牛丸たちとの面談を一時間ほどで終えた雫は、鑑別所に戻ってくると、さっそく牛丸たちと話した内容を別所と共有した。
雫もまた別所から、午前中になされた硯に対しての意図的行動観察の結果を聞く。今までの自分について振り返ることをテーマに、硯が書いた作文を雫も読んだ。
だけれど、そこには当たり障りのないことしか書かれていなくて、雫たちは硯について新たな情報を得ることはできなかった。「反省しています」という言葉が表現を変えて幾度も登場していて、その様子からは硯が本当に反省しているのかどうかは、雫には分からない。
少年院には行きたくないと、自分たちに迎合するようなことを書いている可能性だってある。雫にはそう穿った見方さえできた。
別所に牛丸たちとの面談の結果を報告してからは、雫は自分の席に座り、パソコンに向かって今別所と話したことを、改めてまとめ始めた。メモを参照しながら、牛丸たちが話していたことを改めて思い返して、ファイルに打ち込んでいく。
すると、その最中に職員室にはチャイムが鳴らされた。パソコンの時計を見ると、それは予定通りの時間だったから、誰がやってきたのかは雫にも容易に想像がつく。
作業を中断して玄関に向かうと、そこには案の定真綾が立っていた。硯と面談をするためにやってきた真綾を、雫は鑑別所の中に招き入れる。
そして、真綾を第一面接室に通すと、今度は居室へ硯を呼びに行った。雫の声かけにも、硯は素直に応じる。
その顔にはまだ若干緊張の色が覗いていたけれど、自分の処遇の決定に重要な役割を果たす真綾と顔を合わせるのだから、無理もないことだと雫は感じた。
硯を第一面接室に通し、真綾と対面させると「では、後はよろしくお願いします」と言って、雫は職員室に戻っていった。家庭裁判所の調査官である真綾は、担当している少年と二人きりで話をすることができる。それは虞犯で入所している硯も、また例に漏れなかった。
職員室に戻った雫は、中断していた牛丸たちとの面談結果のまとめを再開させる。
でも、パソコンに向かいながらも、雫は今面談をしている最中である真綾と硯のことを意識せずにはいられない。自分がその場に加われていないことに、何度経験しても時間が引き延ばされているように感じられる。
机上の電話が鳴ったのは、雫が牛丸たちとの面談の結果をあらかたまとめ終わった頃だった。電話機に表示された番号は第一面接室からの内線だ。
実際、電話に出てみると真綾が「面談が終わったので、迎えに来てください」と言っていて、了承した雫は再び職員室から出る。
第一面接室に入ると、硯は少しだけ気の抜けたような表情をしていて、真綾との面談の間もずっと気を張っていたことが、雫には窺えた。
硯を居室に戻してから、雫は再び第一面接室に入る。雫を見るなり、真綾は席を立っていたけれど、「どうぞ座っていてください」とは雫には言えなかった。
「真綾さん、硯さんとの面談お疲れ様でした」
「うん。雫もお疲れ様。今日は硯さんが通う高校に行って、先生方と話してたんでしょ。どうだった?」
「はい。担任の先生も学年主任の先生も、真摯に対応してくださって。おかげで硯さんに関する話をいくつも聞くことができました」
「そっか。それはよかったね」
「あの、真綾さんの方こそ、今の硯さんとの面談はどうだったんですか? 何を話されたんですか?」
「まあ、色々だね。どうして今回のようなことをしたのかとか、このような事態になって今何を感じてるのかとか、色々だよ」
「……で、どうだったんですか?」
「まあ、芳しい結果になったとはあまり言えないね。どうしてしたのか理由を聞いても、服やソシャゲの課金のためにお金が必要だった以上のことは言ってくれなかったし、今どう感じているのかも、申し訳なく思ってるの一点張りで。どうしてそう思ってるのかってことは、あまり訊けなかったよ」
真綾の報告を聞いて、雫は「そうですか……」と肩を落としそうになってしまう。それは雫が初回の面接で硯と話したことと、ほとんど同じだった。あれからまだ一日しか経っていないから、そんなにすぐに気が変わる可能性は高くないと分かっていても、それでも落胆する気持ちは抑えられない。
真綾も鑑別所での初回面接の結果は当然知らされているから、「ごめんね。めぼしいことは訊けなくて」と謝っている。そうなると雫も「いえ、そんなことないですよ」とフォローに回らざるを得ない。
「まだ家裁に送致されてからもあまり日が経ってないんですし、信頼関係もできていない今は、硯さんが心を開かないのも致し方ないことですよ」
「そうだよね。まだ面談の機会は残されてるから、そこまで焦る必要はないよね」
謝ってはきたものの、真綾は今日の面談が不調に終わったことを、さほど不安視していないようだった。
雫としてもまだ硯との面接の機会は残っているから、そこまで気に病む必要はないと思える。今は少しうまくいかなくても、最終的に硯にふさわしい処遇意見を提案できればいいのだ。
