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第260話 雪と温泉・露天風呂で泳いではいけません

■その260 雪と温泉・露天風呂で泳いではいけません■


 星と月がキラキラ綺麗だった夜空も、温かな露天風呂も消えました。強烈な吹雪き… ホワイトアウトです。前後左右、真っ白な雪が吹きすさんで方向感覚どころか平衡感覚も狂って、聴覚も荒ぶる雪の音しか聞こえず、主はただただその場に立ちすくんでいるだけです。


「まただ…。でも良かった、お洋服着てて」


 主人、桃華ももかちゃんと露天風呂に入った瞬間だったんです。温泉に入るんだから、もちろん裸。でも、今の主は白いニット帽、ゴーグル、オレンジ色のスキーウエア、グローブ、スキーブーツ姿。無いのはストックとスキー板です。だから、少しホッとして、1回目の時より心に余裕がありました。


「カエルちゃん…」


 坂本さんの言葉を忘れていなかった主は、体のどこかに僕(キーホルダー)が隠れていないか、グローブを付けたままバタバタとウエアを叩いてみます。


「お願い、カエルちゃん、カエルちゃん、どこかに…」


 吹雪は、容赦なく主の熱を奪っていきます。グローブを付けた手も、ウエアに包まれた体も、感覚がなくなり始めて主の余裕もどんどん焦りに変わっていきます。


「違う、違う、いつもなら…」


 落ち着いて、落ち着いて… って、主は自分自身を落ち着かせながら、僕を想像してくれました。そう、本当の僕は折り畳みの傘。


「お帰り、カエルちゃん」


 カタカタと震える手の中に、僕はポン! って戻りました。僕は、ただの、真っ黒な折り畳み傘。寒さでカチカチと鳴る口で、主が僕の名前を呼んでくれます。懐かしそうな、嬉しそうな声に、僕は涙が出そうです。出るか分からないけれど。


「カエルちゃん、ごめんね。少しだけでいいの、私を守って」


 主は小雨でしか僕をさしてくれませんでした。激しい雨や風は、僕が壊れてしまうかもしれないから。でも今は、吹雪の中で僕を広げてくれました。


「あ…」


 真っ白い吹雪の中、その女の子は青いニットワンピースで、主の少し先に立っていました。本当なら吹雪で何も見えないはずなのに、女の子はハッキリと見えます。ただ、表情だけがハッキリ見えないんです。


「一緒に、入ろう」


 主が僕を女の子の方に差し出しながら、一歩二歩… と、寒さでガタガタ震えながら、ゆっくりと歩み寄り始めます。カエルちゃん、壊れないでね… って、強く願いながら。女の子は、ジッとそんな主を見ています。


「こんな恰好じゃぁ、風邪ひいちゃうから」


 そして何とか女の子の前に着くと、主は僕を肩に引っ掛けて、カタカタ震える手で不器用にウエアの前を開いて、女の子を包み込みました。


「カエルちゃん、三鷹みたかさんの所に、皆の所に帰ろうね」


 主がギュッと最後の力を振り絞って、僕を握りしめた時でした…


桜雨おうめ、のぼせちゃった? ぼっーとして」


 乳白色の温泉に肩まで浸かった桃華ちゃんが、主を見つめていました。


 主、帰ってきましたよ! ちゃんと、裸で温泉に浸かってますよ。でも、あの吹雪は、どこなんでしょうかね? あの女の子も居ませんし…


 真っ暗な夜の空に、大きなお月さまと、白いお星さまがキラキラ輝いています。そこに向かって、真っ白な湯気がホワホワホワホワ昇りながら、夜の空に溶け込んでいきます。そんな夜空を見上げながら、主は広~くて温か~い温泉に浸かっていました。もう少し熱くてもいいかな? ってぐらいの温度は、ジンワリジンワリ疲れた体を労わってくれます。


ああ… 戻ってこれたんだ。って、主は実感しました。


「佐伯っチ、数学の公式を叫びながら、豪快に滑ってたのよね。で、田中ッチが間違えに突っ込み入れてたの」


「いつもの事ね」


 大森さんが乳白色のお湯を、上半身だけ平泳ぎでウロウロしながら話しています。田中さんは大きな岩に背中を預けて、両手両足を目一杯伸ばして呟きました。


「それを、さっきのアイツらが見てたみたい。お風呂に入りに来たら、アイツら田中ッチに声かけてさ…」


「上手くかわせなかった、私が悪いわ」


「そ、それは、違うとお、思います。喧嘩を売ったのはか、彼らで、買ったのは、佐伯君です。た、田中さんは、ダシに使われただけです」


 松橋さんは田中さんの横で、やっぱり大きな岩に背中を預けて夜空を仰いでいます。


「そうよ、修二叔父さんも言っていたわ。いつまでも過去を引きずってるあいつ等は根暗だけど、ケジメをつけて来なかった佐伯は大馬鹿だ。って」


 皆の話を聞きながら、主は戻ってきたことを実感していました。そんな主の横で、桃華ちゃんは体中をモミモミしています。皆、髪をアップにして、それぞれに露天風呂を楽しんでいます。他にお客さんが居ないから、本当にノビノビですね。


