雫はそれからも硯の家庭環境や友人関係について、初回の鑑別面接とはまた少し違った角度から尋ねていた。
それでも、硯は自分の家庭をどこにでもあるような一般的な家庭だと、言い続けていた。確かに雫も話を聞いている限りでは、硯の家に不和や虐待などの問題が存在しているようには思えない。
それでも、雫には先の母親との面会の様子や、牛丸たちが言ったことから、何一つとして問題がないようには考えられなかった。教育熱心なのも度を超してしまえば、硯にとって無視できない負荷となることだろう。
両親はどんな思いで硯を勉強に駆り立てていたのか、雫は知りたいと思う。
そして、幸いなことに二日後には、両親と硯の面会が控えていた。今度は母親の茉奈だけでなく、父親の
雫は直接二人から話を聞くことはできないし、面会時間も一五分と限られているが、それでも硯と交わす言葉から、二人の考えは自然と透けて見えてくるだろう。そう雫は予期していた。
硯と二回目の鑑別面接を終えると、翌日の休日を挟んで、硯と両親が面会を行う日は瞬く間にやってきた。
昼食休憩を終えて、再びデスクワークに戻った雫は、しばらくして職員室にチャイムが鳴るのを聞く。それは予定時間のきっかり五分前で、雫は職員室から出て玄関に向かう。
カードキーを使ってドアを開けると、そこには茉奈とカーキ色のコートに身を包んだ崇彦が立っていた。マフラーも巻いていて、この時期は昼間は少しずつ暖かくなってきているのに、寒がりな傾向にあることが雫には窺える。
「今日はよろしくお願いします」と軽く挨拶を交わしてから、雫は二人を第一面接室に案内する。室内は暖房が効いていたけれど、それでも崇彦はすぐにはコートやマフラーを脱ごうとはしていなかった。
二人に「少々お待ちください」と告げて、雫は居室に硯を呼びに行く。面会の時間は事前に知らせてあったから、硯も素直に雫の呼びかけに応じていた。
雫が第一面接室に硯と一緒に入ると、その瞬間崇彦はかすかに目を細めていた。久しぶりに硯と会えて、安堵しているのだろう。
雫は硯と二人を向かい合うように座らせると、自分も三人の横顔が見える位置に腰を下ろした。第一面接室の空気は三人が顔を合わせたとしても、そうすぐには解れない。
「面会時間は一五分となります。それでは、始めてください」
腕時計に目を落として、時刻を確認してから、雫は三人に告げた。
硯のことがよほど心配だったのだろう。一呼吸置いてから、すぐに茉奈が話し出す。
「亜実、どう? 先週以来だけど、変わりない? 体調とか崩したりはしてないよね?」
「う、うん、今のところは大丈夫だよ。体調も平気だし」
「そう? でも、亜実って花粉症だったでしょ? そろそろ少し鼻がムズムズしてきたり、くしゃみとかも増えてきたんじゃない?」
「それはそうだけど、でも今はそれほどでもないよ。今年はあまり花粉も飛んでないのかな。今のところはなんともないよ」
「ならよかった。毎年この時期は亜実はマスクをつけて過ごしてたから、お母さん心配で。もし大変だったら職員の人に言いなね。鑑別所でも、それくらいの配慮はしてくれるかもしれないから」
鑑別所で面会をするのが二度目だからか、「う、うん」と相槌を打っていても若干表情を強張らせている硯とは対照的に、茉奈はそこまで緊張した様子を見せてはいなかった。第一面接室は衝立で隔てられてはいなかったし、隣に崇彦がいることでいくらか安堵している面もあるのだろう。
そして、茉奈が言ったことは雫にとっては初めて聞くことだった。確かに鑑別所にはティッシュやマスクが常備されている。それでも、硯は面接の間も鼻を気にする様子は見せていなかったから、硯が花粉症だということが雫には少し意外に感じられた。
「なあ、亜実。なかなか面会に来れなくてごめんな。仕事が忙しくて、すぐに休むことができなくてな。一人で鑑別所で過ごして心細かっただろ?」
茉奈に続いて崇彦に話しかけられると、硯の表情がまた一段と硬くなったように、雫には見える。背中も丸まっていて、家庭での二人の関係性が、雫には一部分だけでも垣間見えるようだ。
