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第2話 山川に望し群神に徧す、つまりは引き継ぎ手順は大切に

 奢侈しゃしではないが豪壮な宮中、学びの間と呼ばれる一室がある。ここに集まっている若者たちはけいを父に持つ。椅子など無い時代で、一種のむしろのような敷布の上でそれぞれが正座をしていた。

 しんにはけいの子らがそのまま大臣に任命される『公族大夫こうぞくたいふ』の身分がある。この学びの間はそんな大臣候補のグループ塾でもあった。

「前年は戦で六卿りくけいも出ておられました。今年はその気配ございません。いつか正卿せいけいけいの方々にもご教示いただけることがありますでしょうか」

 趙武ちょうぶ韓無忌かんむきへ丁寧に拝礼しながら言う。彼は、士匄しかい相手になると少々雑だが、韓無忌に対しては違った。尊敬の念が自然と出る。

 士匄はそれを不快と思わず、素直に感情を表に出す未熟者、と嘲った。これをどう教導するか叩きのめすか、面倒だが楽しみではある。

 韓無忌が口を開く前に士匄が言葉を挟んだ。

「我がしんは、東方南方に関して、まあ小康状態とはいえる。父上はそのために文字通り東奔西走されたものだ。これ以上、わたしは言わん、韓伯かんはくにまかせよう」

 言って、士匄は先達を見た。公族大夫の中で韓無忌の席次は一番高い。

 この国は六卿りくけいが君主を支えうごかしている。前述しているが、六卿は六大臣による内閣、正卿は宰相といったところか。

 その威勢は、六卿の四席目である士燮にさえ便宜の賄賂をもらうくらいであるから、推して知るべし。時として小国の君主を超える。

 さて、韓無忌の回答である。

趙孟ちょうもう。未だ学びの議は始まっていない。政堂であらば汝はあらかじめ共謀したことになる。問いは時間まで口に出さない。そしてどのような解が想定できるか考えなさい」

 趙武ちょうぶが未熟者ながら、と頬を染めて拝礼した。趙孟ちょうもうとは趙武ちょうぶあざなであった。

 そこからたいして時間も経たぬうちに、一人の若者がしずしずと入室し、拝礼した。

「本日も良き朝にてみなさまのご尊顔拝し、喜ばしいことです」

 荀氏じゅんし嗣子しし荀偃じゅんえんである。この一族は穏やかで人の好いものが多く、少々疲れた顔の、不祥がただよう士匄しかいを気づかわしげに見た。が、本人に直接言うのは憚られたらしい。

趙孟ちょうもう。みなさまに変わったところはございませんか」

 趙武ははにかむように笑んだ。

「若輩として先達に問われたことお答え致します。本日范叔はんしゅくがお加減すぐれず、巫覡ふげきの方にご面倒をおかけいたしました。つまり、変わりはございません」

 包み隠さない趙武の答えに士匄が苦い顔をしたあと、荀偃じゅんえんを見る。その表情は少々、いじくそ悪い。

中行伯ちゅうこうはくはわたしを避け、わざわざ末席に問いをする。中行伯のすぐの下席かせき、若輩はわたしではないか。一足飛びに趙孟に聞くとは水くさい。そして本来は上席に問うべきである。このなかで最も年長上席は韓伯かんはくだ。……ど、う、し、て、顔をそらす? 中行伯」

 猫が捕まえた鼠をこづき回すような目つきで士匄は満面の笑みを浮かべた。荀偃といえば、まさにそのなぶられる鼠のようにちぢこみ、引きつった笑みで視線を泳がせた。

 士匄の個性の強さに荀偃は常に弱腰である。ゆえに、士匄を避け柔和な趙武に話を振ったのである。

 では、士匄の言う正道、韓無忌へ問わなかったのは何故か。

范叔はんしゅく。この場は政堂でなけれど、おおやけの場。私的な話にてあまり追求するはよろしくない」

 静かに釘を刺す韓無忌に士匄は肩を竦める。そのまま韓無忌の顔は荀偃に向いた。

「中行伯は我らに変わったことがないかと問うた。まず場を見てそのように思うのであれば、異変を感じた部分も指し示して申し出なさい。わからず問うのであれば、はっきりわからぬと申せばよろしい。そして何かしらの世間話のつもりであれば自省を。国政を担うものが公式の場で、変わったことがないか、などあやふやな言葉を口に出すものではない」

