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第265話 雪と温泉・雪の中の決闘

■ その265 雪と温泉・雪の中の決闘■


 剣道の互角稽古は、実力が同じぐらいの者同士が自分の実力を試す稽古です。以前は、梅吉さんと三鷹みたかさんが剣道部が帰った後にやっていました。佐伯君が来てからは、佐伯君と三鷹さんでたまにやっているようです。でも、それは剣道場で防具を装備しての話し。

 … まぁ、たまに防具なしでやっていますけど、絶対、良い子は真似しちゃ駄目! なやつです。その、真似しちゃ駄目な『互角稽古』が、主と桃華ももかちゃんの前で繰り広げられています。


 夜が明けたばかりの、強めに雪が降っている旅館の裏手。泊まり客がお散歩しやすいようにと用意されている出入り口を出て直ぐの、少し歩けば散歩コースの雑木林に入る手前です。その少し開けたスペースで、浴衣姿の昨夜の高校生3人が、こちらも浴衣姿の三鷹さんを相手に、竹刀を振るっていました。


 3人は浴衣の方すそを帯に引っ掛けて、逞しい脚をあらわにしています。雪を踏みしめ蹴散らす素足は、冷たさで真っ赤なのに、4人の額にはじっとりと汗が。

 出入り口横にある、軒下の休憩用ベンチに座って、桃華ちゃんはスマートフォンで動画を撮り、主はクロッキー帳に鉛筆を走らせています。


「おはよう、お姫様達。これ、何事?」


 少し気だるそうに、坂本さんが声をかけてきました。坂本さん、温泉ですか? 浴衣姿の坂本さんは、お風呂セットを持っています。


「昨日の佐伯君の旧友が、奇襲をかけてきたんですけど、部屋を間違えて寝起きが悪い修二叔父さんに部屋から叩き出されて、ながれで水島先生が剣道の稽古をつけることになりました」


 桃華ちゃん、動画を撮りながら答えます。

 雪で湿った竹刀の音が、間髪いれず重く響いています。男の子達の体は寒さのせいか、汗と雪で濡れ始めた浴衣のせいか、筋肉痛なのか… 竹刀を振るう腕や体捌たいさばきといった動きは精彩せいさいを欠いています。


「確かに、持っているのは竹刀だけど、防具なしの3対1って、稽古なの?」


「3人ぐらい一気に相手に出来ないで桜雨おうめの王子さま気取りなんて、おへそでお茶を沸かしちゃうわ」


 そんな3人に比べて、三鷹みたかさんはいつもと変わりがありませんでした。竹刀を振るうスピードも体捌きも、雪の降り積もるなか、方裾を上げもせず、浴衣の乱れもさほどなく、裸足で動いているなんて到底思えません。主の手も、止まりません。


「あの3人、一応、部のレギュラーだったんだけどな」


 桃華ちゃんと主の反対側から、バカにした様な佐伯君の声がしました。見ると、反対側の休憩用ベンチには、浴衣に羽織姿の佐伯君と… 


「こんな悪天候下での稽古なんて、したことはないだろう」


 隣には、昨夜、佐伯君と1対1でやり合った男の子が座っていました。


「喧嘩はやったことあるじゃねぇか」


「あら、昨日やり合ったって聞いた、昔の悪いお仲間ね」


 坂本さん、出入り口に立ったまま、出てこようとしません。冷気が入りずらい作りになってるんですよね。


「コイツが部長で大将の三木本。あっちで先生とやり合ってるのが、小島、中本、京橋。あと一人は…」


「小堺は、昨日やられた相手が女の人だって分かって、ショックで布団の中でいじけてる」


 あー、高橋さんに痛い目にあわされた男の子ですね。


「高橋を女性と呼ぶのは、どうかしら? でも、私も見たかったわ~」


 そんな話をしている間も、皆の視線は三鷹さん達4人に釘付けです。まぁ、誰が見ても、三鷹さんが優勢なのは明らかですけれど。


「そろそろ終わんなさいよ。あの3人も、ほとんど体が動いてないよ」


 どこから見ていたのか、坂本さんの後ろから梅吉さんが出て来ました。


「桃華ちゃんも桜雨ちゃんも、体冷え切っちゃってるでしょう!」


「ダメよ兄さん。桜雨のスイッチ入りっぱなし」


 そうなんですよ、梅吉さん。主が動かないから、桃華ちゃんも動けないんです。主を一人にしたら、一気に凍っちゃいますもん。キュッ! とくっついて、お互いに温め合っていたんですよ。


「でも、そうも言ってられないわね」


 坂本さんの言う通りで、雪が激しさを増しました。ほとんど、吹雪です。

その中で、三鷹さんが動きました。凍えて動けなくなった3人の胴を、流れるように打ち込んで、主の前で膝まづくように止まりました。


「桜雨、中に入ろう」


 三鷹さんが刀の様に竹刀を振って、雪や水滴を切りながら主に声をかけました。


「三鷹さん… もう1回! もう1回見たい!!」


 その動きを見て、主は大興奮です。


「だが、相手が…」


 雪の中で稽古をするのは、嫌じゃないんですね? 倒れている3人を振り返りましたけど、雪が積もり出していますよ。いや、そもそも、そこからもう一回じゃないと思いますよ、三鷹さん。


「工藤君、手伝って!」


 慌てた梅吉さんは、温泉に行こうと後ろを通りかかった工藤さんを引っ張って、外に出ました。工藤さんは2人、梅吉さんは1人を担いで、そのまま温泉へと直行です。


「センセー、俺、相手になるぜ」


 いつの間にか、3人が倒れていた所に佐伯君が仁王立ちしていました。浴衣の方裾を帯に引っ掛けて、落ちていた竹刀を構えています。


「おい、佐伯…」


「じゃぁ、1分ね。スタート」


 慌てる三木本君をほっておいて、桃華ちゃんが叫びました。さすがに、桃華ちゃんも主も、そろそろ外に居るのは限界です。主と桃華ちゃんは、ちょっとでも体温を逃さない様に、確りと抱き合いました。そして、吹雪でクロッキーも出来ないので、主はじーっと目に焼き付けることにしました。


「せぇぇいっ!!」


 吹雪で視界が悪い中、佐伯君が的確に切り込んできました。三鷹さんはそれを綺麗に受け流し、攻撃に転じます。鍔迫つばぜり合いをしている時間がもったいないのか、2人は容赦なく打ち込んで行きます。雪が2人の気合や市内のぶつかり合う音を吸収して、足跡もついた傍から消していきます。


「終わり!!」


 桃華ちゃんの声も、雪は吸収してしまって、2人の耳には届きません。吹雪の中で、2人の影が激しく動いています。


「終われってよ」


 そんな2人を止めたのは、工藤さんを連れていかれて、そのまま坂本さんの横で観戦していた高橋さんでした。


 吹雪の中に浴衣姿で飛び出して、佐伯君と三鷹さんの横っ腹に、綺麗な回し飛び蹴りを食らわせました。思わず膝をついた二人の襟元をわし掴みにして…


「おら、佐伯の悪友! 手伝えや!!」


 びゅうびゅうと雪が横に降っている中から、高橋さんの怒鳴り声がしっかりと聞こえました。

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