■その277 ちょっとだけ先の未来は不安、長い先の未来は希望と夢 ■
新学期が始まりました。高校3年生の3学期です。
僕の主の
僕の主は、『一応、就職』です。内定を貰った会社が、業績不良で新人を雇う余裕がなくなって、『パート採用』になりました。
主の従姉妹の
「桃ちゃん、大丈夫?」
4時間目が終了した瞬間、桃華ちゃんは机に崩れ込みました。桃華ちゃんの後ろの席の主は、そっと黒髪を撫でました。
「… うん」
絞り出された声に、主は余計に心配になりました。
「もう少しで共通テストだから、プレッシャーを感じているんでしょう? 大丈夫よ、東条さん。やることはきちんとやっているし、学力は十分上がっているわ。なんなら、受験ランクを上げても大丈夫よ」
お弁当を置いた机を運びながら、田中さんが声をかけてくれました。
「そっかー、東条ッチ、共通テスト受けるのかー」
大森さんも、お弁当を置いた机をガタガタさせながら来ました。
「でも、共通受けれるの、いいかもー。だって、予行テストみたいなもんでしょー? 私は専門受験だから、一発勝負だもん」
「大森さん、受験日いつだっけ?」
桃華ちゃんは言いながらむくっと上体を起こすと、田中さんと大森さん、主の机と自分の机をくっつけました。
「明後日」
「「「「明後日?!」」」」
それは、とってもサラっとした一言でした。まるで「そこの醤油とって」って、言うぐらい。
「そう、明後日。でも、近藤先輩だって、そろそろでしょう?」
聞かれた松橋さんは、お弁当と椅子を持って、移動してきました。主と田中さんの間に、チョコンと収まっちゃいます。
「せ、先輩は、来週です」
松橋さんは、就職が内定していますもんね。
女の子5人は、それぞれのお弁当の包みを広げて、両手を合わせて「いただきます」。
「東条ッチの共通テストが… でも、成人式の日でしょう? 次の日もあるから、2日間だっけ? 皆、今週が踏ん張りどこじゃない?」
大森さん、今日はソボロご飯なんですね。スプーンで食べながら、横を向きました。
隣では、近藤先輩と佐伯君が机を合わせて、お弁当を食べています。男同士で向き合って、右手はお箸、左手は参考書と問題集です。この時期、珍しくない光景です。
「消化に悪いですよ~」
主が声をかけても、姿勢は変わりません。近藤先輩は専門学校を受験するので、大森さんと同じで『一発勝負』です。高校3年生を2回やっているので、後が無いんですよね。
「佐伯君も、学力は確り身についたわ。ただ、今まで実績らしいものを出していないから、自信につながっていないのよ」
田中さんの受験は、早々に終わりました。年越し前に希望大学の合格が決まったので、皆の先生をしてくれています。
「脳にも休憩は必要だよ。詰め込んだものを、きちんと整理して消化させてやらないと。睡眠は? しっかりとっている?」
近藤先輩と佐伯君の間に、クラスの学級委員長がお弁当を持って来ました。後ろの空いている椅子を引き寄せて、腰を落ち着かせます。
「栄養もしっかり… それは、心配ないか」
委員長、2人のお弁当を見て、ニッコリです。佐伯君のお弁当は主と桃華ちゃんが、近藤先輩のお弁当は松橋さんが、それぞれ栄養バランスを考えて毎日作ってくれています。
「せっかく、こんな立派なお弁当を作ってもらっているんだから、食べることに集中しなよ。消化に悪い」
委員長は強引に、二人の参考書と問題集を取り上げました。
「委員長は、共通テスト余裕?」
大きなため息をつきながら、佐伯君は大きな口でハンバーグに齧りつきました。
「まぁ、少しは緊張しているかな。でも、今までやってきたことをやるだけだから」
委員長はペットボトルのお茶を飲みながら、サラっと答えます。
「すご~い。優等生の言葉だわ。
ねね、委員長は将来何になるの? お医者さん? 弁護士?」
大森さんが聞くと、委員長はミニトマトを頬張りながら答えました。
「宇宙飛行士」
皆、食事の手を止めて、委員長を注目しました。
「委員長、宇宙行くの?スゲー!!」
佐伯君、お口からご飯粒が飛びましたよ。
「国際宇宙ステーションだっけ?」
「な、NASA(ナサ)ですか?」
「あれでしょう? 宇宙で色んな実験したりするんでしょう?
私さ、宇宙でお化粧ってどこまで出来るのか興味あるんだ。委員長、実験してみてよ!」
大森さんと松橋さんは、興奮気味です。
「委員長、勉強は出来るけれど、運動は普通じゃない?」
「運動は、これからでも大丈夫。トレーニングのいくつかは水中で行われるから、水泳を極めた方がいいと、何かで読んだことがあるわね」
「体術なら、指導できるぞ」
桃華ちゃんと田中さんと近藤先輩は、さすがに冷静ですね。
「宇宙か~。宇宙で絵を描くのも、いいかも~。フワフワしてて、楽しそうだよね」
主の感想が、フワフワしていますよ。無重力の中で描くの、難しくないですか?
「皆、よく他人の未来の夢で、そこまで盛り上がれるね」
委員長、ちょっとビックリです。
「友達が宇宙飛行士なんて、滅多に居ないからかしら?」
「そうね、滅多に居ないわね」
桃華ちゃんの言葉に、田中さんが同意しながら卵焼きを食べます。
「私、普通に自慢するわ」
大森さんは、自分事の様に胸を張って覆い張りです。
「す、素敵な目標です」
「本当だね、素敵な目標だね。私まで、ドキドキしちゃうな」
松橋さんと主は、顔を見合わせてニコニコ。
「… 委員長、もしかして、プレッシャー感じちゃったりする?」
そんな主達の反応を見て、委員長の表情が少しだけ、ほんの少しだけ強張ったのを、佐伯君は見逃しませんでした。
「ま、まさか! ただ、皆のように思ってもらうのも、悪い気はしないね。… そうだな、いい意味で、プレッシャーを感じたかな」
委員長がそう言うと、主達は楽しそうに未来の話をし始めました。
「委員長が宇宙飛行士になって有名になったら、取材来るよね? メイク、どんなのがいいと思う? TVに映った私を見て、ハリウッドスターから告白されたらどうしよう!?」
「その頃には、仕事の主戦力になっていて、取材を受けている暇もないのではない? 私は、そうなっていたいわ」
「私がちゃんと保育園の先生になっていたら、出張授業? 講演会? そんな感じで、園児にお話しとかしてくれる?」
未来の話はどんどん膨らんで、いつの間にか桃華ちゃん達受験組の緊張感は薄れたみたいで、顔のこわばりが解けていました。
主は皆の顔を見渡して、ホッとしながらお弁当を食べました。