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第263話 雪と温泉・来年も再来年もその先も…

■その263 雪と温泉・来年も再来年もその先も…■


 白地に黒の吉原つなぎの柄は、夏に着る艶やかな浴衣とは違って、いかにも旅館の浴衣! って感じで、旅行気分を満喫するアイテムの一つですね。でも、浴衣も濃紺無地の羽織も、柄も色も帯も男女兼用で… 面白みがないです。なので、僕の主と桃華ももかちゃんは、お家から自分の兵児帯へこおびを持って来ていました。子ども用じゃなくて、大人用のワインレッド色の兵児帯です。フワッとしていて、クシュとしていて、結びやすくてボリュームも出やすいんです。歩く度に、垂れ下がった兵児帯がお尻のラインを出したり隠したり、フワフワヒラヒラして…


『まるで金魚の尾びれ』


と、桃華ちゃんの後ろを歩いている笠原先生は、華奢な後ろ姿をジッと見ていました。


「先生の、エッチ」


 笠原先生の視線を感じて、桃華ちゃんは足を止めてちょっとだけ振り返りました。かんざし1本で簡単なお団子にした黒髪の隙間から、ほんのり赤くなったホッペが見えます。チラッと笠原先生を見た瞳は、疲労感と満腹感で加速された眠気で、トロンとしていました。


「そのセリフ、梅吉に聞かれたら、殴られますね」


 笠原先生がチラッと後ろを見ます。梅吉さんは、広い廊下を酔っぱらった三島先生に肩を貸して歩いています。聞こえてないどころか、他のメンバーもいい感じに酔っぱらっていて、いつも以上に賑やかで、それどころじゃないみたいです。


「ユラユラ揺れる帯が、金魚の尾びれの様だと思っていたのですよ。見られて嫌でしたら、自衛をしてください。羽織は?」


 笠原先生は、自分の羽織を脱いで桃華ちゃんにかけてくれました。


「さっき、大森さんがお茶を零してビッショリ濡らしちゃったでしょ? 私、寒くないから貸したの」


 お礼を言いながら、桃華ちゃんはその羽織に袖を通しました。


「宿の者に頼めば、代わりはいくらでも持って来てくれますよ。風邪の心配もですが、貴女に狼藉者が寄ってこないかの心配が大きいですよ」


「自分だって、私のお尻、見てたくせに」


 桃華ちゃんは少し恥ずかしそうに、ツンツンと羽織の裾を引っ張りました。


「だから、ですよ。それだけ魅力的なんですから、気を付けてください」


 シレっと言いながら、笠原先生は桃華ちゃんの手を握って、お部屋へ向かう方とは逆の角を曲がりました。


「腹ごなしに、散策しませんか?」


 誘ってはいますけど、ほぼ確定ですよね。もう、歩き出してますもんね。


「寝ちゃったら、お姫様抱っこで運んでくれます?」


「貴女ぐらいでしたら、俺でもできますよ」


 桃華ちゃんと笠原先生は仲良く手を繋ぎながら、広くて長い廊下をあてもなく歩き始めました。行き先は、どこでもいいんですよね。ようは、2人っきりになりたいだけですもんね。


「受験勉強は、いかがですか?」


「家事のほとんどを桜雨おうめがやってくれていたし、クリスマスプレゼントにハウスクリーニングで大掃除してもらっちゃったから、お勉強にと~っても集中できました。

 学校の特別講習会もそうだけど、田中さんも、兄さんも、もちろん笠原先生も、皆一生懸命に教えてくれるし、ストレスも上手く解消させてもらっているから… 今のところ、落ちる気はしないわ。まぁ… これで落ちたら、皆に顔向けできないしね」


 廊下を歩いて、階段を下りて、また廊下を歩いて… やみくもに歩いていたら、ロビーに出ました。繋いだ手から伝わる温もりに、桃華ちゃんの眠気はいつの間にか逃げちゃっていました。


