硯に対する二回目の鑑別面接は、雫が牛丸たちから話を聞いたその翌日に行われた。鑑別所に出勤して全体朝礼を終えてから、雫は準備を整え居室に硯を呼びに行く。
ドアを開けると、硯はちょうど本を読んでいる最中だった。人と人との繋がりの大切さを描いた小説だ。
だけれど、親からは勉強をするようにプレッシャーをかけられ、友人も多いとは言えない硯は、その内容をどう受け止めているのだろう。
そのことを軽く想像しながら、雫は「硯さん、今日の面接を行いましょう」と声をかける。硯も素直に立ち上がっていて、まだ鑑別所に入所してきたことが腑に落ちていないのかもしれなくても、今自分が何をすべきかは硯もしっかりと分かっているようだった。
「それでは、今日の面接を始めさせていただきます。硯さん、よろしくお願いします」
第一面接室で向かい合って座ると、雫はさっそく目の前の硯に、そう声をかけていた。硯も「よろしくお願いします」と小さく頷いている。
でも、その表情にはまだ硬さが見られて、面接室に流れる空気もピンと張っているように、雫には思われた。
「では、まずは簡単な質問から始めましょうか。硯さんは鑑別所にやってきて、もうすぐ一週間が経とうとしていますが、いかかですか? 鑑別所での生活には慣れてきたでしょうか?」
「……それは、正直なところ半々といったところですね。食事のときなど他に入所している人と私語をしなかったり、朝早くの起床には徐々に慣れてきましたが、それでも家にいたときよりもずっと早い消灯時間や、本を読むことくらいしかすることがないことには、なかなか慣れないです。だから、半々ですね」
「そうですか。だけれど、消灯時間が早いことも規則正しい生活を身につけるためには大事なことですし、時間があることも、硯さんが自身が行ったことを顧みるためには必要なことです。ですので、どうか硯さんにもそのことを理解していただきたいです」
「は、はい。それは分かっています。でも、本当に正直に言うとスマホに触ることさえできない生活は、思っていたよりも大変に感じてしまっています」
「そうですね。ですが、前回の面接では硯さんはスマートフォンのソーシャルゲームに使うお金を得るためにそういった行為をしていたと、おっしゃっていましたから。だから、一度スマートフォンやソーシャルゲームから離れて、冷静になる時間も必要だと、私は考えるのですが」
「……そうですよね。望ましくないことを言ってしまってすいませんでした」
軽く謝ってきた硯を、雫は「いえいえ、大丈夫ですよ」とフォローした。
これから本題に入るにあたって、硯を縮こまらせていいことは一つもなかった。
「それでは、硯さん。ここからは少し話をお訊きしたいと思います」
それからも少し雑談を交わしてから、雫はそう切り出していた。「は、はい」と返事をした硯も、姿勢を改めている。その表情はまだどことなく固かった。
「では、まず最初に。昨日私は硯さんが通っている高校に伺わせていただきました。そこで担任の牛丸先生や学年主任の三角先生とお話したのですが、硯さんは学年でも上位の成績を収めていたそうですね」
「それは、はい。改めて言われると恥ずかしいんですが、そうだと言えると思います」
「それは硯さんの日頃の勉強の成果で、それは私も誇れることだと感じています。ですが、学年でも上位の成績を収め、しかもそれを維持するとなると、勉強はなかなか大変だったのではないでしょうか?」
「それは確かに、少し大変だなと思ったことはあります。でも、良い大学に進学するためには必要なことなので、自分のためにと思って頑張っていました」
「あの、硯さん。たいへん聞きづらいことなのですが、それは本当に自分のためだったのでしょうか?」
「……どういうことですか?」
「いえ、面談の様子を見て、硯さんのお母さまはとても教育熱心な方だと感じられたので。それは先生方と話していたところからも窺えました。もしかすると、硯さんは自分のためではなく、お母さまの期待に応えるために勉強していたのではないかなと思いまして」
自分がいささか失礼なことを言っている自覚は、雫にもあった。もし硯が自分から進んで勉強をしていたとしたら、見当違いもいいところだ。
それでも、硯が自分から勉強することを望んでいたとは、正直なところ雫にはあまり思えていなかった。硯も一瞬返事に詰まっている。
硯の目はかすかに泳いでさえいて、それは自分が硯の本音に近づけている証のように、雫には思えた。
「……いえ、違います」
少しの間があってからそう返事をした硯の口調は重たくて、それはまるでどう答えればいいか分かっていないかのようだった。言葉に困るということは、自分が言ったことはあたらずとも遠からずだったのだろう。
だから、雫はもう少し質問を重ねて、より硯の本音を訊き出してみる。
「そうですか。あくまで私にはですが、硯さんの勉強はお母さまやご両親を満足させるための意味もあると、感じられたのですが」
「……いえ、そんなことはないです。私の勉強は一〇〇パーセント、私のためでした」
そこまで言っても硯は雫と目を合わせていてはいなくて、雫は硯の言うことを完全には呑み込めない。
必要もないのに母親を庇ってしまっている。そんな風にさえ、雫には感じられていた。
「なるほど。私はてっきり硯さんがご両親から勉強をしなさいというプレッシャーを受けていて、それがストレスにさえ感じられていたのかもしれないと思っていたのですが、どうやらそれは私の思い過ごしだったようですね」
「はい、そうです。もちろん勉強が大変だなと思うときはありましたけど、それでも別の方法で息抜きはできていましたから。お母さんたちのせいじゃありません」
そう答えながらも、硯はやはり雫の顔を見られてはいなかった。気後れしているのは、本当のことを言っていないからだろうか。そう雫には思えてならない。
だけれど、母親や両親が悪いとは、まだ現状や硯の心情を思えば、雫には決めつけることはできなかった。
「そうですか。ちなみに訊きたいのですが、その息抜きの方法とは洋服を買ったり、ソーシャルゲームをすることだったりするのでしょうか?」
雫の質問に硯は答えなかった。何かを言い淀むかのような表情をしている。頷いてしまっては自分の不利になるけれど、「違います」と言って他の方法を並べることもできていないのだろう。そう雫には感じられる。
口をつぐんでいる硯の態度を、肯定とは雫は捉えたくなかったけれど、それでも面接を進めるにはそうするほかなかった。
「硯さん。もしそうだとしたら、洋服を買ったりソーシャルゲームに課金をするためには、お金が必要となってきますよね。前回の面接で硯さんは、そういったお金を得るために援助交際をしていたと言っていました。そうなると、今回のことの発端は勉強をしなければならないストレスだと私には解釈できてしまうのですが、いかがですか?」
「……いえ、違います。私がそういうことをしたのは、単にお金が必要だったからです。勉強は何も関係ありません」
「そうですか。では、これも私の勝手な解釈にすぎないということで、よろしいでしょうか?」
「は、はい。そうです。勉強もお母さんも、今回のことにはまったく無関係です」
重ねて強調した硯に、雫は疑念を捨てきれない。まるで自分にそうだと言い聞かせているような印象さえ感じられたからだ。
だけれど、雫は「それは違いますよね」とは、なかなか言えない。
もちろん、厳しく本当のことを訊き出さなければならない場面はあるが、今の硯を見ていると、そこまでするのは気が引けていた。
まだ鑑別面接の機会は残っている。焦る必要はない。雫はそう心の中で唱えて、「分かりました」と答えてから、話題を変えた。
硯の学校生活について、牛丸たちから聞いたことを確かめるように、雫は訊いていく。硯も雫が言うことを概ね認めていて、牛丸たちが抱いていた印象は正しかったと、雫には裏付けが取れたようだった。