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第77話 鵺を追う夜②

 滝の麓では依然として、敵意を剥き出しにした魔物とオリヴィアに対して庇い立ちしたシグルドが真っ向からぶつかり合う。


「リーヴァ!」

「ええ! 分かってる!」


 限りなく神域に踏み込んだ肉体を持つシグルドが、純粋な膂力のみで魔物の猛攻をしのぐ。涎を撒き散らしながら迫り来る猛獣、その大きく開いた顎を両手で鷲掴みにして力づくで押さえ込むシグルド。

 その力の拮抗や凄まじく、決して圧されずに踏み止まる彼の両足は音を立てて大地にめり込んでいた。


 呼びかけられたオリヴィアはハッと気づくと、すぐに両手を翳しルーン魔術を行使して援護攻撃に出る。


「ハガルズの礫を見よ!」


 彼女の言葉に呼応して浮かび上がるルーンの文字。

 そして、途端に生まれ出でる氷柱。


 中型の魔物の脳天上に形成された特大の槍は、オリヴィアが翳した両手を振り下ろすとそれが合図になって勢いよく落下する。

 身の危険を察知した魔物は、瞬時に飛び退いて逃げおおせる。


「ふっ――」


 シグルドが息を抜く。しかし気を抜く暇はまるでない。入れ替わり立ち替わり、今度はホルンを投げ飛ばしたほうの魔物が夫妻へと襲いかかった。しかもその標的はやはりオリヴィアで、目を剥いたシグルドは咄嗟に滑り込んでまたも彼女を守護する。

 降りかかる爪の内側に潜り込み、十字に構えた両腕を魔物の足底球に当ててその攻撃の到来を阻んだ。


「ダァリン!」


 心配したオリヴィアが悲壮的な声で呼びかける。守るものがある状態で中型の魔物二匹を相手にすることは、いまの時代の衰えたシグルドにはやや厳しい。

 しかもこれは、一応は試験なのである。シグルドがなかなか攻撃に転じられない由縁も実はそんなところにあった。


 対応を迫られるなか――。

 やはり、決め手はオリヴィアに任せるしかない。


 シグルドは歯噛みして防御に徹する。オリヴィアもまた『今度は狙いを外さない』とシグルドが稼いでくれる時間を存分に使って、より複雑で確実なルーン魔術を編んでいく。

 しかし、


「きゃっ――」


 横からの攻撃だった。死角から迫るもう一匹の純粋なタックルがオリヴィアの体をあっさりと突き飛ばし、続けざまにシグルドの背後から足元を攻撃してがくんっとその態勢を崩させる。

 片膝を突き、眼前の魔物の攻撃も抑え切ることができずに爪の振り下ろしを喰らってしまうシグルド。


 しかしその目はいまだオリヴィアの行方に囚われていて、彼女が坂の下までごろごろと転がり気を失うのを目撃した。

 同時にゴロゴロとうずく曇天。


 シグルドを取り囲み、気を高まらせる二匹の魔物。



 ―――耳を破る雷鳴と閃光が轟く。



「ッッッッッ!!!!!!!!」


 シグルドの身を灼き尽くすかのように、天から降り注ぐ落雷が襲う。

 服が裂け、身が熱を持つ。数億ボルトの落雷がシグルドを貫く。

 いかな神性を帯びた英雄といえども、神の武器にも例えられるイカヅチを身に受けて――無事である。とは決して言えず……。


 辺りには肉の焦げる匂いが、少し香った。


 ▲▽▲▽▲▽▲


 ………………


 …………


 ……


 一方、崖の上では。


「つぅっ……」


 地面に崩れ込み、痛みにうめくホルンの体を、どこからともなく這いずるように現れた蔓が触手のように肌にまとわりついていた。


 手首や足先を縛り上げ、内腿や腰にずるっずるっと不躾な動作で絡みつく蔦。


 落雷の音に目を覚ましたホルンがゾッとして身を起こそうとする頃には、その首元にまで不気味な毒牙は回っており、抵抗をする暇もなく、ギチギチと喉元が締め上げられてしまう。


「ぁぅっ!? ……!?!?」


 ホルンはすぐさま光輪を頭上に現した。

 割れた羽根が地面や蔦と干渉することでブォッンと音を立てて露出し、蔦は意図も容易く切り裂かれる。

 やや自由になった腕を近寄せ、気道を確保するため、必死に身じろいで首元の蔦を引っ張る。引きちぎろうとするがとびきり厚みのある蔦は思うようにいかず、ホルンは冷や汗をびっしりと背中に浮かべながら懸命にもがいた。


 いまなお通信機越しには、ホルンのことを必死になって呼びかける志久真の声が聞こえてくる。


 ――だから、応えなきゃいけない。


 ホルンはそんな思いを力に変えて、ブチィッと力強く蔦を引きちぎってみせた。


「かはっ、けほっ……!」


 身を起こしてえずく。

 幸いにも蔦はそれ以上追撃してくることはなく、ひるんだようにずるずるとそれらは木陰に退散していく。

 肺が急速に失われた酸素を求め、ホルンは咳のような呼吸を何度も繰り返す。


 早く……早く、起き上がらないと。

 まだ……、まだ、魔物は倒されていないのだから。


「……っ」


 そんな使命感が、煩わしいほどにホルンを焚き付けてくる。乙女心として、志久真には決して見せたくないと思う表情で歯を食いしばって立ちあがろうとしたホルンは、ふいに視界の端に、先ほどの攻撃の主を見つけた。


「………?」


 そこにいたのは十五センチにも満たない大きさのわるい妖精……これもまた魔物の一種だった。

 まるで童話に出てくる小人のような外見に、緑色の肌。かまぼこのような形の瞳に鷲鼻、蜻蛉の羽根を生やした自然を操る妖精。

 先に攻撃してきたのはそちらであるはずなのに、怯えて木の裏に隠れ様子を伺うような小心者の卑怯者……。


 ガリッとホルンは奥歯を噛み締めた。


 これは今回の任務対象ではない。

 しかし邪魔をされたのがあまりにも腹立たしくて、いまのホルンはすこぶる気が立っていて。

 冷め切った心と表情で、ホルンはただ目の前の敵を半ば八つ当たりのように拳を振り下ろして潰す。

 ぴぎゃっと小さく鳴いて妖精は消える。


「……ホルンです。いま、戦線に復帰します」


 自分でも心が磨耗しているのが分かる。でも誰にも泣き言は言えない。言っちゃいけない。バレちゃいけない。ゲルに馬鹿にされたくない。

 ホルンはまた一人で抱え込んで、立ち上がる。


 通信機を繋いで短く応答すると、彼女は体を引きずりながら崖下の様子を伺いに行った。



 ――そこには鬼神の如き何者かの姿があった。

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