 まるで託宣でもするような、少し遠い目をしながら、韓無忌は一刀両断した。場を考えれば、全くもって正しく、荀偃は首をすくめた。

 この正道を尊ぶ先達は恐ろしささえある。趙武への説教もそうだが、常に容赦がない。

 これが、韓無忌に話をもっていかなかった理由であった。中行伯ちゅうこうはくとはもちろん荀偃のあざなである。

 荀偃が多少きまずい顔をしつつも、一同改めて端然と座す。

 これはいずれ参席する政堂の予行である。朝政が始まるまで集まった卿は黙って君主を待つものであった。ゆえに、参内は早いに越したことはない。この学びの間でも、早く出て座り、黙って問いを議を己で考えるのも大切な勉強というわけである。

 が。

「っし! 間に合った!」

 どのような時代にも始業ギリギリに来る輩はいる。鷹揚な仕草で悪気の無い笑みを浮かべたその若者も、そうであった。

 整った甘いマスクに選民特有の傲慢さを秘めた瞳、背は高いと言えないが、バランスの取れた肢体もあり歩く姿に威風が見えた。

 正卿せいけい、つまりは宰相の息子である欒黶らんえんである。

 父は沈毅重厚な人柄を信頼され、大国晋を背負うに相応しい正卿せいけいとちまたで有名であるが、この欒黶らんえんはいかがか。

「今日も俺が最後か。なんじらは早い。早すぎる。まるで俺が遅れてきているようではないか」

 欒氏らんし特有の深みのある声で、誠意の欠片のない言葉を吐きながら座る。

 韓無忌がふわりとした動きで欒黶へ顔を向け、

欒伯らんぱく、何度も言っている。けいを親に持つ者が時間に余裕無く来られるのはいかがか。余裕なくば事前の備えできず、急なことに立ちゆかぬこともできる」

 と静かに言った。欒黶らんえんは反省どころか、嘲笑を浮かべ

「早く出てきても刻限まで黙って座すのみ。暇ではないか」

 と言い放った。

 ここまでの発言でおわかりであろうが、父が沈毅重厚であれば、息子は傲慢浅慮と言わざるを得ない。

 ただ、とかく威張ることを恥と思わぬこの青年は、何故かその性格行いに反して愛嬌があり、頭の悪さも相まって

 まあ、欒黶だしな……。

 と、諦められ許されるところがあった。

 この時も、韓無忌はそれ以上追求しなかった。

 士匄しかいは内心おもしろくてしかたがない。堅苦しく重苦しい韓無忌かんむきより軽薄な欒黶らんえんのほうを好んでおり、もっといえば欒黶とは幼馴染みに近い。親同士の仲が良いのである。

 生真面目な韓無忌の前で好き勝手に振る舞う欒黶を見ていると滑稽劇のように思えてしまう。

 むろん、どちらに味方するか、と問われれば道理正しい先達の韓無忌である。

 その表情が静かで生真面目な先達は、

「本日の議の前に」

 と、低い声で紡ぐと、趙武を見た。

「学びの前に趙孟ちょうもうより問いがありました。六卿りくけいの方々から我らに学びの場でご教示あるや、と。始める前に問いを発したのはよろしくないが、その問いに対する解を考えるよう、伝えている。趙孟、まず汝の解を」

 最も下席の趙武ちょうぶが、身を固くして唇を引き結ぶとしらず頷いた。常は上席から意見を言うことが多い。若年ゆえの責任に緊張しながら、少女めいた口を開いた。

「かつて文公ぶんこうに若くして仕えた箕鄭父きていほはその言葉を良きとされ大夫たいふと任じられ、側近の我が曽祖父である趙成子ちょうせいしの部下となりました。これは、知恵者と評された趙成子にその教育をお任せになられたのではないでしょうか」

 ひとつひとつの言葉を思い出すようにゆっくり言った後、

「えっと。だから、あの、けいの方々が我ら公族大夫をご教示するのも、その、前例ない、というわけじゃあないと思います」

 と、ヨレヨレした口調で終えた。士匄しかいは、バカを見る目そのものを趙武に向ける。

 趙武は鈍い青年ではなく、士匄の侮蔑に気づき、不愉快な顔をする。例え未熟な発言だとしても、相手を侮り嘲るのは恥ずかしい人間だ、というのが趙武の価値観の一つであった。

