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第80話 鵺を追う夜⑤

 道志村役場の駐車場にて。

 一台も車が停まっていない広々とした空間の中央で天を仰ぎ、耳障りの悪い遠吠えを上げる鵺の姿を観測することができる。


 その鵺はどうやら天候を操作し、雨雲を作り出して有利な場の状況へと塗り替えようとしているみたいだった。


 大きなうねりを起こして不穏にうずく曇天。


 車で駆けつけるや否や、その姿を視認した志久真はすぐにブレーキを踏み込んで車を一時停車させる。それとほぼ同時に助手席のドアを開け放って飛び降りたホルンは、左手に作り出したブラスターを構えると鵺に向かって継続的な攻撃を仕掛けながら急接近し、右手の剣で力任せに切り掛かった。


「やぁあッ!」

「ギャウッ!?」


 ここまで追跡されているとは思いもしていなかったのだろう、ホルンの奇襲に慄き、すんでのところで光弾を回避した鵺の着地地点を袈裟斬りが襲う。

 しかし、


「くぅっ……!?」


 あまりにも硬すぎる首周りのたてがみが斬撃を弾き、ホルンの仕掛けたその攻撃はあっけなく失敗に終わることとなった。


「ガァァ!」


 怒りを見せ、涎を撒き散らして吼える鵺。

 ホルンは咄嗟に身構えるが、しかしこの鵺は反撃に出てくることはなくがさりとすぐ横の茂みに潜り込んで逃走を再開させる。


「なっ……」


 ホルンは思わず息を呑む。

 鵺は茂みから高く飛び上がると、どうやら民家の屋根伝いに走り去っていくことを選んだようだった。


 飛翔で追いかけることもできなければ、ホルンは拘束具を射出するルーン魔術も習得していない。本来は交戦を狙いたいところだったが、このまま逃走を続けられるのは複合的な面で不利だ。


「ッ――。しぐまっ!」

「おう!」


 さっそく身を翻したホルンは窓ガラスをコンコンと叩きながら車内の志久真に呼びかけると、今度は中に乗り込まず、以前のように天板に飛び乗って鵺への追跡を試みる。

 志久真はその選択に一瞬だけ戸惑いを見せたが、理解を寄せるとすぐにアクセルを踏み込んで住宅街のなか車を急発進させた。


 仮に真っ向から戦い合っても分が悪い状況なのは明白ななか、追跡にルーン魔術を乱用して魔力を浪費することも避けたい。

 そのため、車外の目視で鵺を追いながらホルンは通信機を利用して志久真に適宜指示を飛ばしていく。


 何発も射出される光弾と、民家の屋根瓦を蹴散らしながら仄暗い夜を獰猛に駆ける獣。


 ――その頃、数キロメートル離れた先ではようやくオリヴィアが目を覚まし、シグルド伝てで只今の戦況を無事に把握されたようだった。


『ごめんなさい、いま復帰したわ!』

「っ御姉様! お体はご無事でしたか!?」


 風を切る音が大きくノイズであるなか、ホルンは心配の言葉を投げかける。鬼神の如きシグルドがいるなかを置き去りにしてしまっていたので、向こうの様子も大変気がかりだったのだが――。


『ええ、恥ずかしいところを見せてしまったみたいね……。ホルンちゃんも、無事だったかしら?』

『リヴ、悪いがそれどころではない』

『……そうね』


 通信機越しに聞こえてくるシグルドの戒めの言葉が、改めてホルンの気も引き締めさせる。

 オリヴィアは一呼吸だけ置くと、少しだけ気難しそうに対鵺の案を共有した。


『一つだけ、手はあると言えるわ』


 その言葉は暗いなかに差す一筋の光明だった。

 ホルンは期待を胸にして耳元に意識を寄せる。


『だけど、成し遂げるのは難しい。――レギンレイヴ、ゲル、聴いているのでしょう? 応答したらどうかしら?』

『……なんだ』

『おいっすー、何々? なんのようっすか?』


 それまで傍観を続けていたレギンレイヴとゲルからの通信がオープンチャンネルに加わる。その声は片や不機嫌そうなもので、片ややけに能天気なものだったが、幸いにも一切のコミュニケーションを拒否されているわけではないらしい。