「う、うん。まさかこんな形で一人になるとは思ってなかったから、お父さんの言う通り、心細く感じられる部分は確かにあるよ。審判でどんな処遇が下るのかも不安だし……」
「そうだな。お父さんたちも付添人の先生に、少しでも軽い処分にしてもらえるよう、要望しているところだから。でも、だからといって、亜実がまったく悪くないとは、残念だけどお父さんたちには言えないな」
崇彦の態度はある種正当なものではあったけれど、それでも硯はすぐには受け入れられなかったのだろう。何も言わずとも、崇彦を見る目が「どうして……?」と語っている。
そんな硯に、崇彦は諭すように声をかける。
「もちろん、悪いのはお金を出してお前を買った男の方だ。誰がなんと言おうと、それは絶対に間違いない。でも、亜実。少し想像してみてくれ。お前が将来子供を持ったとして、その子が今のお前と同じようなことをしていたら、お前はどう思う?」
「そ、それは……」
「なあ、亜実。そんなにお金が必要だったのか? お父さんたちからのお小遣いだけじゃ足りなかったのか?」
崇彦の重ねての質問に、硯は答えられず視線を下げてしまっていた。「そうだよ」と認めることはできなかったのだろう。
崇彦は優しい調子で言葉をかけ続けていたけれど、それはどこか硯を責める響きを纏っていた。
「確かにお前くらいの年になると、いろんなものに興味が出てくるのは、お父さんたちも分かる。でもな、それでもお父さんたちはそんなに簡単にお小遣いを増やすわけにはいかないんだ。どうしてか分かるか?」
硯は小さく首を横に振る。その姿が、雫には必要以上に自分を責めているように感じられる。
「答えは、お金は有限だからだ。お父さんたちだって日々の生活費に加えて、老後やお前の大学進学のために、貯金はしておかなきゃならない。それは、お前が社会人になって働くようになってからも同じなんだ。社会人になったら、自分で得たお金だけで生活していかなければならない。そうなると、やりたいことを我慢しなきゃいけないときも出てくるんだ。だから、今はその練習をしてるんだ。限られたお小遣いの中で、やりくりをする。そうやって培われた金銭感覚が将来お前を助けることになるんだ」
崇彦が言ったことは、どの角度から見ても何一つ間違っていない完全な正論だった。雫も大いに頷ける。
だけれど、その正論は問題の本質を正確には捉えていないように、雫には思われた。硯がただ金銭を目的に援助交際を行っていた場合は話が別だが、これまでに聞いてきた話や得ている情報から、雫にはどうしてもそれだけだとは考えられない。もっと硯の精神的な部分が関わっているような。だけれど、それも何の根拠もない憶測にすぎなかった。
「……う、うん。そうだよね。お父さんの言ってることはその通りだと思う。ごめんなさい。深く考えることもしないで、そういったことをしてしまって」
「いや、お前は謝らなくていいんだ。悪いのはお前にお金を出した男の方なんだから。そんな奴はしっかりと法で裁かれて、相応の刑罰を受けるべきなんだ。でもな、亜実。ここを出たら二度とそういうことはしないって、お父さんたちと約束してくれるか?」
崇彦にそう言われて、硯は小さく首を縦に振っていた。いや、硯からしてみれば、頷く以外に仕様がなかったのだろう。両親は当然硯がもう二度と援助交際をしないことを願っていて、硯もそれに応えなければならないと思ったことは、雫には容易に察せられる。
だけれど、それでも硯の問題は何も解決していないとも、雫には思われてしまう。金銭的な面はもちろん、何かが変わらなければ、今の状態で家に戻っても、また同じことを繰り返してしまう可能性が高まってしまうだけだろう。それは誰にとっても望ましいことではない。
そう雫が思う一方で、崇彦たちは「そうか」と頷いている。その態度は、二人が自分たちにも原因があると自らを省みているようには、雫には見えなかった。