 顔を引きつらせ空気の悪さに戸惑うのは荀偃じゅんえんであり、どうでもよさそうなのか欒黶らんえんである。韓無忌かんむきは薄い表情を士匄に向け、

范叔はんしゅく。先ほどなされなかったあなたの解を。趙孟を教導しているのは汝だ」

 と、投げた。韓無忌が趙武に説明してやったほうが角が立たぬであろう。二人は相性良く家も仲が良い。が、舌鋒鋭い士匄に投げた。

 容赦をするな、ということだろう。

 士匄は舌なめずりせんばかりに、趙武を見る。

「文公はいまだ国が乱れていたときの名君だ。と、お子様向けの言葉では納得できぬであろうから、言ってやろう。箕氏きしが趙成子につけられたは、人手が足りぬからだ。悠長にお勉強会している我らと違う。実地で学ばせるしかない時代であった。そもそも、大夫は政治や教養を祖父や父、家の史官しかんゆうの長老に教えを請う。その上で我らは公族大夫こうぞくたいふとして卿の予行をしているのだ。学びの後に我らはそれぞれのお父上に侍り、本日の議を伺うこともある、問うこともある。常に卿の方々は忙しいが頼めば応じてくださろう、己で伏して願い出ろ。来てほしいなどと、怠慢にほどがある」

 長々と、なされた士匄の『ご教示』は、言葉による暴力だった。趙武の事情も未熟も関係ない。知恵の回らぬ愚鈍、政情を甘く見る未熟者、待ってるだけの怠け者。趙武が下を向いた。いちいち正論であったが、彼にも事情がある。

 趙武は祖父どころか父にも教えを受けていない。史官――家の記録者であり家庭教師のようなものである――もいなかった。彼が生まれた時、趙氏ちょうし晋公しんこうにより滅ぼされかけた。趙武が隠され育てられていなければ完全に滅びきっていたであろう。

 貴族的な常識を知らぬ、と士匄は言ったにも等しい。むろん、彼はこの後輩の過去をある程度知っている。知らぬものを探すほうが難しいほどの粛清だったのだ。

「……趙孟。汝は学ぶこと多き者です。范叔の言葉は厳しいが理はある。未熟を自覚することは良し、恥に思わぬよう。范叔は、相手の矜持を尊重することを覚えてほしい。さて、議に移ろう」

 韓無忌がそれぞれに顔を向けて言った。打たれ強い趙武が、心を引き締める顔となり、士匄は少し口をとがらせた。

「では。いにしえの道に従われたぎょう帝は、聡明文思にての地におられたしゅん帝の徳をお認めになられ後を託された。さて、舜帝は正月元旦、文祖ぶんそ堯のびょうにて儀を行い、後を受け継がれた。舜典しゅんてんに曰く――璿璣玉衡せんきぎょくこうて以て七政しちせいひとしくす。ついに上帝に類し六宗りくそういんし山川に望し群神にへんす。五瑞ごずいあつめて月につくし、乃ちひび四岳群牧しがくぐんぼくまみえ、ずい群后ぐんこうかえす。本日はこちらにて、各人の考え、思いを述べることにしよう」

 簡単に言えば、王を譲られた舜帝が、天文観測をし、土地を祀り人々を統べた、という話である。璿璣玉衡は天体観測器のことで、天の運行が政治に関わっていたことを意味し、四岳群牧云々は現在でいわば政治区分の取り決めと同盟会議といったところか。

 貴族の当然として、古典故実は全て頭の中に入っている。韓無忌かんむきもよどみなく、まるで今日の新聞の一記事について語ろう、というような口調であった。そう、みな当然知っているのであるが、それにしても、である。

「……舜典とは、あのいささかふる……しぶ……えっと、古式ゆかしいですね」

 全員の思いを代弁するかのように荀偃じゅんえんが苦い顔をして言った。現在のしゅう王朝の前がいん王朝、その前が、そして。これははるか昔、虞王朝建国譚である

 韓無忌が、それがなにか? という顔をした。荀偃はそれに押されてひきつりながら引き下がった。士匄は、先ほどの前座の続きか、と見当をつける。このあたり、この青年は勘が鋭い。

 今から、どうとでもとれる古すぎる習慣を元に己の考えを述べ政見の正当性を証明せよ、というディベートをするのだ。しかも、末席趙武に対するサービスを兼ねている。経験が浅い趙武へ韓無忌なりの心配りなのだろう。

