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第100話「それから」

 ◆


 片倉はそれからいくつものダンジョンへ挑んだ。


 まるで何かに憑かれたように。


 あるいは何かから逃れるように。


 北の果て北海道。


 大雪山系の奥深く、万年雪に閉ざされた氷結洞窟。


 それが片倉が次に選んだ「山」であった。


 ダンジョンの内部は氷の伽藍だ。


 天井からは巨大な氷柱が牙のように垂れ下がり、壁は磨き上げられた鏡のように周囲の景色を映し出す。


 吐く息は瞬時に白く凍りつき、頬を刺す空気は剃刀のように冷たい。


 片倉は単独で深部を目指していた。


 カムドの調整も兼ねての探索である。


 城戸の腕は桜花征機のラボでナイフの形状を基本とし、片倉の意思に応じて短槍や手甲へと変形するよう調整されていた。


 まだ完全ではない。


 だが実戦で使いこなす他に道はない。


 探索の途中、片倉は微弱な救難信号を拾った。


 発信源はさらに下層。


 迷いはなかった。


 それが罠である可能性を考慮しても、見過ごすことはできない。


 片倉自身にも理由は分からなかった。


 ただそうしなければならないという強迫観念に近いものが彼を突き動かした。


 下層は巨大な氷の広間となっていた。


 そしてその中央で三人の若い探索者が巨大な獣に追い詰められている。


 雪男。


 現地ではイエティと呼ばれるモンスターだ。


 身の丈三メートルはあろうかという巨体は白い体毛で覆われ、剥き出しにされた牙は氷柱のように鋭い。


「助けてくれ!」


 リーダー格の若者が叫ぶ。


 その隣で少女が震え、もう一人の男は腰が抜けたように座り込んでいる。


 典型的な新人チーム。


 実力に見合わぬ深層まで来てしまったのだろう。


 片倉は無言で地を蹴った。


 カムドが意思に呼応し、瞬時に片倉の左腕を銀色の手甲で覆う。


 雪男の振り下ろした剛腕を、片倉は手甲で受け止めた。


 ゴッ、と骨に響く重い衝撃。


 片倉の足が氷の床にめり込む。


「今のうちに逃げろ!」


 片倉が叫ぶ。


 だが新人チームは動けない。


 恐怖で足が竦んでいる。


 雪男の咆哮が洞窟内に響き渡る。


 氷壁が震え、天井から氷の破片が降り注いだ。


 雪男のもう一方の腕が片倉を薙ぎ払う。


 片倉はそれを潜り抜け、懐へ飛び込むと同時にカムドを短槍へと変形させた。


 銀の穂先が雪男の脇腹を抉る。


「グオオオォッ!」


 獣の絶叫。


 雪男は片倉を完全に敵と認識した。


 その隙に新人チームが我に返る。


「い、今のうちだ!」


 リーダーの若者が叫び、仲間を促して逃げ出した。


 片倉に背を向けて。


 彼を囮にして。


 片倉はそれを見送る。


 怒りも失望もなかった。


 人間とはそういうものだ。


 極限状況に陥れば、他者を蹴落としてでも生き延びようとする。


 醜くそして哀しい生き物。


 だが。


 ダンジョンは逃げる者を許さない。


 新人たちが駆け出した先。


 そこは巨大なクレバスが口を開けていた。


 薄い氷の層で巧妙に隠された奈落の入り口。


「うわあああっ!」


 悲鳴。


 リーダーの若者が最初に落ちた。


 続いて少女が、そして最後の男が。


 闇の中へ吸い込まれるように消えていく。


 叫び声がクレバスの底から微かに響き、やがてそれも途絶えた。


 片倉は雪男の心臓をカムドで貫きながら、その光景を見ていた。


 静かな瞳で。


 雪男が巨体を揺らし、どうと倒れる。


 氷の広間に静寂が戻った。


 後に残されたのは一体の獣の死骸と、三つの命が消えたという事実。


 片倉はクレバスを、その亀裂より更に昏い目で見つめていた。


 ◆


 次に片倉が向かったのは南だった。


 九州阿蘇山系。


 活発な火山活動によって形成された灼熱のダンジョン。


 依頼主はとある研究機関。


 火山内部でしか採取できない特殊な耐熱鉱石の回収が目的だ。


 成功報酬は高い。


 だが失敗すれば溶岩の海に呑まれるだけ。


 片倉にとってはどちらでもよかった。


 ダンジョン内部は地獄の釜の底のようであった。


 赤い溶岩が川のように流れ、壁からは有毒な火山ガスが噴き出している。


 空気は焼け付くように熱く、一呼吸ごとに肺が灼かれるようだ。


