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第96話 転校生は問題児・彼が天から与えられたもの

■その96 転校生は問題児・彼が天から与えられたもの ■


 笠原先生、武道場に足を運びました。剣道部が使っている、剣道場です。

今は、どの学年も剣道の授業がないはずなんですが、竹刀で打ち合う激しい音が聞こえています。


「時として、単純が良いこともありますね」


 一礼してから道場に入って、隅で胡坐をかいて二人を見守ります。12月の冷気が漂っている道場は、凛とした空気があって寒くても背筋が伸びます。

笠原先生の猫背も、伸びます。


 三鷹みたかさんと佐伯さえき君は籠手こても面も胴も… 何も身に着けないで、激しく打ち合いをしています。三鷹さんはワイシャツとスラックス姿。あ、ベストとネクタイは取ったんですね。佐伯君は制服のままです。二人とも、腕まくりしています。

 二人の周りだけ、空気が温められているようです。


「… 防具なしで互角ごかく稽古なんて、無謀も良いところですね」


 互角稽古は、技術に差がない者同士で一定時間に技を出し合う練習方法なんですけど… ようは、試合のつもりでフェイントやタイミング、スタンス、距離、気迫、間合いなんかを考えながら練習するものなんです。


「まぁ、稽古というより『死合い』に近いですね」


 笠原先生の言う通りです。一打一打が鋭くて、まるで真剣を振るっているみたいです。防具を付けていないので、体が感じる重みもなく、体の可動範囲も広がっているので、スピードも上がっています。竹刀でも、一撃でも受けたらアウトですね。


 そんな緊張感もあるからでしょうか? お互い、決定的な一打を相手に与えることが出来ません。


「佐伯君が入部してから、ずっとこんな感じですよ」


 笠原先生、見入っていたようです。主の声に、いつの間にか授業時間が終わったことに気が付きました。

 紺色のセーターを着た主と桃華ももかちゃんが、笠原先生を挟んでちょこんと正座をしていました。


「誰も佐伯君の相手が出来なくて、たぶん、前の学校でもそうだったんじゃないかな? 佐伯君、三鷹さんと稽古をしている時は良い顔をしているんですよ」


 さすが主、時間があればクロッキーしに来ているだけありますね。


「他の時間は、すごくつまんないって顔。暴れている時も、つまらなさそう…。三鷹さん、佐伯君の実力はきちんと認めているんです。素行が良くないから、ナントカの代表? になれないのが、もったいないって。この前言っていました。

 二人とも、良い顔してますよね」


 主、ちゃっかりクロッキー帳を持って来ていました。さっそく広げて、クロッキーしながら話しています。


 三鷹さんと佐伯君の稽古は、激しさを増しました。佐伯君の気迫は、お腹の底に溜めた日頃のうっぷんのようです。三鷹さんも負けずに声が出ています。

本当に、剣道やっている時は、声が出ますね、三鷹さん。二人で何人分の声量でしょうか?


 凄いのは気迫だけじゃないみたいです。体から放出される熱が、汗と一緒に水蒸気となって主達の目にもハッキリと見えます。


「この寒い中… 誰にでも、一つは取り柄があるのよね。先生、導いてあげてください」


 桃華ももかちゃん、チラッと笠原先生を横目で見てほほ笑んで、すぐに正面を向きました。

 スッと、綺麗に背筋の伸びた正座です。主とお揃いで、ハーフアップにした艶やかな黒髪に、かんざしが挿してあります。


「それがお仕事ですからね。ところで、導く者としては、授業のボイコットを見逃すわけにはいかないのですけれど?」


「自習ですよ」


「だって、今の時間は水島先生の受持ちだもの」


 笠原先生に言われて、主と桃華ちゃんが可笑しそうに答えました。


「早く連れて来てくれって、委員長に頼まれたけれど、授業は出来なさそうね」


「俺の仕事、怒られる事だったっけなぁー。

はぁ… また、高浜先生に怒られる…」


 桃華ちゃんが言うと、いつの間にか来ていたのか、梅吉さんが後ろに立っていました。竹刀を持って。


「あ、梅吉兄さんの出番、無さそう」


 主の言葉通り、三鷹さんの一打が佐伯君の竹刀を弾き飛ばしました。佐伯君の手から離れた竹刀は、勢いよく回転しながら真上に上がります。


「うるああああああ!!」


 三鷹さん、容赦ないです。丸腰の相手ですが、仕留めに行きました。容赦ない胴打ちです。


「!!」


 弾かれた竹刀が床に落ちたのと同時に、佐伯君も声すら上げることなく床に沈みました。


「あれ、内臓大丈夫なの?」


 ええ、僕も心配ですよ、桃華ちゃん。


「肋骨折れてなければ、大丈夫じゃないかな? 佐伯君、筋肉もしっかりついてるし」


 主、筋肉が鎧で通用するのは、自分より格下の相手とやる時だと僕は思いますよ?


「ああ、胴の代わりに外腹斜筋ですね」


 ようは、横っ腹の筋肉ですね、笠原先生。あ、三鷹さんも床に座り込みました。完全に、終わりましたね。


「いいんじゃないの? 少しは痛い目見ても。自分より強い奴がいるうちは、幸せだよ」


 半分呆れながら、梅吉さんは三鷹さんと佐伯君に向かって歩き出しました。それを、主達は追いかけました。


「はいはいはい、お疲れ様です。安心してください、説教する気はありませんから」


 床に大の字になって伸びている佐伯君を、笠原先生が覗き込みました。玉の汗が次から次へと流れていて、呼吸も有れています。その横に座っている三鷹さんも、汗こそ同じぐらいかいてますけれど、呼吸は整い始めています。流石です!


「あまり、用をなさないと思うけど」


「いや」


 確かに、汗の量からしたら、バスタオルでもないと、用をなさないでしょうね。それでも無いよりはましだろうと、主は三鷹さんに自分のタオルハンカチを差し出しました。三鷹さんはホッとしたようにちょっと微笑んで、そのハンカチで顔を拭き始めました。タオルハンカチは、すぐにビッショリです。ビッショリどころか、絞れますよ。ワイシャツ、汗で透けてますしね。


「さぁ、適度な運動でストレス発散が終わりましたら、授業は受けてくださいね。頭の中の雑念も飛んで、授業内容も入りやすくなっているでしょう? 今日の授業が全て終わりましたら、引っ越しですよ」


 ご飯ですよーって、軽い感じで笠原先生が言うものだから、佐伯君どころか主も桃華ちゃんも、目が点になっちゃいました。


「佐伯君、もうご存じだと思いますが…

こちら、白川桜雨おうめさん。こちら、東条桃華ももかさん。こちら、東条梅吉さん。これから貴方が住むアパートの大家さんのお子さんです。そして、俺と水島先生は、貴方のお隣さんになります」


「「えええええー!!」」


 主と桃華ちゃんは、顔を見あって驚きました。


「え…」


 佐伯君は疲労困憊と最後決められた胴で横腹が痛むのか、身動き一つしないで絶句していました。




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