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いざ決着──というところで、城戸は動きを止めた。
さっきまでの鋭さはどこへ行ったのか。
ナイフを構えたまま、ぼんやりと虚空を見つめている。
まるで何かに魅入られたように。
片倉は訝しむ。
罠か。
何か企んでいるのか。
だが城戸の表情に策謀の色はなかった。
「なあ片倉……」
城戸が唐突に口を開いた。
戦闘の最中だというのに、まるで世間話でもするような口調。
「お前、何人失った?」
片倉の動きが止まる。
予想外の問いかけ。
何を言い出すのか。
「仲間を、何人ダンジョンに奪われた?」
城戸の声は静かだった。
責めるでもなく、嘲るでもなく。
ただ純粋に問いかけている。
「……アンタなんかに関係ないだろ」
片倉の声は硬い。
触れられたくない部分に触れられた不快感が滲む。
「いや、ある」
城戸は血の滲む口元を歪めて笑う。
赤い唾液が顎を伝う。
「俺にも分かるんだよ。お前が背負ってるもの。さっき、見えたからな」
片倉の顔が強張る。
見えた?
何が見えたというのか。
まさか──
片倉の脳裏に、死んでいった仲間たちの顔が浮かぶ。
小堺良平。
二階堂沙耶。
日野海鈴。
他にもいる。まだまだいる。
皆、ダンジョンに呑まれて死んでいった。
自分だけが生き残った。
なぜ自分だけが。
その問いに答えはない。
ただ運が良かっただけ。
あるいは運が悪かっただけ。
生き残ることが幸運なのか不運なのか、もはや分からない。
「でもお前は、まだ前に進んでる」
城戸が続ける。
「仲間を失っても、それでも探索を続けてる。なんでだ?」
「それは……」
片倉は言葉に詰まる。
なぜ自分が探索を続けるのか。
それは──
──“山”を超えるためだ
“あの時”聴こえた声に従っているだけだ。
だが、その声は真実を告げているのか?
片倉は努めて深く考えないようにしていた。
──もし、ただの幻聴であったら?
そう思うと怖くて怖くて仕方がなかったからだ。
ただ止まれないだけかもしれないな、と片倉は思う。
「まあいい」
城戸が片倉の答えを待たずに続ける。
疲れたような、諦めたような声。
「俺は駄目だった。玲子を失って、全部どうでもよくなった。気がつけば企業の犬。言われるままに人を殺す、ただの人形だ」
自嘲的な笑み。
血で汚れた顔が、余計に悲惨に見える。
ナイフを構え直す。
しかしその構えには、もはや殺意は感じられない。
ただ惰性で構えているだけ。
戦う意味も、生きる意味も見失った男の空虚な所作である。
「お前みたいに、ちゃんと仲間の死を背負って、それでも前に進んでる奴を見て──」
城戸の目が遠くを見つめる。
過去を見ているのか、それとも見えない未来を見ているのか。
「俺とは随分違うなと思ったよ。俺は玲子の死から逃げた。向き合えなかった。だから企業の犬になった。考えなくて済むから。命令に従ってさえいれば、何も考えなくていい」
堂内に城戸の独白が響く。
片倉は黙って聞いている。
薫子も朦朧とした意識の中で、城戸の言葉を聞いていた。
「でもそれは、玲子を侮辱してることになるんじゃないか。そう思い始めた」
城戸の声が震える。
感情を押し殺してきた男が、ようやく本音を吐露し始めた。
「玲子は俺にそんな生き方を望んでなかったはずだ。企業の犬になって、人を殺して、それで満足しろなんて言うはずがない」
ナイフを持つ手が震えている。
血が滴り落ちる。
脇腹の傷は深い。
もう長くはもたないだろう。
だが城戸は構わず話し続ける。
まるで懺悔のように。
あるいは遺言のように。
「お前を見てて分かった。ちゃんと背負うってのは、こういうことなんだな」
城戸が片倉の背後を見つめる。
そこには相変わらず、死者たちの幻影が立っている。
片倉には見えない。
だが確かにそこにいる。
片倉と共に在り続けている。
「重いだろ?」
城戸の問いかけ。
片倉は答えないが──重いに決まっていた。
「でも、お前はそれでも前に進んでる」
城戸の声に、羨望のような響きが混じる。
「俺にはできなかった。玲子一人ですら、ちゃんと背負えなかった」
情けない、と城戸は自分を嗤う。
血で濡れた唇が歪に吊り上がる。
「だから俺は、お前に」
言葉が途切れる。
何を言おうとしたのか。
城戸自身にも分からない。
ただ、片倉という男に惹かれた。
同じ痛みを知りながら、自分とは違う道を選んだ男。
逃げずに、背負い続けている男。
そんな片倉に、何かを求めていた。
救いか。
赦しか。
それとも──
断罪か。
恐らくは最後のものだろう。
自分のような男は、断罪されるべきだ。
企業の犬として生き、人を殺してきた報いを受けるべきだ。
そしてそれは、同じ痛みを知る者によってなされるべきだ。
片倉なら、分かってくれる。
この苦しみを。
この絶望を。
この願いを。
そんな想いとともに城戸はゆっくりとナイフを下げた。
「そういえば、俺の腕だけどよ。桜花征機の技術力ならそれなりに役立てるんじゃねえかな。押野、そろそろ
麻痺?と片倉は思わず薫子を見た。
流血はある、しかし致命の毒が回っていないという事であれば命は助かるだろう。
ただ腹を刺されたくらいで探索者は死んだりしない。
「まあ、言いたい事はそれだけだ。お前にやってもらおうかとおもったが、やめた。自分のケツくらいは自分で拭かないとな。それと俺の死体はダンジョンに置いておいてくれ。墓なんて柄じゃねえ」
まさかと片倉は思い、城戸にとびかかろうとするが──
「あばよ」と言って城戸は瞬きの間にカムドを起動。
次瞬、城戸の首がずるりと体から落ち──