 片倉は防護服に身を包み、黙々と鉱石を探す。


 ここに出現するモンスターは自我を持つ炎や溶岩の巨人など、物理攻撃が効きにくい相手が多い。


 だが片倉は構わずカムドを振るった。


 液体金属の刃は熱に強く、炎を両断し、溶岩の巨人の核を砕く。


 探索の途中、片倉は一人の少年に出会った。


 歳の頃は十五、六といったところか。


 軽装のまま、無謀にも単独で探索を進めている。


「あんたも探索者か! すげえな、一人でここまで来たのかよ!」


 少年は目を輝かせて片倉に話しかけてきた。


 片倉からみても少年は才気に溢れていた。


 だからこそここまで来れたのだろう。


 探索者に憧れ、高校を中退してこの世界に飛び込んだのだという。


 その瞳は希望に満ちていた。


 かつての自分にも、あんな眼差しをしていた時期があっただろうか。


 思い出せない。


「ここは危険だ。引き返せ」


 片倉は短く告げる。


 だが少年は首を振った。


「嫌だね! 俺は最強の探索者になるんだ!」


 その言葉に片倉は何も返さなかった。


 好きにすればいい、と片倉は思う。


 案外そういうハングリー精神があるものがダンジョンから愛され、強くなったりするものだからだ。


 その時だった。


 ゴゴゴゴゴ、と地鳴りが響き、ダンジョン全体が激しく揺れた。


 火山活動が急激に活発化したのだ。


 天井から岩が崩れ落ち、溶岩流が勢いを増して押し寄せてくる。


「うわっ!」


 少年が立っていた足場が崩落した。


 バランスを崩した少年が、眼下の溶岩流へと滑り落ちていく。


「!」


 片倉は咄嗟に手を伸ばした。


 カムドを鞭のようにしならせ、少年の腕を捉えようとする。


 だが、あと一歩届かない。


 溶岩の熱気が少年の体を包む。


 防護服は瞬く間に燃え上がり、皮膚が焼け爛れていく。


「ああ……」


 少年は自分の運命を悟ったのだろう。


 苦痛に歪むはずの顔に、なぜか穏やかな笑みが浮かんだ。


 次の瞬間、少年の体は溶岩に呑まれ、一瞬にして炭化した。


 後に残ったのは焦げ付く匂いだけ。


 目の前で消えていく命。


 自分は死神なのではないか。


 片倉の心に、暗く冷たい疑念が影を落とした。


 ◆


 四国の廃坑ダンジョン。


 かつて日本有数の銅の産出地であった場所だ。


 今はただ、暗く狭い坑道が地下深くまで迷路のように続いている。


 片倉はそこで、ミサキと名乗る女探索者と一時的にチームを組んでいた。


 情報屋の紹介だった。


 腕は立つが、どこか信用ならない女。


 蛇のように冷たい瞳と、常に何かを探るような視線。


 片倉は彼女を警戒していた。


 だがこのダンジョンは単独で攻略するにはあまりに複雑すぎた。


「この奥よ。お宝は」


 ミサキが囁くように言う。


 二人はダンジョンの最奥部、巨大な空洞にたどり着いた。


 なみなみと湛えられた巨大な地底湖──その水がお宝だ。


「細胞を若返らせる──らしいわ。まだどこの企業も本当の意味でのアンチエイジングは達成していないから、かなり高く売れるわよ」


「だが守護者がいるんだろう?」


 ええ、とミサキは頷く。


「だからあなたと組んだの。腕に自身があるって言ってたけどさすがね 」


 ここまでモンスターとの戦闘をこなしていたのは片倉である。


 ミサキは戦闘能力には自信がないらしく、もっぱら援護に専念していた。


「あとは湖の守護者だけ。見た目は半魚人ってところだけれど、かなり手ごわいわ。私の前のチームもそいつのせいで──」


「そうか……。分かった。援護を頼む」


 片倉はそういって湖へ進んでいく。


 ──が。


 その意識は、既に背後の気配に集中していた。


 裏切る。


 この女は、間違いなく。


 なぜならば“囁き”があるからだ。


 ──彼女には気を付けて


 そんな囁きが。


 これまで幾度も片倉を救ってきた死者からの囁きである。


 ミサキが毒針を発射するのと片倉が振り返るのはほぼ同時だった。


 音もなく迫る死の一撃を、カムドで払いのける。


 カムドを起動した。


「ちっ……!」


 ミサキが舌打ちし、新たな武器を取り出す。


 両手に持った短剣。


 その刃には緑色の液体が塗られている。


 狭い空洞での死闘が始まった。


 ミサキの動きは速く、そして狡猾だった。


 壁を蹴り、天井から奇襲をかける。


 毒の刃が片倉の体を掠め、浅い傷を作る。