『任務のことは一旦端に置いて――……。一大事態よ、協力してくれる気はある?』

『ない』


 キッパリとした返答だった。想定の範囲内ではあったためか、諦めのついたオリヴィアは浅く息を吐くと気持ちを切り替え、ホルンに作戦を発表する。


『ルーン・ガルドゥルで結界を用意して閉じ込め、その箱を圧縮して消し去ってしまいましょう。ガワを失って実体を持たなくなったヌエはそれで完全に仕留めることができるはずだわ。特別な道具も人員も準備も足りていないいまの私たちには、その方法しかもう残されていない、かも』

「え、と……ルーン・ガルドゥル、ですか?」


 ホルンにとっては聞き馴染みのない言葉で思わず意識がそっちに持って行かれた。足場裏の運転席から「次はどっちへ向かう!?」と急を迫られた志久真が問いかけてくるので、ハッと気を取り戻して鵺を追跡する。


 通信機越しのオリヴィアは、これから行う儀式魔術の説明をする。


『ルーン・ガルドゥルは祭礼用の大規模な儀式魔術の名前だわ。本来は複数人がかりでやるべきものだけれど、今回は余裕がないから私一人でコンパクトに行う』


 ルーン・ガルドゥル。それは複数のルーン文字を複雑に組み合わせて構成する固有のシンボルであり、純粋なルーン魔術とは異なる多重に重ね合わせられた複合的で増幅した魔術効果を発揮することができる。

 その行為には幅広い土地と陣を描くための道具、そして特殊な詠唱文が必要なのだが、オリヴィアは今回に限り、それを一人でやり遂げると宣う。


 思わず心配に思うホルンだったが。


『その代わり、ホルンちゃんには取り逃したヌエの実体をどうにか解いてもらいたいの。儀式魔術を展開する一度の機会で、二匹とも持っていってしまいたい』

「……わ、分かり、ました」


 喉を詰まらせながらホルンはおずおずと受け応える。

 その自信のなさを、志久真だけが正確に感じ取っていた。


『我輩はそちらの手伝いには向かえん。儀式の中断は相応の代償を伴う。成功の保証もない。この戦の成否はすでに賭けだ』

『ねえ、あまり脅さないでダァリン? 私まで怖くなってきちゃうじゃない……』

『悪いな』


 少しだけ、いつもの調子を取り戻した掛け合いをする夫妻にほっとしたものを感じつつ、この話は『キャンプ場で準備に取り掛かる。膨大な魔力反応に呼応してヌエは誘き出されるはずだけど、もしもの場合には強引にでも連れてくるようにして』と、ホルンの双肩には重大な役割がのしかかることとなった。


 雨足が強まり、ホルンの気持ちを追い詰めていく。

 そんななか、ふいに志久真が語りかける。


「――ホルン、ホルン。知っているか? 源頼政の鵺退治だ」

「……?」


 それは日本の伝承に残されていた鵺の倒し方の作法だった。

 車内で調べ物をすることでしか貢献できなかった志久真は、ここぞとばかりに少し得意げになって、力になりたいという一心で提案する。


「平安時代において、奇怪な鳴き声に苦しむかつての天皇を救うため駆り出された源頼政は、音の発生源を突き止めるとその自慢の弓で矢を放ち鵺を貫いたそうだ。もし剣での攻撃が効かないのなら、貫通力で戦うのはどうだろう?」

