一方その頃。
「悪手に出たな」
シグルドに恐れをなし逃亡した魔物を追うため、二手に分かれて対処することを選んだホルンたち。その動向を空間に映し出した鏡を使って映写し、遠く離れた鉄塔の上から観測する監視者としてのワルキューレ・レギンレイヴは、ぼそりとそう一言呟いた。
すると、隣で退屈そうに屈伸していたゲルはぴくりとその耳先を動かし、問いかける。
「ほぇ? そうなんすか? 街に被害が出ないように〜っていうのを考えると、ホルンが向かったのって、偉いな!ってうち思っちゃったっすけど」
経験の浅い半人前のゲルの、素朴な疑問を鼻で一笑に伏すレギンレイヴ。彼女はスクルドの命令であるから二人の掟破りの監視に加えて間接的にゲルの指導係も請け負うことになっているが、その本音のところは、今時期に未熟なワルキューレを警備隊に起用しようとすることもその提案をしたラーズグリーズに対しても、否定的で非協力的であり、疎ましいとすら感じている。
特にゲルの能天気なところはレギンレイヴはまるで好まず、バイザー越しに冷ややかな視線を浴びせると呆れたように首を振ってから小難しい言葉で返答した。
「それは『警備隊』のときに考えるべきものだ。『与えられた任務に対する成果のみを求められた立場』にある者がそれを考えるのは、ただの傲りに他ならない」
「どういう意味っすか?」
自分で考えることなく、さっそく疑問をぶつけてくるゲルにレギンレイヴは呆れて口もきかなくなる。
その露骨なシカトにゲルもムッとすると、むしろ意固地になって「こういうことっすか?」「これは違うってことっすか?」と畳み掛けるように何度も初歩的な質問を重ねた。
そうして苛立ったレギンレイヴは、観念し話し出す。
「中型の魔物退治はチームワークが要。現状、作戦は瓦解している。成果を求めるのならば、的を一つに絞り、一度引いてから立て直すのが正しいと言ったのだ」
「うぅーん……?」
分かるような、分からないような。
腕を組んで体を左右に傾けながら納得いっていない素振りのリアクションを取るゲルに、レギンレイヴは沸々とした苛立ちを感じる。
「なんだ」
「うーん、なんか、コッチに都合よすぎないっすか?」
「何が言いたい?」
向けられる剣のような眼差しに気圧されるものがありつつ、ゲルは感じた違和感の正体を言葉にするため、頭をフル回転にさせて必死に紡ぐ。
「だって、二匹もいたのはレギン姉様にとっても想定外の事態のはずっすよね? データになかったすもん。そりゃ、メチャクチャになるのも当然っていうか、そうじゃなかったらホルンだってもっと上手く……」
そこで、はたと自分の言動がホルンの擁護をしようとしていたことに気付き、いらぬ雑念を振り払うように頭の上で両手をブンブンと振り回すと、ゲルは取り繕うように別の質問をぶつける。
「ていうか、やばくないっすか!? ウチら、見ているだけで本当にいいんすか?」
「無論だ」
鏡の向こうを見つめるレギンレイヴの返答は素早かった。
「失敗するのならそれまでのこと。それに、想定外の事例で言えばあの男だ。あの男の存在は面白くない」
「面白くない……っすか?」
「スクルド様のご意向に差し支える」
ゲルは一度考えるように空を向き、そして、今度は探るような顔つきをして問う。
「……もしかして、《こうなること》は姉様らの織り込み済みなんです?」
▲▽▲▽▲▽▲
話は車中の議論に戻る。
「もし本当に、今回の相手が鵺なら……。もしかしたら、その姿形に実体はないのかもしれないんだ」
「え……?」
日本の妖怪・鵺。
その姿は『平家物語』などにおいて、猿の頭部に狸の胴体、虎の手足に蛇の尾と綴られる。ヒョー、ヒョー、と不安感を掻き立てるような奇怪な鳴き声が特徴の一つで、夜毎、山の奥や寺のあたりに響き渡り、聴いた者の精神を蝕んで苦しませる。
と、されるその一方で。
別の文献では、その正体を雷獣。そして黒雲であるとし、特定の姿形がなく人を呪う怨念が化けて出でた『不吉の象徴』として恐れられていた。
「しっしぐま! すぐに通信機でそのことをあちらに共有してあげてください! いま、向こうでも戦っているかも……!」
「え? あ、ああ! 分かった!」
話を聞けば血相を変えて告げるホルンに、志久真は慌てて通信機を繋ぐと滝場で交戦中のシグルドに向かって情報の共有と警戒を呼びかけることにした。
『シグルドさん無事か! 実はいま魔物のことで一つ仮説を立てたところで――』
その志久真の言葉は、全員の耳元に装着されている通信機越しに広く伝達され、実際に遠方で鬼神の如き真価を発揮していたシグルドのもとにまで到達する。
「ああ……、現に確認した」
ひりつくような空気の震動を感じながら、シグルドは淡々と目の前の異常事象を見やる。先ほど真っ二つに切り捨てたはずの魔物の骸はじわじわと瘴気を立ち上らせ、キマイラのようだったその姿をどろりと粘っこいヘドロのようなものに変えていく。
「我が斬ったのはガワなのだな」
その正体は、意思を持つ黒雲だった。もくもくと集合し形になる気体はその内側に高密度の雷を内包しており、シグルドが手にした魔剣で再度斬り掛かっても二つに分裂するだけでダメージが通っている様子はない。
それどころか、自身から光線のような雷を飛ばしてきてシグルドのことを攻撃する。
「………」
あいにくと、その攻撃は魔剣の腹で難なく弾くことができるのだが……。
もう一度集合したその黒雲は、シグルドを嘲笑うようにその頭上を周遊すると彼を取り残して上昇し、逃げた相方を迎えに行くかのように上空を飛び去っていった。
それを見送ったシグルドは、ようやく落ち着きを取り戻した様子で手にしていた魔剣を光の粒子に解くと、通信機に指先を当ててホルンたちへ呼びかけた。
『――聴こえるか』
遠方、逃げた魔物を追って市街地まで降りてきていた二人の耳元には、バッチリとその声が反映された。
「はい! 聞こえます!」
『ヌエはそちらへ向かった。リヴを連れ、我らもそちらへ向かおう』
「……っ、はい。分かりました……!」
応答をするホルンは息を呑む。シグルドの全力を垣間見たホルンにとって、彼でも仕留め損なう中型の魔物を一人で追う行為に強い不安感を覚えてしまった。
そのホルンの様子をチラリと横目に見て、志久真は一度状況を整理することにする。
「とにかく、シグルドさんにはオリヴィアさんに実体のない魔物を倒す方法がないか聞いておいてほしいです。いま魔物は市街地のほうに向かってる、俺とホルンでどうにか時間稼ぎをします」
『あい分かった』
獣のうちでも強敵の相手だ。さらには黒雲の姿になられると物理攻撃は一切通らない。現状、その討伐の手立てはなく、オリヴィアが意識を取り戻して効果的なルーン魔術を知ることを祈るしかない。
「いけるか、ホルン?」
志久真は隣のホルンに問いかける。
「………はい」
いっそう覚悟を決めて重苦しく頷くホルン。
その頃、二人が追っていた鵺は道志村役場前の駐車場に降り立っていた。