏破を求められていた。
夜闇のなか、息を潜めながら警戒に当たる。次第に肌がチリチリと疼くような感覚がしてオリヴィアが疑問を訴えると、シグルドはその違和感に気付き、「特殊な磁場が発生しているようだ」と目を細めながら二人に更なる警戒を促した。
「磁場を操る、キマイラ……」
ぼそりとホルンが独り言ちる。
これから会敵する中型の魔物はその複数生物を混合させたような特徴的な外見から、キマイラ種の魔物だろうと夫妻の知見により予想が立てられている。
これらは、おそらく詳細な情報を握っているはずのゲルがその共有は行ってくれないため、推測の域を出ないものだ。
つまり一行は現場で魔物特定に繋がる情報をかき集めていくしかない。
「確か、東洋で知られるヌエが近しい性質をしていたはずだ。詳しくはないが」
「シグマちゃんに調べてもらいましょうか」
「はい」
意見をまとめると代表してホルンが志久真に伝える。『任せろ、詳しいことが分かったらまた伝える』と耳元に彼の頼もしい声が聞こえて、ホルンの心細い気持ちはいくらか持ち直された。
『はわっ……。アッ声入っ』
「………」
しかし、すぐに水を差される。ホルンたちの会話を同じチャンネルで聴いていたゲルが、そんなわざとらしいリアクションを挟み込んでくるから、ホルンの顔は途端に冷めたものになった。
後方のオリヴィアが気遣ったような顔をするのにも気付かず、ホルンは意固地になって歩みを再開する。
だんだんと滝の音が近づいてくる。
川の浅瀬に掛かる簡易な橋を渡る。
その瞬間、まるでテリトリーへの立ち入りを拒むかのようにゴロゴロとした雷鳴が一際大きく頭上で轟くものだから、張り詰めた弦のようでいたホルンも思わず怯みそうになった。
「きゃっ」
と小さな悲鳴をあげてシグルドにもたれかかるオリヴィアの姿を先に視界の端に映したから、ホルンはすぐさまに冷静さを取り戻すことができた。
「………、ふぅ……」
――頑張らないと。
そんな使命感がホルンをずっと駆り立てている。
胸に手を当て、呼吸を整える。なかなか一度早鐘を打った心臓はそう簡単に落ち着きを得ない。
訓練生時代には小型の魔物を狩る経験も何度か重ねてきたが、チーム戦を基本とする対中型の魔物講習は環境に恵まれずついぞ受けたことがなかった。
それ故に、今回の件には余計に緊張しているのだと思う。
歴戦の夫妻には、中型の魔物と相対した経験も数えきれないほどあるのだろうが、だからといってブランクがある人たちを戦場で頼りきりにすることもなかなかできなくて……。
……だから、私が頑張るしかない。
ホルンはそうやって、必死に自分の心を奮い立たせていく。
「進みます」
――気配が近い。
ドラウプニルを変形させ、ホルンは武器を構える。
片手に軽い丸盾を作り、もう一方の手にブロードソードを携えた。
坂を上がって左手に見える、奥まった場所の細めの滝が雌滝。
そして右側に見受けられる、立派な柱のように伸びた滝が雄滝だった。
「ここに魔物がいるのは間違いないのでしょうね……」
「止まって。視線を感じます……!」
先制攻撃を仕掛けられたとしても、ホルンはドラウプニルの効果でわずかに早く感知することができる。肌身にピリピリと感じる静電気からもすでに目を付けられているのは言わずもがなで、ホルンは夫妻をそばに寄せると、いつ襲撃が来てもいいように周囲に対して警戒し続けた。
「誘い出しましょう」
その膠着状態を見かねて、オリヴィアは無詠唱で手元に光の球を浮かび上がらせると遠方に向かってその光を弾くように飛ばした。
ふよふよと漂うような形で等速直線運動する光の球は、視界不良の深夜の森を明るく染め上げ、その暗闇に溶け込むようにして潜んでいた魔物の姿をくっきりと浮き立たせる。
「―――っ」
息を呑んだ。
そこにいたのは
「二体も!?」
目を見張って驚いたのも束の間、岩場に潜んでいた二匹の中型の魔物は高く跳躍してカッと白く眩い光を放つと、一斉にホルンたちへ飛びかかってくる。
「!? 来ますッ!」
そうして遅れて鳴り響く雷鳴。文字通り天候を味方にした二匹の魔物は、それぞれ力のあるホルンとオリヴィアを狙う。
オリヴィアは咄嗟にルーン魔術でアルギズの盾を展開し、ホルンは咄嗟に丸盾を構えて防御姿勢を取った。
「くぅううっ……!!」
ずん、と重たくのしかかる威圧感。
鋭利なかぎ爪を剥き出しにした虎の前肢が力強くホルンの盾にしがみつき、軽自動車並みの図体をもってして小さなホルンを圧しようと容赦なく迫り来る。
ずりずりと押し出され、次第に片足が浅瀬に浸かる。足場の悪さに踏ん張ることが難しくなり、ホルンは姿勢を崩してしまう。
「あっ――」
途端に崩れ落ちる視界のなか、ふいに悲しそうな顔をしたオリヴィアと目があった。膝から崩れ、スローモーションのように感じる世界でホルンはその顔の正体を知る。眼前へと差し迫った追撃を、思い知る――。
ばぐんっ、
と肩から首にかけての間を待ち上げるように噛み付いた魔物。ホルンはその痛みにあえぐ暇もなく、嫌いな食べ物を粗末にするように軽々しく放り投げられる。
「ホルンちゃんっ――!」
あっけに取られて夫妻が目を奪われるなか、放物線を描いたホルンは滝場から離れた崖上の茂みに呑み込まれていく。
「ッ、ホルンちゃん!! 返答!」
咄嗟にオリヴィアが通信機を繋いで声をかけた。
戦闘中故、ノイズの激しいその真に迫った声に通信機を装着する全員がハッと息を呑む。
『………』
『……おいホルン? ホルン!?』
その反応は、すぐには返ってこなかった。