「―――」


 ホルンは息を呑んで目線の先にいる鵺を睨みつける。確かに、いつもの攻撃手段では大したダメージを与えられそうになかった。

 ホルンの力では表皮を切り付けるのが精一杯で、魔剣をもったシグルドのようにいくことはない。


 考える。

 弓は……、不得意だ。全く触ったことがない。

 だとしたら、私が手に取るべきものは……。


「ホルンっ!」

「!」


 思い詰めて深々で押し黙るホルンに発破を掛けるよう、改めて志久真は車内から声を掛ける。


「俺は、お前を信じているからな……!!」

「……っ」


 本当に、あなたと言う人は――。



「はい……! 信じていてくださいっ!!」



 一緒に過ごしてきた時間の数だけ、無責任だけど頼もしいとすら感じる血の通った生身の言葉でホルンのことを大層勇気付ける志久真に、それまで多大なプレッシャーに押しつぶされそうになってぎゅうぎゅうと悲鳴をあげていた彼女の心は少しずつ逞しい力を付けていく。


 これまでは逆境に屈するばかりだったが、――私はもう独りではないと。

 対等な関係でいてくれる彼の存在が、何倍も勇気に変わって力になる。


「すぅ……」


 目を瞑って深呼吸をした。


 両手の武器の形状をいま一度流体金属に紐解き、脳内で想像し創り出すは剛健なる白銀の槍。

 実戦に持ち込むのは初めてだ。


 作り出したドラウプニル・スピアーをくるくると手慣れた様子で取り回したホルンは、慎重に車の上に立つと、逆手に構えて鵺を狙い定める。


 吸い込んだ息を止め、神経を研ぎ澄ます。


 ―――ホルンというワルキューレは唯一、ワルキューレであれば絶対の基本とされる槍の扱い、その投擲に、自信を持てていない日々を過ごしていた。

 理由はいくつもあるが、彼女がこれまで実戦での槍の使用を避けてきた所以が確かにある。


 それは、槍の扱いが巧みな姉らをたくさん目の当たりにしてきたからでもあるし、極度の集中力と精神統一を必要とする投擲において、同世代の底意地悪いワルキューレたちからクスクスと笑われ、苦手意識が刷り込まれたことにも由来する。


 槍は彼女のコンプレックスだったのだ。

 他のワルキューレたちのように、槍を好むことができなかった。

 だけれども、いまはそれを武器とした。

 いまならこの負の気持ちを乗り越えられると、ホルンは自分自身を強く信じられたからだ。


「――スリサズの咆哮……!」


 力強くルーン魔術を唱えると、ホルンが右手に握りしめる柄から赤黒いオーラが力強く噴出し、やがて槍全体を覆い、その強度と威力を増幅させていく。


 それはかつて高速道路上でも披露したものと同じルーン魔術であったが、今回はエネルギーそのものを放出するのではなく、力を高め補助するために使用した。


 グググ……と全身を使って強く体を引き絞り、押し出すように力いっぱいホルンは槍を投擲する。


「―――ッッ!!」


 その一撃は、世界が静止したかのような錯覚を覚えた。


 実銃の銃弾と見紛うほどの速度で槍はホルンが投げた地点からその対角線上の上空に姿を刹那で現す。

 その通過点に目を向けたとき、屋根を飛び渡る過程ででっぷりとしたその腹を惜しげもなく晒していた鵺の胴体には、とてつもなく綺麗な風穴が斜め下から向かいの背にまでくっきりと貫通していた。


 その有り様を、ホルンは克明に見た。


 そうして再び時間が動き出すような錯覚を覚えるとき、とうに力を失った鵺は着地ができなくなってしまっていて、屋根のへりやベランダに衝突しながら民家の敷地内に落下していく。


「す、すごすぎんだろ……」

「はぁっ、はぁっ……」


 肩で息をするホルン。一方で、ようやく事態の変化を悟った志久真はゆっくりと車のスピードを落とし、近くも遠くもない距離に車を停めて二人で現場の様子を見に向かうことを選ぶ。


「……まだ、警戒しましょう」


 ホルンは万が一に備えて、余りのドラウプニルで簡易な武器を形作った。

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