■ その92 鏡の中の『私』、それは切望 (後)■
子どもの、自分の顔の横にある顔は、見慣れない『大人の男』の顔。
「… 先生は大人なのに、子どもの私でいいんですか?」
「面白いですよ」
「面白い?」
思わず、真横を見ました。
「あ…」
近いです。顔と顔の距離が、とても近いです。笠原先生も横を、
「両親や叔父夫婦、兄の厚い
笠原先生の右手が、桃華ちゃんの頬に触れました。笠原先生が屈めていた腰を伸ばすと、お互いの顔は放れちゃいましたけれど、頬に添えられた手に誘われて、桃華ちゃんは笠原先生を見上げました。吊り上がり気味の焦げ茶色の瞳が、桃華ちゃんを見つめています。左手は、しっかりと桃華ちゃんの細い腰に回っています。
「子どもの顔、少女の顔、大人になろうとしている顔… 笑って、怒って、悩んで、泣いて、もがいてもがいて、たまに後退しつつも未来を目指している。そんな貴女は、とても面白くて、素敵ですよ。
そんな貴女を見ているのが楽しくあり、応援したくもあり、支えたい」
笠原先生の瞳の中の自分は、いつもと変わらない自分で、周りの鏡に映っている自分もそうだ。けれど、『笠原先生』が見ている私は… この瞳に映っている自分とは違うみたい。
そう思いながら、桃華ちゃんは笠原先生の瞳から目が放せません。
「大丈夫、白川との関係は何も変わっていませんよ。変わったと感じるのは、二人が大人になり始めているから。今は悩んだり悲しくなったりするかもしれませんが、もう少しすれば分かりますよ。だからと言って、慌てないでくださいね。貴女の成長を見るのも、楽しいのですから。貴女のそばに居させてください、俺はそれを切望してやまない」
「… 先生、この行動もコンプライアンス違反よね?」
いつもの調子に戻った桃華ちゃんの言葉を聞いて、笠原先生は微笑みました。けれど、両手は放しません。
「そばと言っても、学校ではちゃんと距離を考えますよ。けれど、今日は『
実は桃華ちゃん、そこもモヤっとしていたりします。
「白川は、学校外では『
そうなんですよね。双子君達は、素直に『ヨシ兄ちゃん』って呼べてるのが、桃華ちゃんには羨ましいんですよね。けれど、そう呼ぶには、桃華ちゃんの中でまだ葛藤があるようで…
「… 先生も、私のことは『東条妹』よ。それに… それに、名前を呼び合う前に肝心な言葉が、決定打が欲しいわ」
さっき、笠原先生に名前を呼ばれた事は、忘れているみたいですね。桃華ちゃん、小さく震える手を自分の頬に添えられた笠原先生の手に重ねて、背伸びをしました。
「決定打を口にしたら、貴女の逃げ場が無くなりますよ?」
「いらない」
左手で笠原先生の腕をつかんで、引き寄せるように優しく引っ張りました。見つめ合ったまま、瞳の距離がゆっくりと縮まっていきます…
「もも…」
「駄目だ!!」
どちらからともなく目を閉じて、笠原先生が桃華ちゃんの名前を呼ぼうとした瞬間、梅吉さんの悲鳴に近い声がしました。
「… 兄さん」
ビックリして、キョトンと梅吉さんを見つめる桃華ちゃん。笠原先生は、声もなく桃華ちゃんの頬に降れている手だけを放しました。
「駄目! 駄目だからな!」
双子君達を小脇に抱えた梅吉さんは、半ベソです。
「あー、追いついた」
そんな時、奥から主と三鷹さんが追いつきました。仲良く、手を繋いでいます。
「いや、あのさ… うん、分かる、気持ちは分かる…。うん… 分かる… んだけど… 駄目!!」
シスコンの梅吉さんには、この状況はとても酷なようですね。なんとか、妹達の気持ちを優先してあげようとしていますが… 自分の気持ちが付いて行けてないようです。
「ウメ兄ちゃん、もう諦めなよー」
「僕たちがいるじゃん? 元気出しなよー」
梅吉さんの小脇に抱えられたまま、双子君達が慰めます。
「あのね、
「チューぐらい、テレビで見てるもんね」
「あ、こないだ友達の見ちゃった」
「俺は、桃華ちゃんの… 無理! お兄ちゃん、許しませんからね!」
自分で双子君達に聞いていながら、梅吉さん未遂シーンを見ちゃって、相当ショックの様です。
「あら―… とにかく、出ましょう?」
主に促されて、皆でぞろぞろと出口に向かって歩きます。キラキラキラキラ… 輝く鏡の世界で、たくさんの主達が居ます。どの主達も、梅吉さん以外はニコニコしています。
不意に、鏡越しに主と桃華ちゃんの視線が合いました。桃華ちゃん、ちょっと照れたように主にウインクしました。そして、右手が笠原先生と確り繋がっているのを見て、主も鏡越しにウインクしました。