「そうなんだ。そのケジメを、さっきつけていたんだ?」


 会話に入りながら、主も桃華ちゃんのマネをして、腕をモミモミし始めました。


「そうね。試験前だって言うのに…」


 田中さん、ちょっと怒っていますね。


「このタイミングで暴力事件なんか起こして、入試先にその情報が入ったりしたら… せっかく今まで頑張って来たものが全て無駄になるわ。彼、あんなに頑張ったのに」


そうか… 佐伯君、下手したら受験できなくなっちゃうかもしれないんですね? 田中さん、佐伯君の事を凄く応援してましたもんね。


「だから、兄さん達が居たんじゃない」


 桃華ちゃん、今度は主の肩をもみ始めました。


「あの娯楽室に入ったメンバー、ちゃんと役割があったみたいよ。一番奥のサク(高橋)さんと出入り口付近の岩江さんと、その間にいた修二叔父さんは、暴力事件を起こしても仕事に支障はないから、佐伯君に手を出そうとする取り巻きを制圧する役割。実際、サクさんが動いたでしょう?兄さんと近藤先輩は、その3人がやり過ぎない様に、ストッパー。部屋の外に居た工藤さんと笠原先生は、被害が外に行かないように、こっちもストッパー。

 で、受験への影響なんだけれど、向こうも受験生だろうし、就職が決まっている子もいるだろうし、問題になって困るのは向こうも同じなのよ」


 今度は桃華ちゃんの肩を、主が揉み始めます。


「じゃ、じゃぁ… 本当に『ケジメ』をつける喧嘩?」


「そうみたいね。でも、念のため? ホテル側に『内緒にして~』って、小暮先生と三島先生がお願いしにいったわ」


 あ、だから、二人の姿が見えなかったんですね。


「そんなお願い、聞いてくれるの? 今問題起こしてる子が通ってる、高校の先生なんですけどーって、言うの?」


大森さん、今度は背泳ぎです。上半身だけじゃなくて、確りと背泳ぎ。


「そんなこと言ったら、逆に怒られるわ。きちんと教育してくださいと。下手したら、高校にも連絡されるわ」


 大森さんの言葉と背泳ぎに、田中さんは呆れてます。


「ここ、東条グループのホテル。副社長の息子と、専務の娘って、こういう時に使うのね」


 ニコって笑う桃華ちゃんです。


「いい使い方だね」


 主もニッコリ。


「でも、信じられる? あの大騒ぎの後、ナイターですって!」


 気分が盛り上がったのに、暴れられなくて力の持って行き場がなくなった修二さんと岩江さん。暴れ足りなかった佐伯君と高橋さんと、そんな高橋さんを心配した工藤さん。この5人が夜のゲレンデを、スノーボードで滑りに行きました。


「私も、ナイター、滑ってみたいなぁ~。三鷹みたかさんも、行きたいんじゃないかなぁ?」


 キラキラ輝く星に向かって、主は両手を広げました。届かないって分かっていても、取りたくなっちゃったんですね。こんな素敵な夜空、お家ではなかなか見れないですもんね。


桜雨おうめ、けっこう滑れるようになった?」


「う~ん… 一応、滑れるようには。龍虎りゅうこ和桜なおちゃんの方が、上手になったよ。さすが、梅吉兄さんよね」


 主、星を獲るのは諦めて、指で窓を作って覗き込みました。指で作った窓に映り込んだ大小の星々を見て、主は金平糖こんぺいとうを思い出しました。


「まぁ、一応、体育の先生だからね」


 桃華ちゃんの言う通りです。教えるのが、お仕事ですもんね。


「夕飯前に、坂本さんにスキンケアしてもらって、梅っチにストレッチ教えてもらおーよ。んで、明日も朝から滑ろう!」


 大森さん、一回頭まで潜ってザバザバザバーって、仁王立ちしました。

ホッカホカに温まった体は、冷たい外気の中で白い湯気を立ててます。


「さ、賛成です」


 少し、のぼせたんですかね? 松橋さんも、勢いよく立ち上がりました。


「おっ、松橋っチ、ノリノリだねぇ~」


「す、少しですけど、滑れるようになって、た、楽しかったので… 明日も、す、滑りたいです」


 松橋さん、スキーが楽しかったんですね。田中さんも立ち上がって、3人はお湯から出始めました。


「そうね~。私も明日も滑りたいから、夕飯前に少し参考書に目を通そうかな。やる事、ちゃんとやっておかないとね」


 桃華ちゃんと主も、3人を追いかけるようにお湯から出ました。


「東条っチ、優等生発言だー。正月ぐらい、頭休めてもいいじゃん」


「大森さん、貴女も受験生。専門学校でも、試験受けるのでしょう? そのために、勉強しているのでしょう」


「田中ッチ、頭硬いなぁ~。メリハリ、大切~」


 そんな話をしながら主達は浴衣の袖に腕を通し始め、お腹を盛大に鳴らしました。


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