■その95 転校生は問題児■
『2年B組、
2学年11月の初旬に、N県の
成績は中の下。
剣道部所属。
小学校から剣道を習い始め、太良咲高校での剣道の成績は優秀。
幾度か県代表にも選ばれるが、素行不良でその都度取り消し。
県内有力者の父と、サービス業を生業とする母の間に生まれる。
両親の間に婚姻関係はなく、認知はされているが、父との生活経験はない。
倉之進が問題を起こすたびに、父方がお金で示談。
母は仕事と遊びで倉之進を構う事は余りなかった。
夏の剣道合宿で、煙草の不始末による火事を起こす。
建物の8割は焼けてしまったが、死者や重傷者はなく軽症者数名。
この時も、父方がお金で示談。
この時、倉之進は自身の命の危険もあったが、同じ宿を使っていた他校の教員に助けられ、その教員を慕って、転校を決める。
母は、問題ばかり起こす息子が居なくなると、両手放しで転校を許可。
学費に関しては、卒業までの費用を前払いで支払い済み。
現在の住居は、当校よりバスで5分程の場所にある、オートロックマンションの10階に、一人暮らし。
定期的に、母親が契約したハウスキーパーが入る』
授業時間中です。職員室の机で、授業のない笠原先生はパーカーのフードを目深に被って眉間に皺を寄せて、ノートパソコンと睨めっこをしています。眼鏡の奥の目も、内容ばかりじゃなくて疲れもあるんでしょうか? 物凄く、険しいです。
先月の最初に転入してきた、佐伯君の情報です。ノートパソコンの前には、転入元の学校での成績表が広がっています。
「失礼しまーす。笠原先生―、また、佐伯君が暴れてます。
他の先生も居ますけど、とっても静かな職員室に、男子生徒の声が響きました。
「今日は、何が原因ですか?」
笠原先生、またか… とため息をついて、ノートパソコンを閉じて立ち上がりました。トレードマークの白衣の裾を、軽く払います。
「庄野内先生が、雑談で片親は…」
男子生徒がゴニョゴニョと口ごもると、笠原先生、今度は大きくため息をつきました。
「あの、ハゲ狸。また、余計なことを…」
押し殺した声のその呟きは、とても怖いですよぉぉぉ。
「それでですね、先生は委員長が庇っているんですけれど、佐伯君は男子が何とか羽交い絞めにしていて…で、先生と佐伯君の間に、白川さんと東条さんが壁になってくれてて…」
「それを早く言ってください」
笠原先生、主と
教室に近づくに連れて、教室からの騒音が聞き取れるようになりました。怒鳴り声と、机や椅子を蹴る音です。教室の出入り口に生徒がたくさん群がっています。その中に、数人の先生の姿も見えましたけれど、怖いんでしょうか? 中に入って止める雰囲気じゃないですね。生徒と一緒に、遠巻きに見ているだけです。
「あ、ヨッシー」
「先生、早く早く」
笠原先生に気が付いた生徒達が、心配そうな顔で手招きします。
「はいはいはいはい、そこまでですよ」
そんな烏合の衆と化した生徒達をかき分けて、笠原先生はいつもの様に手をパンパンと叩きながら、教室に入りました。
教室は、机や椅子が散乱しています。教壇の前で、座り込んでいる巨体の男の人が居ました。見た目にも、とても柔らかそうでどこを触っても、ポニャポニャしてそうです。お肉がタップリついたまばら
座り込んだ庄野内先生は、助けに入った委員長に縋り付いていて… 委員長、逆に身動きが取れないようです。
廊下でも聞こえた怒鳴り声は、佐伯君のものでした。頭に血が上りすぎているのか、何を怒鳴っているのかハッキリ聞き取れないんです。暴れる佐伯君を、男子が二人掛かりで後ろから羽交い絞めにしています。けれど、佐伯君の力が強くて、今にも撥ね退けられちゃいそうです。
そんな二人の間に、主と桃華ちゃんが佐伯君の方を向いて、両手を上げて立っていました。主も桃華ちゃんも、怖がっている風には見えません。
「笠原先生、は早く、アイツを指導室に…」
庄野内先生、腰が抜けてるみたいですね。動物が怖い人みたいに、佐伯君に向かってシッシッって、手で払う仕草です。委員長にしがみついたままで。
「佐伯君…」
笠原先生、庄野内先生は後回しにして、とりあえず佐伯君を落ち着かせようと声をかけた時、その暴れる佐伯君の襟足をガシ!!っと力強く掴んで、大根を地面から引っこ抜くように、肩に腹ばいに担ぎ上げた人が居ました。三鷹さんです。
「落ち着け」
低い声で一言。それと同時に、佐伯君のお尻を空いている左手でビシッ!! と叩きました。その音はとても大きくて、周りで見守っていた生徒達は、思わず自分のお尻を押さえていました。
「コイツが!!」
その一発で、佐伯君の言葉が聞き取れる位には落ち着いたみたいです。
「話はちゃんと聞きます。けれど、今は授業中です。しかも、2学期の学年末直前の大切な時期です。他の生徒の邪魔はしないでください。いいですか?
水島先生も俺も、他の生徒の時間を無駄にしたことを怒っています」
笠原先生が、佐伯君の顔に自分の顔をグイっと近づけて、低い声で圧をかけました。眼鏡の奥の目が、静かですけど怒りを含んでいます。
これ、桃華ちゃんが怪我していたら… 想像するのも怖いですね。
「水島先生、とりあえず…」
三鷹さん、笠原先生の指示を待たないで、さっさと教室を出てしまいました。
「さて、お二人は怪我はありませんか?」
そんな背中にため息をついてから、主と桃華ちゃんに声をかけました。
「「大丈夫です」」
けろっと答えながら、散らかったプリント等を拾い始めた主と桃華ちゃんを見て、笠原先生はまたまた溜息です。
「… 小言は後でにします。とりあえず皆さん、ここを片付けて、残りの時間は自習です。
庄野内先生、いつまでも生徒にすがって座り込んでいないで、職員室にお帰りください。みっともないです」
廊下から様子を見ていた生徒達に指示を出して、庄野内先生から委員長を引きはがしました。
「すみません、笠原先生。情けないことに…」
「庄野内先生、私は他人の授業をどうのこうの指摘できる程、勤勉ではありませんし、そんな立場でもありません。しかし、授業中に授業内容に関係ない話、しかも思い込みや偏見で生徒を傷つける事は、いただけないですね。
ご安心ください、職員室に竹原先生がいましたので、内線でこの後の授業をお願いしますから。それとも、この雰囲気の中でまだ授業を続けられますか?」
引き上げてもらおうと、庄野内先生が差し出した手を、笠原先生はシッシと軽く手を振って拒否しました。さっき、庄野内先生が佐伯君にしたようにです。苦虫を潰したような顔になった庄野内先生には目もくれないで、笠原先生は壁にかかっている内線で連絡を取り始めました。
庄野内先生が教室内を見渡すと、すっかり元に戻った教室内で、生徒達は笠原先生の指示通り、自習を始めます。居場所がないと感じたんでしょうか? 庄野内先生はハイハイで慌てて教室を出て行きました。庄野内先生を見て、笠原先生は生徒達の周りをぐるっと一周して、落ち着いていることを確認してから教室を出ました。もちろん、桃華ちゃんへのアイコンタクトは忘れていませんでした。