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第99話「カムド」

 ◆


 復讐という儀式は終わった。


 だが片倉の心を満たすものは何もなかった。


 達成感などという生温かい感情は欠片もない。


 胸にぽっかりと空いた穴は塞がるどころか、冷たい風が吹き抜けていくのを感じる。


 自室のベッドに横たわり片倉は天井の染みをただ見つめていた。


 渡辺という男の命を断った時の感触がまだ右手に残っている。


 カムドが肉を断ち骨を砕くあの鈍い振動。


 命が消える瞬間のあのあまりにあっけない静寂。


 城戸の無念はこれで晴らせたというのか。


 違う。


 片倉は自問しそして即座に否定する。


 城戸が望んだのは復讐という名の自己満足ではなかったはずだ。


 彼はただ、岩戸重工という名の泥沼からその呪われた運命から解放されたかっただけなのかもしれない。


 その役割を自分は果たせなかった。


 結局これもまた己の怒りをぶつけるための一方的な行為に過ぎなかったのだ。


 仲間が死ぬ。


 自分だけが生き残る。


 その呪われた円環は何一つ変わらずに回り続けている。


 ──力が、欲しい


 心の奥底、消し炭のように燻る渇望。


 それはもはや誰かを守るためでも何かを打ち倒すためでもない。


 ただあの日に聞いた声。


『山を越えよ』


 その啓示だけが虚無の荒野に立つ片倉にとって唯一の道標であった。


 彼は機械のように体を起こす。


 テーブルに置かれたカムドのコアユニットが部屋の乏しい光を吸い込んで鈍く光る。


 城戸という男が生きた証。


 その銀色の魂の欠片を手に自分はどこへ往くのか。


 答えなどどこにもない。


 それでも歩き続けるしかないのだ。


 この虚無という名の終わりのない荒野をただ独りで。


 ◆


 桜花征機本社ビル四十三階。


 特別会議室の空気は張り詰めながらも確かな高揚感に満ちていた。


「見事だった押野君」


 専務取締役の佐伯が、爬虫類を思わせる冷たい目で薫子を見つめる。


 その瞳の奥には、新たな玩具を手に入れた子供のような無邪気なまでの好奇心が揺らめいていた。


「カムドの完全な設計データ。これがあれば我が社の『プロジェクト・リキッドアーム』は一気に飛躍する」


 営業担当常務の今井は既に手元の端末で市場への影響を試算している。


「岩戸の独占を崩すどころか、我々が市場を支配する。最低でも数十億いや数百億の利益に繋がるだろう」


 法務担当の織田は、偽装工作の報告書を読み返しその完璧さに満足げな溜息を漏らした。


「岩戸重工は現在、社内の情報漏洩と他社スパイの特定で大混乱に陥っている。我々に疑いの目が向く気配は一切ない。完璧な仕事だ」


 賛辞の嵐。


 薫子はただ静かに頭を下げる。


「皆様のご支援の賜物です」


 その表情に感情の揺らぎはない。


 冷静沈着な優秀なエージェントの仮面。


 佐伯は立ち上がり薫子の肩を軽く叩いた。


「君には相応の報酬を用意しよう。そして新たなポストもだ。新設する次世代武装開発プロジェクトの責任者として君を推薦する」


 破格の昇進。


 誰もが羨む出世街道が今まさに彼女の眼前に開かれたのだ。


 会議が終わり重役たちが満足げに退出していく。


 一人残された会議室で薫子は窓の外に広がる東京の街並みを見下ろした。


 無数のビル。


 無数の光。


 薫子にはその全てが虚構の光に見えた。


 喜びも誇りもない。


 彼女が本当に欲しかったものはこんなものではないからだ。


『片倉さんはどうしているだろうか』


 その想いが手に入れた成功の輝きを色褪せさせている。


 片倉が復讐の果てにさらなる虚無に沈んでいることを薫子は感じ取っていた。


 ──彼の傍にいたい


 その傷を、孤独を、少しでも分かち合いたい。


 だが片倉がそれを受け入れないだろうことは薫子にも解っていた。


 だからむなしい。


 ◆


 数日がただ無為に過ぎ去った。


 片倉は桜花征機の本社ビルを訪れていた。


 五十嵐に案内されたのは地下深くにある研究開発ラボ。


 ガラス張りのクリーンルームの中で調整を終えたカムドが静かに鎮座していた。


「あなたの生体データとの同期完了しました」


 五十嵐は白い研究着のまま淡々と説明する。


「ただし完全な制御はまだ難しい。連続使用時間は五分が限界です。それ以上はあなたの精神に過負荷がかかる危険性があります」


 片倉は頷き調整されたカムドを手に取る。


 見た目はただのナイフだ。


「……そうですね、バトンってわかります? 運動会とかで使うあのバトン。あれくらいの長さを想像して軽く振ってみてください。伸びろ、ってね」


 片倉がそうすると、ナイフは振り降ろしに合わせて伸長した。


「──これは」


「ええ、持ち主の意思に呼応して形状を変化させます。イメージをしっかり持たないと駄目ですよ」


「重さも変わるんですか」


「そうなんですよ。原理は解りません。そんな事を言うのは研究者として恥ずかしい限りなのですがね──しかし重さも変わります。まあダンジョン素材を使用したものは訳の分からない性質を持つものが多いんですがね」


 ◆


 ラボを出ると廊下で薫子が待っていた。


「終わりましたか」


「ええ」


「……これからどうするつもりですか?」


「分かりません。ただダンジョンへ戻る。それだけです」


「そうですか……片倉さん」


 薫子が口を開く。


「あなたは一人で背負いすぎです。もっと誰かを頼ってもいいと思います……」


 そんな言葉に片倉は苦笑を浮かべる。


「今回、十分押野さんに頼らせてもらいました。ありがとうございます」


 片倉は頭を下げる。


 そうではないのだ、と薫子は思う。


 ──彼には何か目的がある。その目的を達成する手助けをしたい


 これが薫子の本音だった。


 もし片倉が一緒に来てくれというのなら、薫子は応じるつもりでいた。


 だが──


「じゃあ、俺はこれで。ありがとうございました、押野さん。この礼は必ず返します。何か俺にできるような事があれば力になりますので……」


 そう言って去っていく片倉の背を見つめる薫子。


「力になる──ですか」


 言質は取った、と薫子は思う。


 要は薫子に力を貸すような形でなら片倉は彼女と一緒にいる、という事だ。


 ──その過程で、私が片倉さんの目的達成の助力になればいい


 うん、と一人頷き、薫子もまたその場を立ち去った。


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