「はい、そうですね」
「うん。ところで雫の方はどうだったの? 今日は硯さんが通っている高校に行ったんでしょ? 先生方とどんな話をしたの?」
改めて真綾に尋ねられて、雫も先ほど牛丸たちと話した内容を真綾に伝える。
硯は勉強が得意ないわゆる優等生タイプだったこと、部活には入っていなくて休み時間に話すような友人も一人しかいないこと、親が教育熱心で学校にまで干渉してきたことがあることなどを、順を追って伝える。パソコンのファイルにまとめておいたおかげで、雫の頭も少しは整理されていて、いくらか理路整然と話すことができた。
真綾も雫の話を、腰を折ることなく聞いている。メモを取っていないのは、後でそのファイルをメールで真綾にも送るからだろうと、雫は話しながら感じていた。
「なるほどね。先生方から見た硯さんの印象については、大体分かったよ」
「はい。面会のときにも窺われましたけれど、硯さんは親から勉強をするようにプレッシャーを受けていたようで。そのことがストレスとなって、今回の事案に繋がる原因の一つになったのかもしれないと、私は考えているのですが……」
「まあ、そうだと決めつけるのはまだ早いけど、その可能性はないとは言えないね。他にもしたいことがあるのに、勉強することを押しつけられていたら、不満は溜まっていくだろうから。それは私にも身に覚えがあるし、雫だってそうでしょ?」
真綾が言うことを、雫は否定できなかった。自分たちだって大学受験のために、様々なことを我慢して、受験勉強に励んでいたのだ。
さらに、大学に入ってからも二人は法務技官や家裁調査官の採用試験に合格するために、勉強を続けていた。それは勉強の末にやりたいことがあったからだが、それでも勉強の日々を辛く感じたことは、雫にだって一度や二度ではない。
望んで勉強をしている自分でさえそうだったのだから、親の意向が強い硯なら、なおさらそう感じるときはあっただろう。硯が勉強をしたくてしているのかは、雫にはまだ分からなかった。
「まあ、でもだからといって援助交際に走るのは、あまり良いこととは言えないけどね。もっと他の一般的に認められてるストレス発散方法だって、いくらでもあるわけだし」
「でも、硯さんには援助交際でなければならない理由があった……?」
そうこぼした雫に、真綾も明確な返事はしていなかった。その理由がまだ分かっていないのだから当然だ。第一面接室に束の間の沈黙が流れる。
そんななかで真綾はどこか遠くを見るような目をしていたから、雫はそのわけを尋ねずにはいられなかった。
「真綾さん、もしかして大学時代のことを思い出してます……?」
ふと問うた雫に、真綾は「まあね」と素直に認めていた。
とはいっても、実際に真綾が援助交際やそれに類する行為をしていたわけではない。真綾には大学時代、様々な事情があって生活に困窮した女性やDV被害を受けた女性が駆け込むシェルターで、ボランティアをしていた期間があるのだ。
そして、そこには硯くらいの年齢の女性も来ていた。だから、真綾がそのときに接していた女性のことを想起していても、雫は無理もないと思う。
「もちろん、今の硯さんより大変な子は何人もいたよ。親から虐待を受けて家にいられなくなったり、サラ金から何十万円も借金をしてたり。硯さんのように援助交際を繰り返してた子もいた。それに比べたら、親も家もあって、経済的にも不自由していない硯さんは、少し恵まれてるなとさえ思えるよ」
「でも」真綾はそう言葉を繋いでいた。雫も口を挟むことなく、真綾の言葉の続きを待つ。
「だからといって、硯さんが満たされていたとは限らないよね。もちろん、私が接した子の中にはお金も行き場もなくて、唯一自分を受け入れてくれたのは援助交際をした男性だったって子もいたけど、硯さんはそうじゃない。だから、硯さんにはそうせざるを得なかっただけの理由が、きっとあるんだよ。ただ単にお小遣いを稼ぐ以上の理由が」
そう言った真綾に、雫も「そうですね」と頷いた。硯は洋服やソーシャルゲームへ課金するお金を得る以上に、きっと多くのことを失ったことだろう。
もちろんそれが硯にとっては、どうしても必要だったのかもしれないけれど、でも極論を言ってしまえば、もっと優先させるべきことはいくらでもある。
硯がただ単にお金がほしかっただけとは、雫にはこれまで接してきて、あまり思えていなかった。
「うん。だからさ、これからもお互い協力して頑張ろうよ。私は私の仕事を、雫は雫の仕事を。それぞれ真摯に取り組みながら、常に情報交換はしていってさ。硯さんに適した処遇が出せるよう、お互い努めてこう」
自分たちがやるべきことをシンプルに示した真綾に、雫も「はい!」と頷いた。
自分たちの仕事次第で、硯への処遇が決まってくる。それは間違いなく、今後の硯のためになることだろう。
雫は気合いを入れ直す。硯への二回目の鑑別面接は、もう明日に迫っていた。