 23時を過ぎたロビーは泊り客もまばらで、桃花ちゃんと笠原先生は中庭を一望できるソファーに、並んで座りました。日中よりも明るさを落としてあるロビーは、人も殆んど居ないし、床にひかれた絨毯が音を吸収してくれているので、とっても静かです。


「中庭には、桜の樹があるのかしら? それとも、梅? 桃?」


「これだけ雪が積もっていると、ここが中庭だと言われなければ分からないですね」


 露天風呂に浸かっている時は、お天気が良かったですけど、あの後すぐに崩れたみたいですね。ガラスの向こう側は、真っ白な雪が渦巻いています。これ、旅館の壁が無かったら、真横に吹雪いているんですかね?


「春になったら、また来てみますか? ここは、春スキーも出来るようですから」


「受験に受かっていても、落ちていても、春は忙しいわ。せっかくなら、心置きなくゆっくり出来る時に来たいわ」


 ソファーの背もたれが、桃華ちゃんの体重を優しく受け止めてくれます。

ピッタリとくっついた肩越しに、笠原先生の温もりが、少し伝わってきます。


「何も、今年じゃなくてもいいのですよ。来年でも再来年でも、毎年でも。桃華が疲れた時に、2人で来ましょう」


 繋いでいた手を解いて、優しく肩を抱きながら、笠原先生は耳元で囁きました。


「その前に…」


 空いてる方の手が、桃華ちゃんの胸元にポンと置かれました。


「ここに下がっているモノを、左の人差し指にはめたいのですが?」


 笠原先生、桃華ちゃんが先生から貰った指輪をチェーンに通して、いつも首から下げているのを、気が付いていたんですよね。


「スーツを着て、薔薇の1本でもあった方が様になりますか?」


 艶やかな黒髪がお団子にされているから、長くて細い首筋が綺麗に見えます。白いうなじの下、浴衣に隠れるようにチラッと見えるチェーンを、笠原先生はそ~っと引っ張りました。


「スーツより、いつもの白衣姿の方がいいわ」


 桃華ちゃんはドキドキしながらも、指輪が浴衣から出る手前で手で押さえました。


「… 柄シャツに、白衣の格好で?」


 笠原先生、ちょっと意外だったみたいです。


「スーツ姿も素敵だし、この浴衣姿も構わないけれど… 私の『笠原先生』は、派手なシャツに白衣姿で少し猫背ですもの。薔薇を持っているより、科学のプリントを持っている先生がいいわ」


 恥ずかしそうにそう言う桃華ちゃんを、笠原先生はそっと抱きしめました。


「では、もう暫く我慢します。その代わり…」


 そっと、少しだけ体を放して、オデコとオデコをくっつけた時でした。


「ストップ! そこまで!!」


 後ろから梅吉さんが現れました。梅吉さん、コメカミに血管が浮いていますよ。


「こっちが酔っ払いの相手をしている隙に…」


「お疲れ様です」


 梅吉さんは、笠原先生の襟元をグッと鷲掴わしづかみみにして、一気に引っ張りました。桃華ちゃんから引き放された笠原先生は、相変わらずシレっとしています。


「兄さん、邪魔ばっかりするんだから」


 ぷうっ!と、膨んだ桃華ちゃんのホッペは、うっすらと赤く染まっていました。


「桃華ちゃん、あのね、お兄ちゃんは心配で心配で… 悪いのは兄さんじゃなくて、笠原じゃない?」


「アイス!」


 大好きな桃華ちゃんに怒られて、梅吉さんはオロオロ。そんな梅吉さんの目の前に、桃華ちゃんはビシッ! と人差し指を立てて見せました。


「アイス買ってくれたら、許すわ」


 ニコッと笑った桃華ちゃん。梅吉さんは弾かれたように、受付に走りました。


「『先生』、もうちょっと、我慢みたいですよ」


 そして、隣で少しだけ残念そうなオーラを出している笠原先生にも、ニコッと笑いかけました。


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