 中国だけではなく、年長もしくは議長を真ん中に一つのテーマによる討論を行っている古代文明圏は多い。

 何でも人任せの欒黶らんえんはめんどくさそうな顔を隠さず、押しに弱くすぐにパニックを起こす荀偃は途方にくれている。お膳立てに気づかぬ趙武ちょうぶは密かに気合いを入れているようであった。彼は努力家であり、何事も厭うことがない。

 士匄といえば、ディベートそのものに不安はない。はっきり言えば得意中の得意である。

 古典故実法制国史が叩き込まれた脳みそから必要な言葉を即座に見つけて場に相応しい辞とするのは士匄の得意技である。また、相手が少しでも弱腰を見せれば、畳みかけるように抉り持論をズタズタにする。先ほどの前座が良い例である。

 彼は相手の矜持を折ることに悦びを見いだしているわけではない。単に勝ちに拘りすぎてしまうのである。時おり行きすぎて余計な言葉を足してしまい、舌禍となることも、ままあったが。

「では年長の私から申し上げます。舜帝は堯帝に帝位を継ぐよう命じられても己に徳無しと辞退なされていました。しかし、星が天命てんめいを示されていることを知り、帝位を継がれてまつりをし、天にご報告された。天の意は絶対という貴い教えと思います」

 荀偃がまず、年上として口火を切った。『政治表明はセオリー通りにしよう』、程度の主張であり、常識的かつおもしろみのない言葉であった。

 ここから様々な問答が行われたが、割愛する。授業風景というものは、煩雑かつ無味乾燥だからである。

「本来、天は我らの思いを汲み取りません。ただ示すのみです。しかし、舜帝しゅんていに対しては道を示されたように思えます。天は時にそのようなことをなされる。滅ぼうとしていた趙氏ちょうしが復権し私がここにいるのも、示されたと言うよりなにか汲み取って頂いた心地がいたします」

 幾度かの論の末に趙武が柔らかい声音で言った。彼は、未だこのディベートの本質がわかっていないようであった。

 そのような趙武に士匄が首を振り、長い反対意見を述べた。

「天は恣意しい的に手を差し伸べぬ。趙氏が族滅しかけたも、お前が再びその責を背負うことができたも、天がただ示しただけだ。舜帝に対してもただ示したのみ。帝位を継ぐ覚悟はおありだったろうが、自らを律しておられたゆえ、天命明らかになるまで慎み深く隠されておられたのであろう。天の示しに人はただ受け取り約することしかできぬ」

 士匄は舜帝の謙譲と趙氏復興の必然について述べたうえで、

「この話は、約定やくじょうの大切さを物語っている。堯の時代から今にいたるまで、国と国、土地と土地、約定とそれに即した祀りがある。天はただ見るのみ、その威を示し人の往き道を見定めるのみ、だ。天に道ありとも慈愛は無い。王、諸侯、卿はみな天に約し、その示しに粛々と従うべし」

 と、天に対する約定の話で締めた。

 趙武ちょうぶは運命というものは、良い行いや憐れみへの対象に優しさを感じる、という旨を言った。もっといえば天の采配は流動的という発想である。

 が、士匄しかいは天は時の流れと同じく平等無情であり、舜帝しゅんていがそのような人生であることを知らせただけ、趙氏ちょうしが滅びることがなかったのも、元々そう決まっていた、という反論である。

 実際、この時代において天は何かをしてくれる信仰対象ではない。ただ、人が勝手に崇めている、というていであった。その上で

「天の元で行われる約とめいこそが世のかなめ

 と主張したのである。それを最後まで聞いた欒黶らんえんが、からりと笑った。

范叔はんしゅくの体質も天の采配、定められたものというわけか。祖の戒めでも祟りでもなんでもなく、士氏ししの嗣子は雑多なにモテモテになるよう約されるとは天もなかなか味わい深い」

 荀偃じゅんえんがぶっと吹きだし、笑いを堪えようとしてさらに吹きだした。趙武は堪えることなど最初から放棄し、突っ伏してひぐひぐと笑っている。言い出した欒黶は上手いこと言った、と得意げな笑みを浮かべていた。韓無忌かんむきだけが身じろぎしていなかったが、口はしが少々引きつっているところを見ると密かに笑っているようだった。この一族は沈着さで有名だが、彼はまだ未熟らしい。士匄は不愉快極まり無い顔でみなを睨んだ後、

