小雨のぱらつくその場所は、隠れ家というにはピッタリかもしれない。
館の屋根が、手前の丘から見えていたが、近くにいけば周囲の丘や岩場に囲まれていて、ちょっとした秘密のアジトのようだった。
夢にまで見た魔女の住処が、目の前にある。
「……どこから入ればいい?」
ラトゥンが見上げながら聞けば、クワンが歩き出した。
「こっちだ」
前に来たことがあるクワンは、外から二階のバルコニーへ通じる緩やかな階段を昇る。ラトゥンはエキナと顔を見合わせた後、黙って後に続いた。
水気を帯びた石段を一段ずつ上がる。魔女の家という響きにしては、割と小洒落た装飾や雰囲気である。
薄暗くもなく、不気味でもない。どこにでもありそうな、というと秘密のアジトっぽくないので違うが、建物を見ただけで『魔女』を連想させるものはない。
「本当に魔女の館なんですか?」
エキナもそう思ったらしく、興味深そうに辺りを見回しながら言うのだ。
「どういう意味だい?」
「おどろおどろしさがない、というか。……普通にお金持ちの館っていうか」
「お金持ちでも、こんな辺鄙な場所に住もうなんて奴はいないんじゃないか?」
クワンが皮肉ると、最後尾のギプスが笑った。
「確かにな! 得体の知れない化け物だらけの場所に、普通住もうなんて物好きもおらんじゃろうて」
「どうかな」
ラトゥンはバルコニーに達して、一息ついた。廃墟ではなく、人が住んでいるのがわかる程度に綺麗だった。ただ建ってから長い年月が経過しているのか、小さなひび割れや外壁の黒ずみなどがちらほら見えた。
「自給できるなら、人嫌いが住むには打って付けかもしれない」
「その自給できるかが、問題じゃな。ここは辺鄙過ぎる」
ギプスは首を横に振った。
「食料や水が確保できなきゃ、こんなところで一人生きていくのも、何かあればしんどかろうて」
一種のサバイバルだ。家はあるが、それ以外、生活の糧は自分で何とかしなくてはいけない。集落ではないから、誰かに頼ることもできない。
「旦那たち、忘れていないか? ここに住んでいるは、魔法で何でもできちゃう魔女なんだぜ」
クワンが振り返った。館への入り口となる扉の前に立っていた。ざっと扉とその周りを見たエキナは、どうもすっきりしない顔をする。
「……やっぱり魔女らしくない」
「君は魔女にどんなイメージを持っているんだい?」
半ば呆れ顔になるクワンである。エキナは考える素振りをみせる。
「お年を召した老婆で、黒い魔術師衣装をしていて……」
「それ、田舎の薬剤魔術師のイメージじゃない? 世の中には魔術師もいて、そんな中でも『魔女』なんて呼ばれているんだぞ」
「ですから、もっとおどろおどろしいというか。こういう建物にも、頭蓋骨とか骨を模した飾りとかあったりして」
「子供に聞かせる昔話かよ」
クワンが嘆息したので、エキナは頬を膨らませて不満顔になった。
「ラトゥンはどう思います?」
「……さあな」
正直、イメージはエキナの言うそれと似たり寄ったりだった。もちろん魔術師は老若男女、色々いるが、願いを叶える魔女ともなると、熟練の老婆のイメージが先行する。だがそれがお子様過ぎるとクワンに言われた手前、ラトゥンは何も言えなかった。
「ギプスは?」
「魔女ねぇ……」
ドワーフは考え込む。
「こんなことを言うと怒られるかもしれんが、それは本当に人なのかと疑っておる。こう影のようなものが炎のようにゆらめて、人型をしているような」
「何だそれ。悪魔や化け物じゃないか」
クワンが、わかってないと首を横に振る。ギプスは唸った。
「『魔女』と呼ばれるくらいじゃ。化け物に片足を突っ込んでおってもおかしくはあるまいて」
「それは一理ある」
ラトゥンは頷いた。人の願いを叶えることができるとされる存在だ。普通であるはずがない。
クワンは何度目かわからないため息をついた。
「お前ら、本物を見てビビるなよ」
「そんな恐ろしい姿をしておるのか!?」
「そっちかよ。……違うよ、まったく」
扉を開けるクワン。ぽっかりと闇がお出迎え。
「中は暗いから気をつけて」
「……みたいだな」
明るかった外から、館の中へ。明かりがないせいか、本当に真っ暗だった。
「凄いな。本当に何も見えない」
「……いや、前はここまで暗くなかった」
クワンは面食らっているようだった。――前と違う?
「そうなのか?」
「ああ、周りの家具とか、通路の形とかわかるくらいには明るかったはずなんだが」
「怖いくらい真っ暗ですね」
エキナが息をついた。
「まるで押し入れ部屋の中みたいです」
ラトゥンは目を夜間視力に調整する。かつて取り込んだ夜行性モンスターの目だ。……うっすら見えてきた。
「こっちだ」
「見えるんですか?」
「まあまあ」
「ぼちぼち」
ギプスも迷いのない足取りで続く。
「ドワーフは暗がりに強いんじゃ」
「そりゃあ、地下暮らしだもんな、ドワーフって」
苦笑するクワンである。闇の中、突き当たりの扉を開ける。鍵などはかかっていない。
「どうなってる、旦那?」
後ろからクワンが聞いてきた。ラトゥンも立ち止まる。
「ギプス、どうだ?」
「広い部屋に出たようじゃが……、ちと暗すぎんか? さすがのドワーフでも、ちっとでいいから明かりが欲しいくらいじゃ」
「俺もまったく見えない」
夜行性モンスターの暗視能力でも見えないほどの闇とは、これいかに。素直に光源を出して、頼れということなのか。
この闇は異常だ。そしてそれを実感し、クワンは言った。
「気をつけろ、旦那。前にきた時は、こんなんじゃなかった!」