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第140話


 長野龍崎中学校での事件について続報があったのは、同じ日の昼のことだった。昼食休憩中にスマートフォンでSNSを見ていた雫の目に、一件の投稿が留まったのだ。

 それはやはり地元紙のアカウントが投稿したニュースで、見出しには重要参考人として連行された一三才の少年が逮捕されたという文字列が並んでいた。それだけで雫は再び脳が揺さぶられるような衝撃を感じる。

 リンクをタップして、記事を開く。その少年は警察の取り調べに対し、自分が犯行に及んだこと、すなわち被害者の少年を死なせたことを認めたらしい。その事実に、雫は感情をどこに持っていけばいいのか分からなくなるほど動揺する。

 少年が少年を死なせた。そのことは雫のみならず、社会にも大きな衝撃を与えるには十分だった。

 とはいえ、雫たちはいつまでも事件のことを気にしているわけにはいかない。少年相談や日常業務は雫にも控えていて、衝撃を引きずりながらも、仕事には当たらなければならなかった。

 それでも、事件の続報が出る度に雫はそれをチェックせずにはいられない。亡くなった神山と被疑者である少年は、どうやら同じクラスに在籍していたらしかった。

 雫が事件の動向を気にしながら、数日が過ぎた。

 その日、雫は朝起きたときから独特の緊張感に包まれていた。今日は、硯の少年審判が行われる日だ。自分が担当技官として関わった少年の審判の日には、どんな処遇が下るのか、雫は未だにドキドキする気持ちを抑えられない。

 鑑別所に出勤して、自分の席に着いたときも同様だ。自分にできることはもう何もないというのに、雫は気持ちが逸ってしまい、落ち着かない心地に囚われる。

 それは全体朝礼を終えて、別所が職員室を後にするとより高まった。外から車が発進する音が聞こえる。それは硯の少年審判に向けて、別所がまずは硯の両親を迎えに行った合図だった。

 職員用のスマートフォンに別所から連絡が入ったのは、別所が鑑別所を出て行って、三〇分ほどしてからのことだった。両親を鑑別所に連れてきたから、雫にも硯を外まで連れてきてほしいと、ラインが入ったのだ。

 雫もいよいよ来たかと思いながら、職員室を後にして居室に硯を呼びに行く。「硯さん、ご両親が来ていますよ。家庭裁判所に行きましょう」と声をかけると、硯はどこか怯えたような表情を見せていた。その目にははっきりと不安が覗いていて、自身の少年審判に怖じ気づいていることが雫には分かる。

 それでも、硯はおずおずと立ち上がっていて、雫は硯とともに鑑別所の外に向かった。

 両親と再会すると硯の表情は少しだけ落ち着いていて、普段はストレスを感じているようでも、やはり両親と会えたことでほんのわずかでも安心しているのかもしれなかった。

 硯たちを乗せて別所の運転のもと、公用車は家庭裁判所へと向かっていく。それを見送ると雫は職員室に戻って、昨日の少年相談の振り返りや資料の作成といったデスクワークに勤しんだ。

 それでも、やはりどこか身に入らない部分はあって、頭の片隅で硯のことを考えてしまう。硯に下される処遇がどのようなものになるか、少年審判が始まる前でも気になって仕方がない。

 やがて別所も戻ってきて、雫たちはそれぞれの仕事に再び取り組む。その間の時間が、雫にはいつにも増して長く感じられた。

 時間は、硯の少年審判が開始される一一時を迎えた。パソコンの時計を見ながら、いよいよ始まったかと雫は思いを馳せる。

 一一時のときには五人いた職員室も、次々と少年の面接や行動観察、昼食によって次々と職員は後にしていって、いつの間にか雫と那須川二人しかいなくなっていた。

 黙々と仕事をしながらも、雫の意識は頻繁に机上の電話に向いてしまう。硯の少年審判が始まってからは、一時間が経とうとしている。いつ家庭裁判所から連絡が来ても、おかしくはなかった。

 時刻は一二時を回った。那須川は昼食休憩に入っていたけれど、雫は仕事を続けながら、家庭裁判所からの電話を待ち続ける。

 すると、一二時も一五分が過ぎたところで、いよいよ電話が鳴った。電話機に表示された電話番号は紛れもなく家庭裁判所のもので、雫はすぐに受話器を手に取る。昼食休憩中の那須川に、電話を取らせるわけにはいかなかった。

「はい。長野少年鑑別所の山谷です」

 雫が電話に出ると、受話器からは聞き覚えのある男性の声が聞こえてくる。それが誰なのか、雫には名乗られなくても分かった。

「長野家庭裁判所の細貝です。ただ今、硯亜実さんの少年審判が終わったので、ご連絡差し上げました」

 相槌を打ちながら、雫は息を呑む思いがする。心臓がけたたましく鳴っていた。

「まず結論から申し上げます。少年審判の結果、硯さんへの処遇は、在宅での試験観察になりました」

 淡々と事実だけを述べるように言った細貝に、雫は電話越しに伝わらない程度に息を吐いた。

 もちろん試験観察だから、硯の処遇が完全に決定したわけではない。それでも、家庭裁判所が出したひとまずの結論を聞けて、雫が抱いていた緊張はいくらか解かれる。

「そうですか。試験観察ですか」

「はい。通知書や当日の態度から、硯さんが深く反省していることは、僕たちにも十分に把握できました。ですが、援助交際を十数回行ったという事実は、僕たちとしてもそう簡単に看過するわけにはいきませんでした。ですので、両親の適切な監護も期待できることから、ひとまずは在宅での試験観察にしようと。数ヶ月間調査官のもとで経過を見させて、硯さんがどういった態度を示し、どういった行動を取るのか見極めようと。そういった結論に、家裁としては達しました」

 細貝から試験観察に至った理由を聞いたとき、雫の口からは自然と「ありがとうございます」という言葉が出ていた。家裁が自分たちの通知書の内容を汲んでくれたことに、少し達成感のようなものも覚える。

 家裁の判断は慎重だったが、それでも雫は試験観察の期間中も、硯は適切に過ごしてくれるだろうと思える。とりあえずは高校を退学にならなかったこともよかったし、硯の両親も今回のことを踏まえて、硯への接し方を少なからず変えてくれるかもしれない。

 数か月後に行われる再審判にも、雫は明るいイメージを抱くことができていた。

「では、僕からは以上ですので、家裁にまで硯さんを迎えに来ていただけますか?」

「はい。ただ今伺います」

「分かりました。では、この辺りで失礼させていただきます」

「はい、こちらこそ失礼します」

 そう言って、雫は受話器を電話機に置いた。

 電話を終えたとき、雫は自分の気持ちがいくらか軽くなっていることを感じた。まだ最終的な結論が出たわけではないが、それでも硯なら大丈夫だろうと、何の根拠もなくても思える。

 そのタイミングで収容されている少年の昼食が終わったのか、別所が職員室に戻ってきた。自分の席に着いた別所に、雫はさっそく硯の少年審判の結果を報告しに行く。

 在宅での試験観察に付されたことを知ったときも、別所はあまり表情を変えてはいなくて、それは硯の処遇がまだ完全には決まっていないことを、雫に改めて実感させていた。


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