「……天のめいであらば、死ぬまでつきあう所存であるが、胸くそ悪い。くそ笑うな、便利なのは放った矢を持ち帰ってくるが憑いた時だけだ!」

 と忌々しそうに怒鳴った。とうとう、韓無忌さえも我慢できず、声を立てて、笑った。

「あ、あは、あはは! 范叔はんしゅく! あなたはとても頭の回転よく弁も立つのに、どうしてそう……脇が甘いんです、だめ無理おもろい」

 趙武がつっぷしながら床をバンバンと叩き、笑い続けるため、士匄は先達として近づき、その頭にチョップした。

「……みな、心を静かに。どのようなことでも心を荒立ててはならないという意味では良い議になったと思う。そして、范叔の言うとおり、約定とちかいは大切です。国と国、人と人だけではない。山川さんせん、神々、土地。全てに対して我らは約定とちかいをし治める責務がある。どのような細かいことに思えてもおろそかにすれば天が見放し、我らの立つ地は崩れるでしょう。そろそろ、朝政ちょうせいが終わりけいの方々が政堂から出られる時間です。公族大夫こうぞくたいふの責務、お父上が卿の方々はお出迎えを。趙孟ちょうもうは私とともに来られよ」

 韓無忌の言葉に趙武が拝礼した。年若い趙武の後見人は韓厥である。韓厥自身は幼い頃に趙氏にて養育されていた。この二族はその意味で近い。

 寺人じじんがやってきて、韓無忌に杖を渡した。立ち上がる韓無忌に趙武が素早く手を沿える。彼は疾病に侵されており、そのため弱視に近い。ゆえに、会話のはしばしで遠い目をするような顔をしていたのである。

 一度立ち上がると、杖を使っているとは言え堂々と歩いて行くのは彼の研鑽なのであろう。その才、人格を評されているだけに、惜しい嗣子よ、と言われている。

 さて、士匄は欒黶を捕まえ、

欒伯らんぱく。このあと、わたしの邸に来ぬか。お前と弓を競いたい」

 と少し食い気味に言った。欒黶、あざなは欒伯はあまり頭はよろしくないが、だからといって鈍いというわけではない。

「なんだ。また憑かれまくっているのか」

 宮城と自邸を往き来するだけで変なものが寄ってきているのか、という問いである。士匄は図星をつかれ、苦い顔をしながら頷いた。

「お前といると、寄ってこないからな。いいなあ、お前は! 泥のような空気の中でもピンピンしているからな!」

「そりゃあ、俺の人徳というものだ、なんじとは違う」

 人徳という言葉からほど遠い、甘やかされて育ったぼんぼんがうそぶいた。

 欒黶は士匄と真逆の、全く憑かれない男であり、もっと言えば強運の人間である。士匄は運が悪いわけでは無いが、凶を呼び寄せれば多少その日の卦も悪い。他の者も士匄ほどではないが、何かしらの怪異に会わぬわけでもない。が、欒黶は違う。雑多な幽霊怪異などはじき飛ばし、不祥漂う空気も全く気づかない。

 そうして他者を守る、などがあればよかったが、雑多な霊ていどならともかく、凶悪極まり無い場など共にいれば、欒黶以外が倒れるはめになる。日常でも非日常でも、空気を全く読まぬ男であった。

 二人は父どころか祖父も卿であり、それぞれ才や真面目さで代々人望があるのだが、息子二人に重厚さも真面目さも見受けられぬ。さて。彼らがこの大国を治められるかはともかく、目下の問題は士匄がやたら霊に憑かれたり寄られる最近である。

「まじないをしても祓っても憑いてくる。祟りか呪いか知らんが、何故わたしだけだ。わたしだけ辛いのは許せん、みな同じように苦しむべきだろう」

 欒黶に後ろから覆い被さるように体重を預けその頭に顎を乗せながら口を尖らせた。士匄は背が高い。欒黶はそこそこ低い。子供の頃からの慣れか欒黶は文句を言わぬ。

「みなが苦しんでも俺は関係ないから、まあ好きにそんな祝詞でも作ってろ。さっさと行くぞ、遅れると父上はうるさい」

 ああわたしの父もうるせえな、と士匄は返し、廊下を二人で歩き出した。

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