 痺れが全身に広がっていく。


「ふふ、終わりね」


 ミサキが勝利を確信した笑みを浮かべる。


 だが片倉は倒れない。


 この程度の毒、彼の肉体は既に克服している。


 幾度となく死線を越えてきた片倉の肉体は、探索者ですら動けなくなる毒を2秒で解毒・分解した。


「くっそ……単独探索者を舐めてたわ!」


 目まぐるしく機動するミサキ。


 片倉はミサキの動きを冷静に見極める。


 攻撃のパターン、呼吸のリズム。


 そして、ほんの一瞬の隙。


 カムドが唸りをあげた。


 液体金属の刃がミサキの胴体を引き裂いた。


 噴き出す血飛沫。


 ミサキは信じられないという表情で腹を押さえる。


 だが血は止まらない。


 零れ落ちる内臓。


「なぜ……」


 それが彼女の最後の言葉だった。


 どう、と音を立ててミサキの体が床に崩れ落ちる。


 片倉は血に濡れたカムドを振り、付着した血糊を払った。


 死骸には目もくれない。


 心を満たしていたのは、人間という存在への決定的な不信感だけだった。


 ◆


 いくつもの死と裏切りを経て、片倉の心は限界まですり減っていた。


 感情は乾ききり、ただ虚無だけが広がっている。


 そんな彼のもとにMAYAから連絡が入った。


 新宿のあのカフェで。


 相変わらず客の姿はない。


 MAYAはいつものように微笑みながら、片倉に紅茶を差し出した。


「随分と疲れた顔をしているわね、マサちゃん」


 片倉は何も答えず紅茶を口に運ぶ。


 味はしない。


 ただ熱い液体が喉を通り過ぎていくだけだった。


 一時は取り戻した味覚や感情といったものも、再びすり減ってしまっている。


「あなたは視られているわ」


 MAYAが唐突に言った。


 その言葉に、片倉は初めて顔を上げる。


「誰にだ」


「そうね……」


 MAYAは少し考える素振りを見せる。


 その仕草はどこまでも芝居がかって見えた。


「あなた期待している存在──とでも言っておこうかしら」


 MAYAの瞳が妖しく光る。


 その奥には、人知を超えた何かの存在が垣間見えるようだった。


「あなたは良くも悪くも、“あちら側”の注意を惹きつけてしまったのよ。あなたの行く先では、これからも必ず何かが起きる。あなたはダンジョンに祝福されているのかもしれないし、呪われているのかもしれないわね」


 片倉はMAYAの言葉を黙って聞いていた。


 自分が何かの大きな流れの中で弄ばれているのではないか。


 そんな漠然とした感覚が、確信へと変わっていく。


 駒。


 自分は盤上の駒に過ぎないのか。


「気にすることはないわ」


 MAYAが慰めるように言う。


「あなたにはあなたの道がある。ただ、その道は少しばかり険しいというだけのことよ」


 片倉はカップを置いた。


 カチャリ、と乾いた音が店内に響く。


「俺が越えなければならない“山”とは何なんだ」


「さあ?」


 MAYAは悪戯っぽく笑うだけだった。


「それはあなた自身が見つけるものよ。まあでもヒントをあげるとしたら、それは登山に似ているわね。辛く、苦しいからこそ──みたいな所があるでしょう?」


 片倉は内心で嗤う。


 瞬間、蒼褪めた怒りが冷たい殺意へと変わる。


 ──俺を、舐めるな! 


 片倉は電光石火の抜刀でカムドを抜き、MAYAを斬り払った。


 しかし。


 手ごたえが全くない。


 それどころか店にすらいなかった。


 片倉は「CLOSED」と書かれた看板を見つめる。


 店の前に立っていたのだ。


 強制的に移動させられたか、あるいは催眠か。


 ドアに手を掛けるが、びくとも動かない。


 埒があかないとみて、片倉は舌打ちをして去っていった。


 ◆


 片倉の心に刻まれた傷の数。


 それは彼が目の前で失った命の数に等しい。


 かつての仲間たち。


 氷結洞窟の新人チーム。


 火山で死んだ少年。


 裏切った女探索者。


 数えればきりがない。


 その数は、とうに三十を越えていた。


 三十の死。


 三十の絶望。


 片倉はまるで虚無の荒野に独り立ち尽くしているかの様な気分だった。


 探索者になどなるんじゃなかった、そんな想いすらも湧いてくる。


 しかし、今更にすぎる話だった。

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