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第29話 工場買収 上

 祖父江との対談を終えて、渡たちはそのままビル内を移動した。

 彼の部下である、松尾と顔を合わせるためだ。


 祖父江のときと比べれば少人数制の小会議室を押さえてもらっていた。

 大企業ともなると、小会議室の椅子もお金がかかっているな、などと関係ないところに関心しながら、松尾と挨拶を交わした。


 アライアンス戦略本部マネージャーという松尾は、三十すぎの固太りの男だった。

 学生時代はラグビーで鍛えたという体が大きく、一般人がイメージするいわゆるラガーマンらしい、情熱的で熱く明るい性格で、声も大きい。


 渡は松尾と名刺交換をした。

 以前に作ったエルヴンアトリエのロゴをあしらった名刺だ。


 松尾からすれば、渡は社会人として出たばかりのひよっ子同然だろうが、侮る気配は微塵もなかった。

 これは過去の起業家に若いものも多いということと、会長祖父江が指名して仕事を指示していることが大きい。


 最低限の敬意を持って接してくれるのは、頼る側としてはありがたいことだった。


「会長からは何でも相談に乗るように言われています。私でお答えできる範囲であればすぐに回答しますので、何なりとご相談ください」


 松尾がそう言ってくれたので、渡はまず、自分たちが何をしたいのか、そのゴールを伝えた。

 世界でも類を見ない新薬の手がかりを掴んでいて、それを世に出したい、というと、松尾は目を輝かせた。


 祖父江はベンチャーキャピタルファンドを運営していて、世界を一変させるような技術を見つけては投資を繰り返している。

 その薫陶は部下にも影響を与えているのだ。


「早速ですが、俺としては祖父江さんとも相談して、創薬関連が可能な、製薬会社の買収を行いたいと考えてるんです。できれば倒産前の設備とわずかな人員が手に入ると助かります」

「なるほど。では、買収可能な企業がないか、調べておきます。予算や条件はありますか?」

「まずは基礎研究から始めるので、規模は小さくて構いません。創薬研究が可能な最低限の設備、あと可能なら大阪、遠くても関西圏の立地が助かります」

「分かりました。製薬会社は大阪にも多いですから、今後条件にあったものが出てくるでしょう。予算の上限や目安は……」


 松尾に聞かれて、渡は言葉に詰まった。

 微妙な苦笑いを浮かべることしかできない。


 そもそも適切な買収価格の範囲が分からない。

 製薬に必要な機器や設備も分からなければ、予測の立てようもない。


 ちなみに中東で預けているお金は、投資に回され一切手を触れていないにも関わらず、少しずつ微増を続けていた。

 渡の反応から、事情をある程度察した松尾が、次善案を提案してくれる。


「まずは候補をリストアップすることを優先しましょうか。資料をお送りしますので、それを見てから判断してください」

「そうしていただけると助かります」

「いえいえ、仕事ですから。早速今分かる範囲で候補を出してみましょう」


 松尾が手持ちのノートパソコンに情報を打ち込んでいくと、買収企業リストの一部が表示された。

 買収する企業は、そもそもの工場が赤字で、設備が古く小規模な場合、安ければ五〇〇〇万ほど。

 先進的な技術は有していない。


 反して稼働数が多く、人員や設備も整っているようなケースでは、高ければ数百億円ととんでもない幅がある。

 渡の場合は最低額に近いところで検討することになるだろう。


「こういうのって、資金援助とかは受けられるんでしょうか?」

「……創薬はギャンブルとしては超ハイリスクハイリターンで、回収できる見込みが非常に少ないため、民間の投資はほとんど望み薄です。いわゆる金融融資は絶望的ですね」

「そうですか」

「そのため、ベンチャーキャピタルや助成金を利用するのが一般的です」


 VCベンチャーキャピタルは、成長が期待される未上場の企業、特にスタートアップ企業に対して資金を提供する投資会社のことだ。

 投資先企業が将来的に株式を公開した際に、その株式を売却して利益を得ることを目的としている。


 独立系・金融機関系・コーポレート系・政府系・大学系など種類に分かれるが、どれもそれぞれ自社の金銭的、技術的利益を求めて運用されている。

 特徴としては、銀行融資と異なり、返済義務がないため、資金繰りが楽になること。


 また、将来性を重視して投資されるため、実績が少ない企業でも資金を得やすいことが挙げられる。

 これだけ聞くと好都合なことばかりのようだが、実際にはそうとは言い切れない。


「ちなみにそれらを利用することで、経営などに影響はありますか?」

「ベンチャーキャピタルは会社が上場した際、株を売却することで利益を得るわけですから、将来的な方向性はほとんど決まります。自社が持つ株の割合も当然下がることになりますね。日本には自由な経営をしたいからと、非公開会社で運営している大企業も少なくありません。ENEOS、サントリーや竹中工務店、YKKなど、みなさんが知ってる企業も上場してないんです」

「へえ……! そうなんですね」


 日本で誰もが知ってる会社なら、当然上場しているものだと思い込んでいた渡は、自分の不見識を恥じた。

 思い込みは良くない。


「中には上場した後に、自社株を買い戻して非公開に戻す会社もあります」

「それもやはり経営方針を巡ってですか?」

「どうしても株主の影響を受けやすくなりますからね」

「なるほど」


 となると、渡としてはあまり上場する方向性では考えられない。

 祖父江からすれば非常に優秀な投資先だろうが……今後別の形で期待には応えたいと思った。


「助成金は下りるのが大変ですが、自由性は保てると思います。手続きは慣れたものですし、会長から私を派遣するぐらいに後押しがあるのなら、不可能ではないでしょう」

「こちらはデメリットはないんですか?」

「成果のあるなしはともかく、報告が求められますね。政府も国民からいただいた税金を運用するので、その辺りの手続きはかなり厳し目です。大まかな資金調達は、このどちらかになるでしょう」

「分かりました……。ありがとうございます」


 助成金についてはどことなく政治の臭いが漂っていた。

 政府高官や政治家の意向が大きく影響するのではないだろうか。


 ついでに、渡は人材についても質問してみたところ、すぐに回答を得ることができた。


「製薬は科学的知識があるだけでは難しいところがあります。十分な実務経験が必要ですので、これまでに勤めていて何らかの事情で退職をされた人か、転職を希望している人を集める必要があるでしょう」

「どうやって集めるのが良いと思います?」

「まずは買収先の会社に人が残っていないか当たってみるのが先決では。会社が倒産したからと言って、人材がいないとは限りませんし」

「それはそうですね……。分かりました。一番に検討します。それでもこれという優秀な人がいなかったらどうでしょう?」

「同じく買収先の会社から伝手を手繰るか……。それが無理なら人材会社を利用するか、紹介かですね。人材会社は当たり外れが大きいですからね。強くはおすすめできません。うちが投資している研究開発の会社から、退職希望者を紹介する、というのも可能かもしれませんよ」

「もしかすると、お力を借りるかも知れません。条件は弾むつもりなので、もし機会があればお願いします」


 渡は頭を下げた。

 みっちりと濃厚な時間を過ごし、気づけば喉が乾いている。

 出されていたコーヒーを飲むと、ずいぶんと冷えてしまっていた。

企業名を出してよいのか、という質問をたまにいただくのですが、本筋と絡まない範囲で出すのは、法的に問題ありませんので、そのまま通します。

ご了承ください。

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